ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

兵庫県の地名 日本歴史地名大系

2015-12-07 10:12:49 | 歴博
先週金曜日は,歴博の日

私がいる部屋にはたくさん本があります。

午後は,団体さんがたくさん来る予定だったようだしたが,午前中はのんびり。
本を読みたい放題(!?!)でした。

その中で見つけたのが,この本。
『兵庫県の地名Ⅱ 日本歴史地名大系29』 平凡社 1999年

前回,職員さんが,「英賀と英賀保ってどう違うの?」
の答えを探しました。
明治22(1889)年 町村制施行 
        英賀保村成立
昭和11(1936)年 英賀保村が飾磨町に合併される
昭和15年には飾磨市になり,
昭和21(1946)年 飾磨市が姫路市に合併される

しかし地名は,
古代・和名抄には,英賀郷
これを継承し,中世には,英賀庄 英賀城 その後 英加村(英賀村)
今も,駅周辺だけに「英賀保」の文字が見え,そのほかは「英賀宮町」など,「英賀」

じゃあ,なぜ「英賀」ではなく「英賀保駅」?「英賀保村」?

山陽鉄道は,
明治21(1888)年 兵庫ー明石,そして,明石ー姫路
明治22(1889)年 神戸ー兵庫,そして,姫路ー龍野
その徐々に延びて,
明治34(1901)年 山口県馬関(現 下関)
明治39(1906)年 鉄道国有法により,国有化。山陽本線に

こうやって見ると,
英賀保村ができた時と,鉄道が,英賀保を通った時と重なる。
でも,その時から英賀保駅があったのか,なぜ英賀じゃなくって英賀保なのかわからない。
こういうことは,地元で聞く方がいいのかも?

それはともかく,おもしろい本を見つけた。

次は,網干,中世の福井荘,そして,近世の網干と寺の関係をこの本で見てみよう。

ATSUの独り言につきあってくださった方,ありがとうございました。


PS.この日は学芸員・Hさんとも話をしました。
稲岡神社の絵馬のことをちょっと聞いたけど,研究目的とかいろいろないと,簡単には見ることができないそうです。
Hさん,お忙しいのにすみませんでした。
でも,逆に聞かれました。
新聞社から,いつ頃から穴子を食べるようになったのか,質問があったらしくて,私がいる本の部屋で調べていました。
浜手の人間である私は,穴子の話,祭の時のこのしろの寿司の話をしました。
このしろは,さかなへんに祭と書くそうです。
民俗学的な観点から,浜手に住む私の話はおもしろかったらしく,逆に「ありがとう」と言ってくださいました。
私は時間が来て,家に帰りましたが,その後,穴子はどうなったのかしら?
きっと,どこかの新聞記事に載ったことでしょう。




コメント
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