ATSUー歴女(おばさん?)のひとりごとー

見たこと・聞いたこと・ちょっと調べたこと,気ままに「My 日記」として書いています。

大覚寺(網干)

2015-05-07 13:54:03 | 日記
5月5日は我が網干は「花まつり」,お釈迦様の誕生日の「象曳き」を私が子どもの頃もしていました。
今も続く行事ですが,ここ数年はスタンプラリーなどもしているようです。
普段,見ることができない寺院や古民家も解放したり,ボランティアさんが解説してくれたりもしています。

仕事があったので,「大覚寺」に絞って,見学に行きました。

ボランティアさんの解説によると・・・

大覚寺は室町時代に焼けて,垣内から,現在の興浜に移転したそうです。その際,真言宗から今の浄土宗にかわったとのことでした。
官兵衛と網干の話や英賀の話(英賀の勢力は的形から室津まであったそうです。)なども聴きました。

「禁制は?」と尋ねると,「今日は公開していない。」とのことで,残念でした。
信長・秀吉・家康が出した禁制が3点そろってあるのは,ここ,網干の大覚寺だけだそうです。以前,江戸時代の庄屋が持っていた禁制を大覚寺に預けたために大覚寺に残っていると聞いたことがあります。
信長ら統治する側の人が,網干の農民たちに対して狼藉を働かないように出した物です。
でも,11月に公開する日があるとのことで,その日を楽しみにしています。

私がボランティアさんを質問攻めにしていると,向こうからご住職が現れました。

ご住職は京都の永観堂のご住職でもあるようです。

「永観堂?・・・・もみじ?」と私が言うと,にっこり
「東山・・・でしたっけ?」と私が言うと,よく知っていると思ってくださったのでしょう,そこから話がますます弾みました。

禁制の公開の日には当麻寺の曼荼羅も公開されること,その曼荼羅は当麻寺の曼荼羅の2分の1の長さ(大きさは4分の1)であること,後陽成天皇が銘文を書いたこと,京都五山の僧侶が網干に立ち寄った時,涙を流して漢詩を書いたこと,・・・

そして,5月の半ばに東京大学史料編纂室の先生が調査に来られること(歴博の先生も)も聞きました。

「私,古文書の勉強しているんです。」というと「すばらしいですね。」とご住職。ありがとうございます。

話が盛り上がって,最後にボランティアさんが「あんた,網干の解説ボランティア,せーへんか?(しませんか?)女の人もおるで。」と言ってくださったのですが,家庭の事情でできない,とお断りしてきました。

この言葉,すごくうれしかったです。
「私は数年前まで,日本の歴史ばかり見てきました。この年になってやっと地元の歴史に目が行くようになりました。恥ずかしい話ですが。」と言い,お礼を言って帰りました。

禁制と曼荼羅の公開の日を楽しみにしています。
コメント
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