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「被害と加害の歴史を心に刻み、戦後80年“不戦平和”を維持する努力を」川村範行・名古屋外国語大学名誉教授
2025年8月3日
中華人民共和国駐名古屋総領事館主催
中日平和友好交流会
学界代表講演
中華人民共和国駐名古屋総領事館主催
中日平和友好交流会
学界代表講演
「被害と加害の歴史を心に刻み、
戦後80年“不戦平和”を維持する努力を」
日中関係学会副会長兼東海日中関係学会会長
川村範行・名古屋外国語大学名誉教授
川村範行・名古屋外国語大学名誉教授

私は、7月7日に中国武漢大学主催の戦後80周年に関する国際シンポジウムに招かれて講演しました。そもそも、7月7日は何の日ですか-日本では織り姫と彦星が年に一度出会う優雅な「七夕」の日を思い浮かべますが、1937年のこの日に中国北京郊外の盧溝橋で事件が起き、日中戦争が本格的に拡大する重要な転換点となった日であり、中国人にとっては忘れられない歴史に刻むべき日なのです。
戦後80年と言えば何を思い浮かべますか-武漢大学のシンポジウムのテーマに明記されていましたが、中国では「抗日戦争勝利80年・反ファシズム戦争勝利80年」であり、即ち、日本と戦い抜いた“被侵略国”の意識です。日本人にとってはどうか-「終戦から80年」であり、「広島、長崎への原爆投下」や「名古屋空襲、東京空襲」という、“被害意識”がほとんどであり、中国大陸など“外地”で侵略を行ったという“加害意識”はほとんど無いのです。日本と中国では“戦争に対する意識”が全く違うのです。
それは1931年から1945年までの15年間もの長きにわたる日中戦争で中国人死傷者3000万人以上を出した悲惨な戦場が遠く離れた中国大陸ほかアジア・太平洋であり、日本での戦争報道も管理されていて、不都合な真実を全く知らされなかったためです。
ドイツのワイツゼッカー大統領が戦後40年の1985年に国会で「荒れ野の40年」と題して演説し、「過去に目を閉じる者は現在に盲目となる」と述べて、「歴史を心に刻む」ことを訴えました。常に戦争の歴史を「心に刻む」ことが、戦争を起こさないことにつながるのです。
日本人は本土で受けた被害の歴史だけでなく、外地で行った加害の歴史も事実を知り、「心に刻む」ことが重要であります。私は大学教授として、学部生や大学院生に、毎年、日清戦争、日露戦争から日中戦争に繋がる歴史的経緯と日中戦争の実態を客観的に講義し、日本人として被害意識と加害意識の両方を自覚し、二度と悲惨な戦争を起こさないよう一人一人が心に刻むことが大切だと教えてきました。
振り返れば、日本は日清戦争から10年後に日露戦争を起こし、それから20数年後に日中戦争を拡大しました。しかし、日中戦争・アジア太平洋戦争で無条件降伏をしてから80年間、日本は中国とも他の国とも一度も戦争をしませんでした。80年の長きにわたり不戦平和を維持したことが極めて貴重です。
なぜ、日本が戦後80年間、「不戦平和」を維持できたのか。
第一に、戦争放棄と戦力不保持、交戦権否認を定めた日本国憲法の力です。朝鮮戦争やベトナム戦争に日本が直接派兵をしなかったのは、平和憲法の“歯止め”があったからです。
第二に、1972年の日中国交正常化共同声明で、「すべての紛争を、武力ではなく、平和的手段で解決する」とする、“不戦の誓い”を明記しました。1978年に国会承認した日中平和友好条約で「両国間の恒久的な平和友好関係」を法的に制度化したことが重要です。国交正常化共同声明と平和友好条約が日中間の不戦を支えてきたと言えます。
第三に、日中両国が経済貿易を通して相互協力を深めたことが、戦争への“抑止力”になったと見る事が出来ます。
ドイツのワイツゼッカー大統領が戦後40年の1985年に国会で「荒れ野の40年」と題して演説し、「過去に目を閉じる者は現在に盲目となる」と述べて、「歴史を心に刻む」ことを訴えました。常に戦争の歴史を「心に刻む」ことが、戦争を起こさないことにつながるのです。
日本人は本土で受けた被害の歴史だけでなく、外地で行った加害の歴史も事実を知り、「心に刻む」ことが重要であります。私は大学教授として、学部生や大学院生に、毎年、日清戦争、日露戦争から日中戦争に繋がる歴史的経緯と日中戦争の実態を客観的に講義し、日本人として被害意識と加害意識の両方を自覚し、二度と悲惨な戦争を起こさないよう一人一人が心に刻むことが大切だと教えてきました。
振り返れば、日本は日清戦争から10年後に日露戦争を起こし、それから20数年後に日中戦争を拡大しました。しかし、日中戦争・アジア太平洋戦争で無条件降伏をしてから80年間、日本は中国とも他の国とも一度も戦争をしませんでした。80年の長きにわたり不戦平和を維持したことが極めて貴重です。
なぜ、日本が戦後80年間、「不戦平和」を維持できたのか。
第一に、戦争放棄と戦力不保持、交戦権否認を定めた日本国憲法の力です。朝鮮戦争やベトナム戦争に日本が直接派兵をしなかったのは、平和憲法の“歯止め”があったからです。
第二に、1972年の日中国交正常化共同声明で、「すべての紛争を、武力ではなく、平和的手段で解決する」とする、“不戦の誓い”を明記しました。1978年に国会承認した日中平和友好条約で「両国間の恒久的な平和友好関係」を法的に制度化したことが重要です。国交正常化共同声明と平和友好条約が日中間の不戦を支えてきたと言えます。
第三に、日中両国が経済貿易を通して相互協力を深めたことが、戦争への“抑止力”になったと見る事が出来ます。
しかし、最近、日中両国間で安全保障を巡るリスクが懸念されている。
ウクライナ戦争やガザ戦争に加えて東アジアの安全保障を巡る環境も変化しています。中国は国家安全をますます重視し、日本は安全保障政策を転換しました。日中両国間で交流や意思疎通を密にし、偶発的衝突や武力紛争などは絶対に防がねばなりません。その為には次の2点が必要と考えます。
第一に、論語には次のような言葉があります。「本立而道生」。根本がしっかりと定まれば、自ずと進むべき道が生じるという意味です。日中両国が日中国交正常化、及び日中平和友好条約の原点を確認して、将来も「日中不戦平和」を維持する必要があります。
私が会長を務める東海日中関係学会は2022年の日中国交正常化50周年記念国際シンポジウムで「武力ではなく、対話と外交力で平和構築を」と主張しました。また、中国駐名古屋総領事館の支援のもと、2023年、2024年と2年連続で学術訪中団を派遣し、中国外交部や中国社会科学院日本研究所ほか上海のシンクタンクや復旦大学などとも積極的な対面交流を通じて、日中関係の協調的発展について相互理解を深めました。
第二に、将来は、武力に頼らず紛争予防を主目的とする欧州安全保障協力機構(OSCE)を参考に東アジア安全保障協力(OSCE “東アジア版”)を、先ず日中両国が中心となり、研究者・シンクタンクが研究を進め、政治家を巻き込んで、各国政府と連携をして東アジア全体で不戦平和の枠組みを構築することを提起します。
ウクライナ戦争やガザ戦争に加えて東アジアの安全保障を巡る環境も変化しています。中国は国家安全をますます重視し、日本は安全保障政策を転換しました。日中両国間で交流や意思疎通を密にし、偶発的衝突や武力紛争などは絶対に防がねばなりません。その為には次の2点が必要と考えます。
第一に、論語には次のような言葉があります。「本立而道生」。根本がしっかりと定まれば、自ずと進むべき道が生じるという意味です。日中両国が日中国交正常化、及び日中平和友好条約の原点を確認して、将来も「日中不戦平和」を維持する必要があります。
私が会長を務める東海日中関係学会は2022年の日中国交正常化50周年記念国際シンポジウムで「武力ではなく、対話と外交力で平和構築を」と主張しました。また、中国駐名古屋総領事館の支援のもと、2023年、2024年と2年連続で学術訪中団を派遣し、中国外交部や中国社会科学院日本研究所ほか上海のシンクタンクや復旦大学などとも積極的な対面交流を通じて、日中関係の協調的発展について相互理解を深めました。
第二に、将来は、武力に頼らず紛争予防を主目的とする欧州安全保障協力機構(OSCE)を参考に東アジア安全保障協力(OSCE “東アジア版”)を、先ず日中両国が中心となり、研究者・シンクタンクが研究を進め、政治家を巻き込んで、各国政府と連携をして東アジア全体で不戦平和の枠組みを構築することを提起します。
今から約2500年前、中国の春秋戦国時代に思想家の墨子は「兼愛非攻」を提唱しました。墨子は相手への攻撃を戒め、仮に攻撃されたら防御する専門集団を訓練していました。現代に照らせば専守防衛(非攻)の立場で、全方位外交、国際協調主義の考え方です。墨子の思想は七カ国が武力で相争っていた当時、非現実的だと批判されましたが、21世紀の今こそ見直されるべき思想ではないでしょうか。「日中不戦平和」「東アジア安全保障協力」は、時空を超えて墨子の思想を受け継ぎ、現代に開花させる営みとも言えます。
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NHKスペッシャル「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」 浜田紀男
浜田紀男さんの論考【NHKスペッシャル「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」】をご紹介します。 伊関要拝
伊関様
拙稿ご活用いただければ幸いです。
ささやかな目標ですが、「総力戦研究所」を岩波書店の「広辞苑」に新加(新しい項目)していただくことにしています。回答も8版で検討するべきであるとの感触を得ています。
もしも現在に「総力戦研究所」が存在し、中国に対して戦争をした場合の勝敗を研究すれば「必敗」でしょう。「総力戦研究所」からの教訓は、その勝敗でなく「平和」です。
浜田紀男
NHKスペッシャル
「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」
朝ドラ「虎に翼」 NHK連続テレビ小説「虎に翼」は、第110回目の作品として、2024年4月1日~9月27日の130回が放送された。その中でも屈指の作品であった。『朝ドラ「虎に翼」の「総力戦研究所」』を同年の8月にA4版7ページ、『朝ドラ「虎に翼」の原爆裁判』』を10月にA4版8ページにまとめて、所属する治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟堺支部の会報誌「不屈」に掲載した。
12月7日(土)ソフィア堺にて、市政を刷新し清潔な堺市政を取り戻す市民1000人委員会中区連絡会主催の、第28回市民学習会で『朝ドラ「虎に翼」から見たアジア・太平洋戦争』を講演した。私の故郷の松山市の愛媛県教育会館で、本年の4月27日(土)近代史文庫特別例会にて、前記標題で講演することが出来た。近代史文庫主催で松山市の銘物である『「労研饅頭」から見えてくるもの』の講演から16年が経過している。
8月9日(土)に、JR阪和線鳳駅前の鳳本通商店街の真ん中にある、「やさしい風」で、「社会福祉法人野のちから」のご尽力で、同じテーマで講演会が予定されている。
「総力戦研究所」と窪田角一氏
元・四万十市長の田中全さんより、思いがけないニュースがあった。田中さんは「虎に翼」の「総力戦研究所」の模擬内閣の総理大臣役を担当した、窪田角一氏(くぼたかくいち1905-1985)が勤務していた、農林中央金庫の後輩でもあった。窪田氏について何かご存知なのかをお訪ねしたのが、本件のニュースにつながった。田中さんは私が愛媛県出身で、松山市での講演も連絡済みだった。新たな窪田氏の詳細を伝えていただいた。
窪田氏は愛媛県今治市拝志の出身で、愛媛県越智郡富田村尋常小学校卒業し、県立今治中学校(4年修了)、第六高等学校文科乙卒業、東京帝国大学法学部卒業後に、1927年(昭和2)に産業組合中央金庫に就職し、総力戦研究所第一期研究生に出向している。窪田氏は愛媛県人会関東の幹事や愛媛県東予育英会長を歴任し、1985年9月30日に心不全のため、東邦大学大橋病院にて80歳で逝去された。
NHKスペシャルの「総力戦研究所」
「総力戦研究所」は朝ドラ「虎に翼」により知られることになった。しかしその内容は深く掘り下げてはいない。新たにNHKでは「戦後80年関連番組」として「総力戦研究所」を舞台に、総理大臣役を担当した窪田角一氏を主人公とした作品を放送することをホームページで公表した。このことを田中さんにより知ることが出来た。
NHKスペシャル「シミュレーション~昭和16年夏の敗戦~」
【放送予定】2025年8月16日(土)
前編・総合21時―21時59分
17日(日)
後編・総合21時―21時59分
【原案】猪瀬直樹「昭和16年夏の敗戦」(中央公論新社刊)
【出演】池松壮亮ほか 【脚本・演出】石井裕也
【あらすじ】
1941年(昭和16)4月、平均年齢33歳の多くの若きトップエリートたちが緊急招集された。軍人・官僚・民間企業から選抜された彼らは、将来の日本のリーダーとなるべき人材を養成する目的で、新設された総理大臣の直轄機関「総力戦研究所」に参加することになったのだ。
その目的は軍事・外交・経済などの各種データを基に、日米が開戦をした場合の戦局を正確に予測し、そのシミュレーション結果を近衛文麿首相、東条英機陸相を初めとする<本物の内閣>の面々を前に報告することだった。
当初、国や軍部の真意が分からず宇治田洋一(池松壮亮扮する窪田角一がモデル)らエリートたち。もしシミュレーションの結果が上層部の意に沿わないものだった場合、自分たちの身にも害が及ぶのではないか・・・。宇治田や仲間たちはそれぞれが家族を抱える中、緊張にさらされ続ける。それでも、通常は国家機密である日本の国力を測るための様々なデータにアクセスを許されるなど、宇治田たちはある種の興奮の中で、日米戦開戦後の戦局を占っていく。喧々諤々の議論の末に<模擬内閣>若き閣僚たちが導き出した最終結論は、「もしアメリカと戦えば、日本は必ず負ける」というあまりにも厳しい未来予測だった。エリートたちの理性は告げる。「この戦争は止めなければならない」と・・・。
シミュレーション結果を<本物の内閣>に報告する日が来た。<模擬内閣>の若者たちは、勇気を振り絞ってシミュレーションが導き出した「現実」を国の指導者たちに伝えようとする。果たして、東条英機らの反応は・・・。そしてその後、宇治田たちが目のあたりにする”残酷な結論”とは・・・。
【脚本・演出の石井裕也のコメント】
これまで作られてきた日本の戦争ドラマ・映画は、終戦間際に一般市民が不幸な目に遇う、いわゆる戦争被害者の視点に立つものが多かったと思います。私が知る限りその大元となった「なぜこの国は日米開戦に踏み切ったか」についてフォーカスしたものはほとんどありません。あまりにも事態が複雑でドラマ化が困難だったのが一因でしょうが、ここまで手出しできなかった理由は、正直に言ってしまえばほとんどタブーに近かったからだと思います。
開戦前夜の人間たちの葛藤は、いまの私たちにとって決して無関係ではありません。当時の日本社会に漂っていた不気味な「空気」は、確実に引き継がれて今の社会に存在するからです。日本を代表するキャスト、スタッフと共に今この作品が作られたことの大きな意義を感じています。
【石井裕也のプロフィール】
1983年生まれ。埼玉県出身。大阪芸術大学芸術学部映像学科卒業、日本大学大学院芸術学研究科映像芸術専攻修士課程修了。
自主映画から注目されてきた新世代のトップクリエイターであり日本アカデミー賞史上最年少受賞などを経て今や日本を代表する映画監督の一人。
国内はもとより、アジア圏を中心に世界的な評価も高い稀有な存在。 作風はメジャー大作からインデペンデントまで多岐に亘るが、デビューから一貫して、「日本」を主題として社会性に富んだ作品を送り出している。
主な代表作に、辞書作りを描いた「舟を編む」(原作・三浦しおん、主演・松田龍平・2013年公開)、シングルマザーで懸命に生きる母子の姿を描いた「茜色に焼かれる」(脚本・石井裕也、主演・尾野真千子、2021年公開)等がある。
平和への希い
2025年日本はアジア・太平洋戦争の敗戦と、広島長崎への原爆投下から80年、稀代の悪法の治安維持法と男子「普通選挙法」の成立から100年となる。改めて「戦争と平和」を考えるときでもある。しかし日本政府は軍拡路線を拡大している。7月3日の朝日新聞に作家の高村薫氏が『「命」第一の政治あれば-誠実に生きるだけ』を、見出しを「穴は至る所に」として寄稿している。その要旨は次の通りである。少し長いが最近の論考で一番印象に残っている。
「最新の日本の相対的貧困率は、アメリカや韓国にも抜かれて15.4%であり、先進国でもっとも貧しい。政府の債務残高が1323兆円を超え、国家の信用が揺らぎつつある日本に、戦争するカネはない。さらに、平原のない狭い国土は一発のミサイル攻撃にも耐えられない。これが私たちの現実である。しかしながら、雨が降ろうが槍が降ろうがこの現実だけは変わらないことを肝に銘じておけば、(いま)しか見ない私たちでもたぶん、何とかなる。いや、参院選も近いので、せっかくだからもう少し欲を出し、当面の暮らしだけではないこの国のかたちや、世界のあるべき姿にも目を配る、真に政治らしい政治を持ちたいと思う。 仮にトランプ関税に屈することになっても、狂気と強欲に満ちた大国の論理にくみせず、何としても戦争を回避する意志を持った政治が私たちには必要なのである。そうした国民の生命が第一に守れるなら、あとは少々生産性が悪くとも誠実にものを作り、田を耕し、身体が動く限り働いて生きるだけである。ただし、穴に落ちないよう足下に注意して。」
「総力戦研究所」から真の汲み取るべき教訓を生かしたい。
2025年7月
浜田紀男(大阪シナリオ学校事務局長)
追記
8月7日に田中全さんより連絡があり、本日付けの高知新聞に「昭和16年夏の”窪田内閣”」のタイトルの、田中さんの投書が掲載されたとのこと。なお田中さんのブログ「幡多と中村」で、その全文を見ることができる。
田中さんとは性科学者・社会運動家の山宣こと山本宣治(1889-1929)の、高知県での足跡を訪ねる旅で交流することが出来た。田中さんが四万十市長の在任中からもう15年になる。あのとき田中さんの案内で、四万十川で獲れた天然ウナギを、居酒屋「常連」で食した味が忘れられない。
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日中の平和友好への鍵を探る(4) 2つの「10月25日」と「台湾問題」
このコラムでは上海交通大学を拠点にして研究活動をしておられる石田隆至さんのレポートを連載しています。
このコラムは「人民日報海外版日本月刊」に連載されたものを転載しています(著者および出版社の許諾済み)。
このコラムは「人民日報海外版日本月刊」に連載されたものを転載しています(著者および出版社の許諾済み)。
日中の平和友好への鍵を探る(4)
2つの「10月25日」と「台湾問題」
文/張 宏波 上海交通大学客座教授・明治学院大学教授 石田隆至 上海交通大学副研究員
人民日報海外版日本月刊 2023/10/26 12:20
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日中の平和友好への鍵を探る(4)
2つの「10月25日」と「台湾問題」
現在の日中関係の焦点の一つは「台湾問題」にある。
これについて語るとき、必ず言及されるのが「一つの中国」という立場である。台湾を含めて中国は一つの主権国家であるという概念だ。もちろんこれは、“中国は2つある”という政治的主張に対置される形で使われる。ただ、わざわざ「一つの中国」と言わなければならないという事態が奇妙だと感じる人は、どれほどいるだろうか。「一つの米国」「二つの日本」などという概念が存在しないことを確認すれば、その異常さを感じ取れるだろう。
複雑なことに、少なくとも外交の次元では、米国も日本も「一つの中国」という中華人民共和国の立場を踏まえており、国際ルールになっている。にもかかわらず、内政や同盟国との間などで、「もう一つの中国」があるかのように振る舞うダブル・スタンダードが見られる。
これについて語るとき、必ず言及されるのが「一つの中国」という立場である。台湾を含めて中国は一つの主権国家であるという概念だ。もちろんこれは、“中国は2つある”という政治的主張に対置される形で使われる。ただ、わざわざ「一つの中国」と言わなければならないという事態が奇妙だと感じる人は、どれほどいるだろうか。「一つの米国」「二つの日本」などという概念が存在しないことを確認すれば、その異常さを感じ取れるだろう。
複雑なことに、少なくとも外交の次元では、米国も日本も「一つの中国」という中華人民共和国の立場を踏まえており、国際ルールになっている。にもかかわらず、内政や同盟国との間などで、「もう一つの中国」があるかのように振る舞うダブル・スタンダードが見られる。
多くの国は国内に多様性を有しており、深刻な対立を内包していることもある。「単一民族国家」という幻想が根強い日本にも、琉球、アイヌ、在日コリアン、在日中国人などが暮らしている。大陸と台湾との対立は民族や宗教によるものではなく、国民党と共産党という党派的対立に由来する。他国であれば、“国内に存在する深刻な政治的対立の一つ”と見なされる事柄ともいえる。
それでも、このような括り方をすると反発が生じてしまうほど、大陸と台湾は別々の独立した存在で、一方が他方を抑圧しようとしているという図式が勝っており、暗黙の前提ともいえる状況がある。
しかし、当の中国では、こうした捉え方は決して一般的とはいえないことが、日本社会ではどこまで知られているだろうか。この“大陸と台湾に分かれた中国”という捉え方がどこから来たのかを確認すると、「台湾問題」なるものの本質が見えてくる。
それでも、このような括り方をすると反発が生じてしまうほど、大陸と台湾は別々の独立した存在で、一方が他方を抑圧しようとしているという図式が勝っており、暗黙の前提ともいえる状況がある。
しかし、当の中国では、こうした捉え方は決して一般的とはいえないことが、日本社会ではどこまで知られているだろうか。この“大陸と台湾に分かれた中国”という捉え方がどこから来たのかを確認すると、「台湾問題」なるものの本質が見えてくる。
* * *
中華人民共和国は、台湾を一つの省と位置付けている。一般市民の感覚でも、複雑な状況はあるものの台湾は当然中国の一部であり、第三国の一部でもなければ、その影響に左右されるのもおかしいと感じられている。また、台湾でも、民進党による台湾独立の主張が悪目立ちしているが、公式には「現状維持」に軌道修正している。近年の世論調査でも同様で、統一でも独立でもない曖昧な現状のままでよいという声が多いとされる。台湾では今も中華民国憲法を「運用」しており、大陸地域には統治が及ばないだけで、大陸を含めた中国全体を施政範囲としている。したがって、そこでも台湾は「一つの中国」の一部だという扱いになっている(写真1)。

つまり、大陸でも台湾でも分断はあっても「一つの中国」と認知されている側面が大きい。
では、“大陸と台湾”という捉え方、それぞれを別の政治主体だと捉える見方が、日本で暗黙の前提となっているのはどうしてなのか。そのことを考える手がかりとして、今号の発刊日でもある2つの「10月25日」に着目してみたい。一つは1945年、もう一つは1971年である。
日本敗戦後の体制を構想したカイロ宣言およびポツダム宣言は、台湾の中国返還を規定していた。1895年以降、台湾を植民地支配してきた大日本帝国の第19代台湾総督と台湾省行政長官との間で、1945年10月25日に降伏式典が行われ、台湾は中国に返還された。この時期にはまだ中華人民共和国は存在せず、台湾の帰属先が中華民国であることは明白である。むしろ、日本が中国から台湾を切り離して植民地化したことが、“中国は大陸と台湾に分かれる”という発想の淵源の一つとなっていることを確認しておく必要がある。
では、“大陸と台湾”という捉え方、それぞれを別の政治主体だと捉える見方が、日本で暗黙の前提となっているのはどうしてなのか。そのことを考える手がかりとして、今号の発刊日でもある2つの「10月25日」に着目してみたい。一つは1945年、もう一つは1971年である。
日本敗戦後の体制を構想したカイロ宣言およびポツダム宣言は、台湾の中国返還を規定していた。1895年以降、台湾を植民地支配してきた大日本帝国の第19代台湾総督と台湾省行政長官との間で、1945年10月25日に降伏式典が行われ、台湾は中国に返還された。この時期にはまだ中華人民共和国は存在せず、台湾の帰属先が中華民国であることは明白である。むしろ、日本が中国から台湾を切り離して植民地化したことが、“中国は大陸と台湾に分かれる”という発想の淵源の一つとなっていることを確認しておく必要がある。
もう一つの1971年10月25日は、国連における代表権が、台湾に逃れた「中華民国」蒋介石政権から中華人民共和国に移った日である。この時点まで、“中国は大陸と台湾に分かれる”状態にあったことを示している。1949年10月の中華人民共和国の成立に伴い、いずれが国連の中国代表権を有するのか、国連でも20年にわたり議論が続けられた。この日の第2758号国連総会決議は以下のように規定している。「中華人民共和国の全ての権利を回復し、中華人民共和国政府の代表が国連組織における中国の唯一の合法的な代表であることを承認する」。また、蒋介石政権の「代表」を、その不法に占拠する議席から追放することも決定した。
これは、それまで蒋政権が中国を代表してきた状況を国連が不当視し、「一つの中国」として中華人民共和国政府を扱う宣言である。国民党と共産党の内戦の結果、中華民国から中華人民共和国へと継承された経緯そのものも含めて承認されたことを示す。本来ならこの時、“中国は大陸と台湾に分かれる”状態は解消して然るべきだった。
しかし、この国連決議の際、米国等が「二重代表制決議案」を提出していた。これは、中華人民共和国の国連参加を認め、安保理常任理事国の席も与えると同時に、「中華民国」の議席も認めるという案だった。提案には日本も加わっている。この二重代表制決議は表決には至らなかったが、米日等が“中国は大陸と台湾に分かれる”という状態を維持しようとしていたことを示している。
これは、それまで蒋政権が中国を代表してきた状況を国連が不当視し、「一つの中国」として中華人民共和国政府を扱う宣言である。国民党と共産党の内戦の結果、中華民国から中華人民共和国へと継承された経緯そのものも含めて承認されたことを示す。本来ならこの時、“中国は大陸と台湾に分かれる”状態は解消して然るべきだった。
しかし、この国連決議の際、米国等が「二重代表制決議案」を提出していた。これは、中華人民共和国の国連参加を認め、安保理常任理事国の席も与えると同時に、「中華民国」の議席も認めるという案だった。提案には日本も加わっている。この二重代表制決議は表決には至らなかったが、米日等が“中国は大陸と台湾に分かれる”という状態を維持しようとしていたことを示している。
この際、蒋政権代表はこれ以上の審議に加わらないと、国連総会を退場した。二重代表制を受け入れて妥協する姿勢もとらなかった。この時点でも、大陸、台湾ともに「一つの中国」という捉え方が基本であり、「一つの中国、一つの台湾」という捉え方に米日などが固執していたことと対照的である。

この翌年、米国、日本は相次いで中華人民共和国と関係改善を進め、「一つの中国」を前提に外交を展開することになる(写真2)。とはいえ、日中共同声明第三項が物語っている通り、その後も日本は台湾の帰属先を明確にすることを回避し続けてきた。米国が日本との戦後処理の場であるサンフランシスコ講和会議(1952年)から中華人民共和国を排除したことも同じ狙いで、72年以降の中米関係でも曖昧さは残された。現在、「台湾有事は日本有事」等として日米が介入する姿勢を見せているのは、この延長上にある。
以上のように、「台湾問題」は米日など第三国が持ち込んで作られたという植民地主義的構図を認識しなければ、「中国の問題」と誤認してしまいかねない。明治期に始まった台湾を中国から切り離そうとし続ける動向が、戦争と平和のいずれに繋がるものなのか、平和を愛する日本の市民と議論していきたい。
以上のように、「台湾問題」は米日など第三国が持ち込んで作られたという植民地主義的構図を認識しなければ、「中国の問題」と誤認してしまいかねない。明治期に始まった台湾を中国から切り離そうとし続ける動向が、戦争と平和のいずれに繋がるものなのか、平和を愛する日本の市民と議論していきたい。
人民日報海外版日本月刊より転載
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日中の平和友好への鍵を探る(3) 国交回復後の世代が紡ぐ 日中友好の“かたち”
日中の平和友好への鍵を探る(3)
国交回復後の世代が紡ぐ 日中友好の“かたち”
石田隆至 上海交通大学副研究員
石田隆至 上海交通大学副研究員
人民日報海外版日本月刊 2023/9/24 12:18
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日中の平和友好への鍵を探る(3)
国交回復後の世代が紡ぐ 日中友好の“かたち”
45年前、平和友好条約の締結に臨んだ人たちは、後に続く世代の日中関係をどう思い描いていただろうか。
筆者を含めた国交回復後に育った世代には、「日中友好」というフレーズはやや掴みどころに戸惑う側面がある。国交がなかった時期にその回復を求めて民間交流を続けた世代にとって、それは侵略戦争やその贖罪感に一区切りを付ける取り組みだった。他方で、国交回復後の世代には直接的・個人的な戦争責任はない。他の国と同じように良い関係を作っていくべき国の一つである。だから、年長世代がそうするように、中国との間にだけ「日中友好」という言葉を標榜するのは、どこか実感が伴わない。それは、日中友好運動に若い世代の加入が極端に少なく、どこも継承が困難になっている現実に表れている。また、「日中友好」のかけ声とは裏腹に、1990年代半ば以降の両国関係は悪化の一途を辿ってきた。とはいえ、中国と良い関係を築いていこうとする若い世代もいないわけではない。彼らはどのように中国や日中関係に向き合っているのだろうか。
筆者を含めた国交回復後に育った世代には、「日中友好」というフレーズはやや掴みどころに戸惑う側面がある。国交がなかった時期にその回復を求めて民間交流を続けた世代にとって、それは侵略戦争やその贖罪感に一区切りを付ける取り組みだった。他方で、国交回復後の世代には直接的・個人的な戦争責任はない。他の国と同じように良い関係を作っていくべき国の一つである。だから、年長世代がそうするように、中国との間にだけ「日中友好」という言葉を標榜するのは、どこか実感が伴わない。それは、日中友好運動に若い世代の加入が極端に少なく、どこも継承が困難になっている現実に表れている。また、「日中友好」のかけ声とは裏腹に、1990年代半ば以降の両国関係は悪化の一途を辿ってきた。とはいえ、中国と良い関係を築いていこうとする若い世代もいないわけではない。彼らはどのように中国や日中関係に向き合っているのだろうか。
* * *
手がかりとして、この夏、鳥取県米子市で行われた戦争展示会を取り上げてみたい。8月13日に「平和のための戦争展」の一企画として、「桧山高雄絵画パネル展:元戦犯が描いた中国侵略絵画」が開催された。著名な画家の作品でもなければ、元戦犯が侵略の実態を描いたというのも珍しい。
準備に当たったのは、戦争展の実行委員で40代の会社員・北川拓道氏(仮名)。学生時代から世界の平和と日常を結び付けるピース・ソングを紡いできたミュージシャンでもある。
準備に当たったのは、戦争展の実行委員で40代の会社員・北川拓道氏(仮名)。学生時代から世界の平和と日常を結び付けるピース・ソングを紡いできたミュージシャンでもある。
もう一つの顔として、「山陰中帰連を受け継ぐあさがおの会」という市民平和団体の代表も務める。今回の展示は2007年に生まれたこの団体の活動の一環である。山陰中帰連とは、戦後の中国で戦犯となり、帰国した人々が結成した平和団体「中国帰還者連絡会」の山陰支部(51名)を指す。収容中に自らの加害責任、戦争責任を自覚した。帰国後は個々の犯罪行為を日本社会に伝えることで、日中友好を実現していこうとした。戦争責任意識に根ざした伝統的な日中友好運動の後継団体として、あさがおの会は出発した。
山陰中帰連とあさがおの会を結び付けたのは、山陰支部の故・難波靖直氏である。あさがおの会の若いメンバーは難波氏の加害体験とその真摯な反省に触れ、自分のなかに「何か」が動き出したのを感じた(写真1)。難波氏ら元戦犯の話を市民に聴いてもらう加害証言集会を企画したり、軍隊経験をまとめた本を共同編集し、出版したりしてきた(『残してきた風景』)。難波氏が2014年に90代で逝去した後も、健在の元戦犯たちと平和発信を続けてきた。また、メンバーそれぞれの関心に沿って、安保法制反対や被爆者との連帯など幅広い平和実践を続けてきた。
山陰中帰連とあさがおの会を結び付けたのは、山陰支部の故・難波靖直氏である。あさがおの会の若いメンバーは難波氏の加害体験とその真摯な反省に触れ、自分のなかに「何か」が動き出したのを感じた(写真1)。難波氏ら元戦犯の話を市民に聴いてもらう加害証言集会を企画したり、軍隊経験をまとめた本を共同編集し、出版したりしてきた(『残してきた風景』)。難波氏が2014年に90代で逝去した後も、健在の元戦犯たちと平和発信を続けてきた。また、メンバーそれぞれの関心に沿って、安保法制反対や被爆者との連帯など幅広い平和実践を続けてきた。

山陰中帰連の最後の一人も今年、101歳で亡くなった。若い世代を静かに巻き込んでいった難波氏亡き後、10年にわたって活動するのは容易ではなかっただろう。元戦犯の加害体験を、当事者ではない若い世代が代わりに話しても、「伝わる」力が違う。また、30代から40代のメンバーは仕事や子育てに、50代から70代の世代は親の介護や自身の病気などにも直面していた。長引く不況の影響もあった。「中国脅威論」に疑問を呈すと、「中国寄り」だとなかなか相手にもされない。彼ら自身に主体的な「何か」がなければ、とても続けられなかっただろう。
今回の桧山高雄絵画展はこうした流れの中で企画された。桧山氏も難波氏らと同じ帰国戦犯で、反省と悔悟を油絵で表現してきた。それは同じ戦犯仲間をも揺り動かし、1980年代以降、福岡や埼玉などで戦争絵画展が開かれた。山陰支部でも何度か開催し、今回はその延長上にある。展示用に作成された絵画パネルは、難波氏らが作成したものを引き継いで活用している(写真2)。
今回の桧山高雄絵画展はこうした流れの中で企画された。桧山氏も難波氏らと同じ帰国戦犯で、反省と悔悟を油絵で表現してきた。それは同じ戦犯仲間をも揺り動かし、1980年代以降、福岡や埼玉などで戦争絵画展が開かれた。山陰支部でも何度か開催し、今回はその延長上にある。展示用に作成された絵画パネルは、難波氏らが作成したものを引き継いで活用している(写真2)。

反省絵画と呼ばれるその筆致は写実的というよりやや抽象的で、トーンも暗い。「観た人がどう感じるかがすべて」だと北川氏は語る。「桧山さんは既にこの世にいない。桧山さんのことや、戦争当時の状況を絵の中から読み取るのはとても難しい。でも、それに触れる場を作れば絵を遺した人の思いに繋がると思って、準備しました」。また、絵画展が「少しでも過去の歴史に向き合う場」になればと、桧山氏の戦前戦後の歩みを説明するパネルを新たに追加し、配布用のリーフレットも作成した。一見すると、国交回復以前から存在する歴史問題に、若い世代も継続的に取り組んでいるという構図にも見える。しかし、北川氏の思いは過去を踏まえた未来に向かっていた。
「学習して、知るだけでは不充分だと思うんです」と力強く語る。「学習するだけじゃなく、そこから未来のために何が活かせるのか理解して、自分たちで教訓としてまとめていくことが大事だと思います。自分のこととして考えることができないと、学ぶことに満足し、学んでいない人はダメだと、歴史や事実を知らない人、考えが異なる人への攻撃になってしまう。そうではなく、平和でよりよい社会、未来を作っていくための一つの行動として、やっていることなんだと。」
「学習して、知るだけでは不充分だと思うんです」と力強く語る。「学習するだけじゃなく、そこから未来のために何が活かせるのか理解して、自分たちで教訓としてまとめていくことが大事だと思います。自分のこととして考えることができないと、学ぶことに満足し、学んでいない人はダメだと、歴史や事実を知らない人、考えが異なる人への攻撃になってしまう。そうではなく、平和でよりよい社会、未来を作っていくための一つの行動として、やっていることなんだと。」
難波氏らのどこに彼らが惹き付けられたのかが伝わってくる。戦犯に問われた日本人は、当初自分には戦争責任はないと反発していた。しかし、中国側の人道的で手厚い対応や、時間を掛けた学習・自己反省活動などによって責任を見出していった。直接的な戦争責任はないとはいえ、どこか無関係ではいられないという複雑な思いを抱えていた北川氏の世代にとって、その引き裂かれた思いを丸ごと是認してくれたのが難波氏らだった。
北川氏は、この夏に山陰で開催されたもう一つの戦争展示についても触れた。島根大学図書館で開催された「戦争と平和を考える2023:ラーゲリ(収容所)にいた島根の人たち」にも、あさがおの会の若手メンバーがかかわり、同図書館に収蔵されている山陰中帰連の史料も展示された。「話題の映画の上映会を入り口にし、地元の身近な素材を扱うのは、若い世代に関心をもってもらう上で大事ですね」。そこには、北川氏が難波氏と同じ側を向いて考えている姿勢が表れている。過去の過ちに向き合い、それを平和友好へと転じた先人の経験から、現在と未来を照らす光を見出すことが、新しい継承の“かたち”となっている。
北川氏は、この夏に山陰で開催されたもう一つの戦争展示についても触れた。島根大学図書館で開催された「戦争と平和を考える2023:ラーゲリ(収容所)にいた島根の人たち」にも、あさがおの会の若手メンバーがかかわり、同図書館に収蔵されている山陰中帰連の史料も展示された。「話題の映画の上映会を入り口にし、地元の身近な素材を扱うのは、若い世代に関心をもってもらう上で大事ですね」。そこには、北川氏が難波氏と同じ側を向いて考えている姿勢が表れている。過去の過ちに向き合い、それを平和友好へと転じた先人の経験から、現在と未来を照らす光を見出すことが、新しい継承の“かたち”となっている。
人民日報海外版日本月刊より転載
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日中の平和友好への鍵を探る(2) 地域の加害責任に向き合う 日中友好運動
日中の平和友好への鍵を探る(2)
地域の加害責任に向き合う 日中友好運動
石田隆至 上海交通大学副研究員
石田隆至 上海交通大学副研究員
人民日報海外版日本月刊 2023/8/28 12:31
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日中の平和友好への鍵を探る(2)
地域の加害責任に向き合う 日中友好運動
近年、日中友好を掲げる運動の中にさえ「中国脅威論」の浸透を感じることがある。さすがに“中国は脅威だ、攻撃に備えよう”とまでは言わない。ただ、“中国は発展して大国になり、膨脹主義に走っている。自由や民主主義を抑圧している。「昔の中国」に戻ってほしい”といった声は少なくない。発展=脅威と感じるのはなぜなのか、変わったのは本当に中国の側なのかと、違和感をもっていた。
そんな時、秋田県大館市にある「花岡の地 日中不再戦友好碑をまもる会」から、毎年行われている「花岡事件中国殉難烈士慰霊祭」の開催案内を受け取った。戦後いち早く国交回復運動を先導し、今も粘り強く日中友好運動を担い続けている先達は、現在の日中関係をどう見ているだろうか。それが知りたくて、信正寺での慰霊祭に4年ぶりに参加した。参列者50名の小さな集まりだが、僅かながら若者も参加し、メディアの取材も見られた(写真1)。
そんな時、秋田県大館市にある「花岡の地 日中不再戦友好碑をまもる会」から、毎年行われている「花岡事件中国殉難烈士慰霊祭」の開催案内を受け取った。戦後いち早く国交回復運動を先導し、今も粘り強く日中友好運動を担い続けている先達は、現在の日中関係をどう見ているだろうか。それが知りたくて、信正寺での慰霊祭に4年ぶりに参加した。参列者50名の小さな集まりだが、僅かながら若者も参加し、メディアの取材も見られた(写真1)。

花岡は、戦争末期に中国から強制連行された捕虜・民間人が奴隷労働をさせられた135ヶ所の事業所の一つである。鹿島組(現・鹿島建設)による虐待・虐殺に堪えかねた中国人は1945年6月末に蜂起したが、官憲や地域住民によって武力鎮圧された(花岡事件)。最終的に986名の被連行者のうち419名が亡くなった。慰霊祭は78年前のこの犠牲者を弔い続けてきた。同会代表の富樫康雄氏によるあいさつは含蓄に富む。
「毎年慰霊の集いを行うことは、決して簡単ではありません。しかし、『殉難者の皆様、安らかにお眠りください』と、最後の集いの宣言を言えるような状況ではないことが、日本政府の頑な態度に表われています。歴然とした歴史上の事実を『そのうちみんな忘れ、なかったことになる』とでも言いたいのでしょうか。」
同氏自身が80代後半で、「まもる会」は高齢化が進んでいる。体調面でも続けるのが難しくなり、若い世代に継承したいと考えても不思議はない。しかし、とても終わりにはできないのが日本の現状だという認識が示されている。逆に言えば、日中間に平和と友好が根付いていれば、慰霊祭を終わらせることができると考えているのだろうか。恐らく逆だ。過去の過ちを自ら反省する動きが社会全体に拡がり、持続しているなら、必ずしも慰霊祭という形を取ることなく、平和と友好のための実践が深まりを見せる「現在」になっていただろうと。
それは夢物語だろうか。戦後ドイツでは、ユダヤ人虐殺などを反省し、戦争被害者に向き合い、負の歴史を学ぶことで、過ちを乗り越える実践が続けられた。それがユダヤ人社会や近隣諸国との関係改善を生んだ。アメリカでさえ日系人強制収容の過ちと責任を認めた。日本政府や社会が好む「欧米基準」は、歴史問題ではなぜか適用されない。国際平和や近隣友好といっても何をすればいいのかイメージしにくいが、今の日本社会にとってそれは負の歴史に向き合うことだと、まもる会の実践は教えてくれる。
とはいえ、同会が長年にわたってこうした特徴的な取り組みを続けられたのはどうしてなのか。富樫氏は、いかに歴史を書き換えようと、時間の経過による忘却を待とうと、事実は消すことはできないと述べる。歴史に向き合う同会の姿勢に鍵がありそうだ。
中国人強制連行と奴隷労働の現場で、市民や行政がこうして慰霊祭を続けているのは稀だ。ただ、1950~60年代には、犠牲になった中国人被害者の遺骨の発掘やその送還運動が全国的に展開された。先駆けとなったのが花岡だった。敗戦後、生存者の要求に基づき、GHQの立ち会いの下、鹿島組によって無造作に埋められた400あまりの遺体が掘り返され、同社の反人道的な戦争犯罪が明るみに出た。火葬後の遺骨にはGHQも関心がなく、鹿島は花岡にある信正寺の狭い本堂に持ち込んだ。蔦谷達道導師による献身的な供養と保管の4年間が、花岡の慰霊祭の淵源となる。やがて現地で事件調査が進み、新中国が成立したことも契機となり、1949年11月に鹿島はようやく信正寺の裏に供養塔を建てた。ただ、コンクリートの穴に遺骨を収め、セメントで蓋をしたもので、納骨堂というより、さながら隠蔽施設だった(写真2)。

その後も鹿島組が遺体を粗末に埋めた山中に遺骨が散乱していることを知った地元の関係者や中国人留学生らが、1950年と1963年の遺骨調査で掘り起こした。その際、政府や鹿島組が虐殺を隠蔽する姿勢を持っていることを告発し、抵抗を続けた。1963年の調査では「一鍬奉仕運動」という形で、花岡の多くの住民が発掘に加わった。この時のことを、まもる会メンバーである故・岩田正行氏が書き残している。
「1963年頃、遺骨発掘の『一鍬運動』に参加する機会があった。その作業を通し、我々日本人はいかに惨い事をしでかしたのか、いかに野蛮極まりないことをしたかを、数多く知らされたのである。考えてみれば、お国のため『天皇のため』といって彼らを罵り、残酷で虐待の限り、過酷な労働を強い、非人道的な悪事を与えてきた立場であったと思うと、我々民びとも帝国主義者、軍国主義者と等しく加害者であった。」
遺骨の掘り起こしに加わった住民は、死後も冒涜的に扱われる中国人の遺骨を拾い上げる自身の手を通じて、自らとその社会の加害者性を身体の奥深くに刻み込んだ。再び戦争が起きれば、その体制のなかでまた同じ加害に手を染めるかもしれない、だからこそ、絶対に戦争を起こさないという強い積極性をもった平和主義を、事実を隠蔽する勢力と対峙しながら培ってきた。戦争は悪だ、悲惨だという抽象論に基づく戦争反対とは一線を画している。情勢が変われば、中国との戦いに備えるのも止むを得ないという「平和主義」は、単なる権力政治(パワー・ポリティクス)の現状肯定だと見ている。
そう考えるとき、彼らがまもり続けてきた「日中不再戦友好碑」という碑銘は示唆に富む。日中友好は不再戦のための努力によって実現できるものであり、単に仲良くするという話ではない。事実、同碑は加害企業による歴史の隠蔽をこれ以上許さないという闘いを通して建立された。
日中友好運動や日本の戦争責任を前提にする歴史観を時代遅れとみなす風潮がある。しかし、不再戦こそ友好であり反省の実践であるという歴史観、平和観こそ、被害者・被害国と共有可能なグローバル・スタンダードである。
日中友好運動や日本の戦争責任を前提にする歴史観を時代遅れとみなす風潮がある。しかし、不再戦こそ友好であり反省の実践であるという歴史観、平和観こそ、被害者・被害国と共有可能なグローバル・スタンダードである。
人民日報海外版日本月刊より転載
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「『どうしたら戦争なくせるの?』集会に参加して」(中桐康介さんの感想文)を拝読して思ったこと 伊関要
「『どうしたら戦争なくせるの?』
集会に参加して」
(中桐康介さんの感想文)を拝読して思ったこと
伊関 要
中桐さんとは、ほぼ20年来のお付き合いになります。野宿者の闘争、日朝友好米作り、朝鮮学校の民族教育支援と長きに渡り活動を共にしてきました。この信頼関係があればこそ、中桐さんから率直な感想をお寄せいただいたとものと思います。同様に私も率直に思うところを述べたいと思います。建設的な議論で一層の協力、団結を願ってやみません。現下の「中国ネガティブキャンペーン」一色のメディア状況からすれば、中桐さんの感想は一般論、通説かと思います。しかし、敢えてペンを執ったのは、差し迫る戦争への危機感からです。そして、戦争を押し止める強力な手立ては、日中友好だということを訴えたいからです。
「習近平独裁政権の圧政・人権弾圧」「覇権主義的傾向を強める中国」「海洋進出を強める中国」・・・。何故、メディアは連日、執拗に中国を誹謗中傷するのでしょうか?!それは偏に、東アジア(台湾、南中国海、朝鮮半島、その他想定外の戦場)における戦争準備の為にです。大発展する中国を最大の脅威とみなすアメリカの東アジアにおける対中国干渉戦争。それは、自らの利益の最大化の為、軍産複合体とウォール街(巨大金融資本)が主導する「戦争国家アメリカ(WARmerica)」が、ウクライナ戦争、中東戦争に続いて策動する東アジア戦争です。ウクライナ戦争では、ウクライナを駒として対ロシア戦争を引き起こし、中東ではイスラエルを通じて対イラン戦争が今なお画策され続けており、東アジアでは、日本を駒として対中国戦争が策動されています。現在、九州から南西諸島・琉球弧にかけて中国に向けたミサイル配備が進んでいます。
88年前、日本軍国主義(帝国主義)は「暴支膺懲(横暴なシナ『中国の蔑称』を懲らしめる)」を国民的スローガンとして、「東洋平和」を唱えながら「南京虐殺」を行いました。スローガンを軽信した国民は提灯行列に繰り出し「南京虐殺」を銃後から応援したのです。この痛恨の歴史を忘れてはならず、繰り返してはなりません。
かつての「暴支膺懲」は日本軍国主義(帝国主義)が唱え、「東洋平和の為の正義の戦争・聖戦」だとして国民を中国侵略戦争に駆り立てました。今は、「戦争国家アメリカ(WARmerica)」(帝国主義)が中国ネガティブキャンペーン(現代版暴支膺懲論)を展開し、「中国(朝鮮)への不安や不信」を煽り、「中国が攻めてきたらどうする!ミサイルが必要だ!」として日本列島のミサイル要塞化をすすめ再び中国との戦争を準備しているのです。
このまま戦争へと進ませない為に、日中友好が極めて重要であることを訴えたいと思います。中国が信頼に足る平和勢力であり、強力な戦争抑止力であることを、中桐さんの感想文に応答する形で述べたいと思います。
まず、習近平国家主席は傑出した尊敬すべき素晴らしい指導者だということです。中国は、習近平政権(中国共産党の指導[真剣な尽力])のもと、中国国内の貧困(国連基準の絶対的貧困)撲滅を(国連目標10年前倒しで)達成しました。その結果、4億人の中間層が創出され、現状の中国の経済発展の原動力になっています。このことは、中国の人々は皆さんご存じで、習近平主席は大人気なのです。内政問題だけではなく、習近平主席は「人類運命共同体」を提唱し、「ウィンウィン、共存共栄、民主的な国際秩序、平和発展」構築に尽力し、具体的に「一帯一路」建設を推し進めています。その結果、発展の為のインフラ設備を手にした第三世界の国々は、このチャンスを捉えて経済発展を実現しています。これがグローバルサウスの台頭です。グローバルサウス諸国の人々の間でも習近平主席は有名で人気がある所以です。何れも米日、G7、西側政権にとって不都合な真実なのでしょう。日本のメディアでも、独裁者・暴君として習近平主席は印象操作されています。「習近平政権のエージェントなのではないかといったような誤ったメッセージを持たせてしまうのではないかとハラハラしました。」との中桐さんの感想も日本のメディア状況下では当然と言えば当然だと思います。でも、習近平主席の実像を知れば全くハラハラする必要は無いかと思います。
次に、「ぼくは、侵略戦争には当然ながら、防衛戦争・民族独立戦争にも反対です。」と中桐さんは仰いました。この点、私の意見は違います。意見は違えども、反戦平和への想いは共通です。共通の想いを基礎に引き続き中桐さんとは共に頑張っていくことを前提に私の意見を述べます。
私は、侵略戦争には反対ですが、民族解放戦争は断固支持です。イスラエル建国当初、侵攻するイスラエル軍の戦車に石礫で起ちあがったパレスチナの人々に、「投石を止めろ」と言えるでしょうか?!日本軍国主義による侵略戦争で、殺し尽くす、奪いつくす、焼き尽くす近代装備の日本軍に対し、槍と刀と旧式鉄砲で立ち向かった中国の人々に、「抵抗するな」と言えるでしょうか?!私は、決して言えないと思います。侵略戦争が現実となった場合、侵略戦争と民族解放戦争の両方に反対するという中立的な立場は存在しえないからです。この場合、中立とは強者即ち侵略戦争の側にくみすることに他ならないからです。侵略戦争(帝国主義者)側か民族解放戦争(人民)側か、何れの立場に立つかがシビアに問われる瞬間です。そして、紆余曲折、時間の長短はありますが、民族解放戦争(人民)は必ず勝利します。新中国の誕生(中国革命)がそのことを証明しています。
続いて、「しかし中国や朝鮮民主主義人民共和国に対する不安や不信は反戦運動の担い手の間でもかなり根強く、そこへのアプローチは非常な丁寧さが必要という認識も改めて持ちました。」とあります。このことは、私も認識するところです。しかし、この不安や不信は事実誤認です。素直に私の意見を述べたいと思います。
私は、中国も朝鮮にも何度か行ったことがあります。朝鮮は決してメディアが言うような「監獄国家」などではなく、人情豊かな居心地の良さを感じる国でした。見ると聞くとでは大違いです。私には何度でも行きたい国です。また、一昨年には、中国の新疆ウイグル自治区を訪れました。メディアで「鎖につながれたウイグル人労働者が強制労働をさせられている」という紡績工場に行きました。鎖につながれた人など一人もいません。ウイグル人労働者の皆さんはマイカー通勤でした。広大な工場でコンピューター管理された最新機器を操る労働者はワンフロワに一人です。労働者というよりもエンジニアと言う感じでした。新疆ウイグル自治区は一帯一路の物流拠点として日進月歩の大発展のさなかにあって活気にあふれていました。
つまるところ、「中国や朝鮮への不安や不信」は、中国ネガティブキャンペーン(広義において「北朝鮮」バッシングを含む・ex朝鮮学校無償化排除)が「現代版暴支膺懲論」であるという本質を見抜けない為におこる「不安や不信」だと思います。人民の(帝国主義者・侵略を許さない)立場に立てば容易に見抜ける問題だと思います。
最後に、“WTO”と“欧米資本主義・多国籍企業の無分別なグローバリゼーション”反対の問題について述べたいと思います。中桐さんが香港で逮捕されたときは、本当に心配しました。でも、元気に無事帰国され、心底ホットしたことを思い出します。
この問題を述べるにあたり、はっきりと区別する必要を感じる事があります。それは"WTOの問題”と“香港・台湾の問題”を区別するということです。
先に“香港・台湾の問題”。香港はイギリス帝国主義がアヘン戦争で中国から奪い植民地にしたところです。台湾は日本帝国主義が日清戦争で中国から奪い植民地にしたところです。元来、香港も台湾も中国の不可分の一部だということです。香港は、1997年にイギリスから中国へ正式に返還されました。台湾は、1971年の第26回国連総会決議2758号により中華人民共和国が中国を代表する唯一合法政府であり、(台湾は)中国の不可分の一部であることが(国際的に)確定しています(一つの中国の原則)(一つの中国の原則は、日中間でも日中共同声明、日中平和友好条約など4つの政治文書で、米中間でも上海コミュニケなど3つの共同コミュニケで確定)。要するに、香港、台湾問題は、いずれも中国の内政問題だということです。従って、「台湾独立支持」「台湾有事は日本有事」「香港民主化支持」の言動は内政干渉の不法行為です。にも拘らず、これら言動が日本でおおでをふるのは、かつての植民地支配者・宗主国国民としての歪んだ優越感が日本人に色濃く残滓しているからではないでしょうか。尤も、中桐さんは「香港民主化運動」の為にではなく、“欧米資本主義・多国籍企業の無分別なグローバリゼーション反対運動”の為に香港へ行ったのですからこの限りでは無いと思います。
では、WTOの問題です。私は、WTOそのものが植民地主義、帝国主義の機関とは見ていません。WTOは経済の国連とも言われる組織です。そして、国連中心主義をとる中国はWTOに加盟しています。中国はWTO内部から、「人類運命共同体・一帯一路構想」を実践することで、WTOの質的変化を促しているよう見えます。それは、“欧米資本主義・多国籍企業の無分別なグローバリゼーション反対運動”に通底するものがあるのではないでしょうか。事実、WTO内での中国の活躍の結果、欧米諸国からは「機能不全」だとして、WTOそのものを白眼視する向きがあります。特に、WTOでの中国の活躍を嫌い、アメリカはWTOへの分担金支払いを停止し、米議会ではWTO脱退法案が審議されています。尤も、中桐さんが取り組んだ“欧米資本主義・多国籍企業の無分別なグローバリゼーション反対運動”は市民、国際連帯を基礎にする運動で、中国の「人類運命共同体・一帯一路構想」は国家レベルの取り組みです。当然、同列に論じることはできません。しかも、私は経済学者でもアナリストでもありません。一市民活動家の感じたままを述べたまでです。結論めいたことは到底言えません。中桐さんとも議論を重ねたいと願います。
以上要するに、「戦争国家アメリカ(WARmerica)」に言われるまま中国との戦争への道は断じて進んではならないということです。日中友好を基礎に「人類運命共同体・一帯一路」の平和発展の道に日本の活路があります。「日中友好は最高の安全保障」です。日中友好が「どうしたら戦争なくせるの?」の明確な回答でしょう。
既に、アメリカには独自に対中国戦争をする力がなく、日本を駒として使うしか方法がありません。なりふり構わない「トランプ関税」に象徴されるように、経済的にも強力だった昔日の面影は最早ありません。それに引き換え、中国は決してアメリカに取って代わり覇権を求めようとはせず、「人類運命共同体」の平和発展の道を貫き、大発展を遂げています。
対米従属ではなく日中友好が最も重要だということがお判りいただけたことと思います。
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京都府精華町の陸上自衛隊祝園弾薬庫に中国攻撃用の新型長射程ミサイル「一二式(ひとにしき)ミサイル」格納用の新弾薬庫の増設計画が進んでいます。このミサイルが発射されれば、着弾地点では多くの中国の方々が無惨に亡くなる事に思い至すべきです。10/19には、精華町現地で「一二式ミサイル」配備反対の全国集会が開催されます。大阪城狛犬会は「日中友好」を掲げて参加するする予定です。痛恨の歴史を繰り返さないために。
【平和と文化を創る祝園・全国大集会】
にご参加ください
日時:10月19日(日)11:00~15:30+平和パレード
場所:けいはんな記念公園
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「 どうしたら戦争をなくせるの?」集会に参加して 中桐康介
「 どうしたら戦争をなくせるの?」集会
に参加して 中桐康介
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「 どうしたら戦争をなくせるの?」集会に参加して
中桐康介
今日(7月6日)はおつかれさまでした。懇親会は遠慮させてもらったので、記憶の新しいうちに何点か感想をお伝えします。
・ダニーさんの話はとてもよかったです。子どもたちにも聞かせたいと思いましたし、ダニーさんの「中学生向け」の本は買って帰りました。○○さんの高校でダニーさんの講演ができないかとか、相談してみようと思います。「隣の国は敵じゃない」ということを次の世代に伝えたいというメッセージは心に残りました。
・石田さんの話もよかったと思います。撫順の奇跡については知らない人も多いと思うので、伝える機会となってよかったと思います。中国の武力(軍事力)について、脅威を感じているのはどちらかという点で中国側の視点を伝え、日米の視点とは違う視点があるということをリアルに伝えていただいたのもよかったと思います。
ただその後半になると、思いが強すぎるようでちょっと熱がこもりすぎて、初めて聞く人には習近平政権のエージェントなのではないかといったような誤ったメッセージを持たせてしまうのではないかとハラハラしました。
・討論については、今後続いていくその最初の取り組みとしてはよかったと思いますが、消化不良であったような気持ちがしています。最後のほうで女性の方が述べておられましたように、いままさにガザで虐殺が進行している状況で何ができるのかという具体的な戦術論を交わせたら未来に展望も持てるのかもしれませんが、まだその段階ではないのかもしれません。
・ぼくは侵略戦争には当然のことながら、防衛戦争・民族独立戦争にも反対です。この点は会場から発言された方と同じですし、理想論といわれてもダニーさんのようなピースフルを貫く姿勢に共感します。
・対話が第一という点と、対米依存から脱却して日中(日韓・日朝)友好をすすめるという点には誰も異論はないと思います。しかし中国や朝鮮民主主義人民共和国に対する不安や不信は反戦運動の担い手の間でもかなり根強く、そこへのアプローチは非常な丁寧さが必要という認識も改めて持ちました。ホームページに書いてある、正しい情報はそこにある、と言われても、響かないところがあるような気がします。ぼく自身の体験でいうと、2006年、香港WTOで逮捕されたときにぼくを助けてくれたのは香港の「民主勢力」でした。日本やアメリカ、いわゆるグローバルサウスの民主主義勢力の運動の人たちです。香港WTOに抗議する運動自体、欧米資本主義・多国籍企業の無分別なグローバリゼーションに対する抗議であり、植民地主義・帝国主義への異議申し立てでした。香港の「民主勢力」も、いわゆる日本の左翼と同じような情報を収集し、いっしょに闘う仲間です。WTOへの抗議行動も、逮捕を跳ね返して起訴取り下げを勝ち取った闘いも、香港の労働者や学生の運動の成果であり、ぼくも多くのものを学び、日本での運動に活かしてきました。
・しかし彼らは香港での国家国家安全維持法にかかる「事件」で「弾圧」を受けました。いま香港に残るぼくを助けてくれた人も、この事件以降、「自由」に物を言えなくなりました。ここでぼくも葛藤を抱えました。中国は欧米や日本とは違うタイプの民主主義を実践している。「自由」という言葉の意味そのものが異なる。このことは理解していても、その過程で異なる「自由」を強制された友人たちはとても納得することはできなかったでしょう。
・理想的には、欧米の覇権主義と対峙する立場でいっしょなわけですから、ぼくの友人たちも納得するかたちで体制移行がすすめられたらよかったのだろうと思いますが、残念ながらそうはなっていません。誰かを犠牲にしたうえでの発展は、それが正しい民主主義の発展だったとしても、その当事者にとっては「弾圧」としか思えないだろうと思います。ここのところはぼくも整理がつかないでいます。
・そのうえでそのうえで、ここが乗り越えないといけないところではないかと思います。日中(日韓・日朝)友好、脱アメリカをすすめるうえで、中国(国家)は信頼できると思うことができないと、歩み寄ることは難しいと思います。香港問題で、さらに今後台湾でも同じような問題が起こりうると思いますが、5年前とは違う形で解決を見出さないといけないと思います。
・「どうしたら戦争をなくせるのか」、そのアイデアは僕にはありません。日朝友好の田植えはとてもとても良い取り組みだと思ってきました。朝鮮の人、子どもたちといっしょに過ごす時間を作れるような取り組みを再度できたらいいなあと思います。
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日中の平和友好への鍵を探る(1) 「以民促官」で 原発汚染水処理を!
このコラムでは上海交通大学を拠点にして研究活動をしておられる石田隆至さんのレポートを連載しています。
このコラムは「人民日報海外版日本月刊」に連載されたものを転載しています(著者および出版社の許諾済み)。
このコラムは「人民日報海外版日本月刊」に連載されたものを転載しています(著者および出版社の許諾済み)。
日中の平和友好への鍵を探る(1)
「以民促官」で 原発汚染水処理を!
石田隆至
人民日報海外版日本月刊 2023/7/26 12:27
日中の平和友好への鍵を探る(1)
「以民促官」で 原発汚染水処理を!
「中国脅威論」が高まっている。とはいえ、中国に対する警戒感を持ってはいても、できれば日中関係を好転させたいと願っている人々は少なくないだろう。ましてや、中国を敵視する現状に問題を感じる人なら、なおさらだ。ただ、いずれにせよ、いったい何ができるのかとなれば、途方に暮れてしまうのではないか。かくいう筆者も、確かな解決策を見出せているわけではない。
他方で、具体的な中国の現実に直接かかわっていたり、日中交流の現場にいるような人々は少し違う。自分の目で直接見て、触れた中国に向き合っているため、日本の政府やメディアが振りかざす中国イメージに必ずしも左右されないところがある。シンプルだが、そこに日中の平和と友好を生み出す鍵を見出せるのではないだろうか。45周年を迎えた日中平和友好条約に込められた平和への願いを、私たちの手に取り戻すための連載にしたい。
* * *
さて、仮にいま、日中関係が平和と友好に満ちているとしたら、私たちの眼の前には、まったく別の「現実」が現れているのではないか――そんな想像力をかき立てられる取り組みを紹介するところから始めてみたい。
福島県いわき市を拠点とする五十嵐義隆氏とそのチームはいま、目前に迫っているといわれる東京電力福島第1原発の汚染水海洋排出の阻止に取り組んでいる。彼らは、2011年3月の原発事故の後、地元にとどまって地域社会の復興に取り組み続けてきた人々である。汚染水排出反対の運動は各地で起きているが、同氏らの取り組みの特徴は、“地球レベルの海洋環境の保護”を“日中友好”と結び付けて実現しようとしている点にある。この二つがどう結び付くのか、イメージし難いだろう。
原発汚染水の海洋排出は、その放射能を十分に処理しきれないところに問題がある。世界の共有財産である海に、予測困難な長期的影響をもたらす可能性を否定できない。他方、中国ではごく近年、放射能の除去や原発廃炉に関する新たな技術が開発され、その効果が検証されたという。それを活用できれば、海洋放出という方法に頼らずに済む可能性が出てきたことに、五十嵐氏らは着目した。中国や韓国など周辺国では、海洋放出に対する強い懸念が表明されているだけに、中国の関係者からも理解と協力が得られるのではないかと考えた。
しかし、その妨げとなった要因の一つが、現在の日中関係である。踏み込んでいえば、日米による中国敵視が障壁となっている。核関連技術は原発だけでなく、軍事転用される可能性を持つだけに、技術提供には慎重にならざるをえないことは十分理解できる。逆にいえば、平和友好条約の精神が両国間に根付いていれば、原発事故への対処という世界共通の重要課題を、国際協力と核技術の平和利用へと発展させられる余地があった。
とはいえ、五十嵐氏らの取り組みは、こうした国際関係の壁の前に立ち止まってはいない。国家間関係に困難があるなら、民間で先取り的に可能性を模索し、それに政府を巻き込んでいこうと取り組んでいる。このアプローチは、日中間に国交がない時代に突破口となった「以民促官(民間が政府の動きを促す)」という歴史的経験から学んだ。同氏らはその可能性を深めるため、まず「一般社団法人 李徳全研究会」を立ち上げた。李徳全女史は、中国紅十字会総会(赤十字に相当)の会長として、1954年に日本の民間平和団体に招かれて来日し、日本人戦犯や残留日本婦人らの帰国実現に道筋を付ける上で大きく貢献した。現在の日本政府も当時と同じように中国敵視を鮮明にしているが、同じアプローチが有効だと考えたのは、中国の平和主義は一貫しているという洞察からである。(写真1)

原発事故後の福島が直面している課題は、廃炉や汚染水処理だけでない。人口減少、各種産業の衰退による経済停滞が深刻となっている。地元で震災復興に携わってきた五十嵐氏らは、地域振興のためには政府の補助金頼みではなく、地域経済の自立的な発展が不可欠であると感じていた。そこで見出された活路が、日本政府や財界が不信感を持ち続けている「一帯一路」である。中国から世界各地へと拡がるオープンな経済協力ネットワークに連なることで、中小企業を含めた地域経済が活性化したという事例は、多くの協定国から報告されている。バブル崩壊後の日本は30年にわたって賃金が上がらず、むしろ下がっている。所得水準を向上させるには、閉鎖的な国内経済網から抜け出す必要があるという“草の根の叡智”がそこにあった。一帯一路は政府間協定が先行するとはいえ、実際には民間企業同士の経済活動が主体となる。その活動基盤として同氏らは昨年、新たに「一般社団法人 日中共同市場促進会」を発足させた。日中友好が堅固であったなら、一帯一路を介して経済の再生が既に始まっているかもしれない“現在”を考えずにはいられない。
一帯一路の背後にある基本理念「人類運命共同体」についても、日本社会では懐疑的に取り上げられるばかりである。グローバル化した現代世界では、国益や社会体制を越えた人類益の次元で取り組まないと解決できない問題が多い。同氏らは、それを実践しているのが、西側諸国ではなく中国だという現実を世界各地で目の当たりにしてきた。だからこそ、汚染水排出の問題についても地球環境問題として共同で取り組んでいける可能性が十分にあると考え、今年6月末には「一般社団法人 CJ国際原子力被害総合対策機構」を発足させるまでに至っている。(写真2)
一帯一路の背後にある基本理念「人類運命共同体」についても、日本社会では懐疑的に取り上げられるばかりである。グローバル化した現代世界では、国益や社会体制を越えた人類益の次元で取り組まないと解決できない問題が多い。同氏らは、それを実践しているのが、西側諸国ではなく中国だという現実を世界各地で目の当たりにしてきた。だからこそ、汚染水排出の問題についても地球環境問題として共同で取り組んでいける可能性が十分にあると考え、今年6月末には「一般社団法人 CJ国際原子力被害総合対策機構」を発足させるまでに至っている。(写真2)

* * *
ここまで、戦争責任や贖罪意識をベースにした伝統的な日中友好運動とも、貿易や投資などビジネスに特化した経済交流とも異なる、ユニークな取り組みの一端に触れてきた。日中間の「躓きの石」となっている歴史問題に触れないわけではない。むしろ歴史的な積み重ねの上に新たな可能性を見出している。また、利益・利害だけの結び付きは情況に左右されがちで脆いことも経験してきた。だからこそ、戦後の中国が日本に対して投げ掛けてきた平和共存への願いを確かな基盤に据えた、新たな交流を紡ぎ出そうとしている。
日中関係が平和と友好を基調とするようになれば、訪れるかもしれない別様の“未来”の視点から、現在の日本と中国がいかに歩むべきかを引き続き照らし出していきたい。
日中関係が平和と友好を基調とするようになれば、訪れるかもしれない別様の“未来”の視点から、現在の日本と中国がいかに歩むべきかを引き続き照らし出していきたい。
人民日報海外版日本月刊より転載
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日本のマスコミがほとんど報じない「ニュース」 (番外編)
今回は「番外編」です。ご笑覧頂ければ幸いです。
墨面拝
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日本のマスコミが
ほとんど報じない「ニュース」 (番外編)
「本ニュース」の“ネタ”は、元はと言えば情勢判断のために集めた自分用の“メモ”程度のものに過ぎません。ある方から:「日本の方はあまり知らない情報だから、皆さん(特に「運動」に関わっておられる方々)と共有してはどうか」と勧められ、調子に乗って、皆さんの“お目汚し”となった次第です。
実に「意外」なことに結構好評につき、いつの間にか「№25」迄になってしまいましたが、反面、これは“予想通り”に「反発」も結構あります。その中身はほぼ以下です。
1、“客観性”と“公平さ”を欠いて、「中国」に偏り過ぎ(=中国礼賛?)。
2、中国などの「プロパガンダ」に染まっている。「陰謀論」に陥っている・・・等々です。
「1」についてはまったく反論の余地はありません。・・・と言うよりそれこそが目的です。無論「中国」にも“ネガティブ”な面もありますが、私が敢えて指摘するまでもなく、マスコミが連日、実態を誇張して報じていますし、たまの“ポジティブ”な情報でも、末尾に必ず悪意の“尾ひれ”が付いています。
こうした「99.999~%」の報道と違った「0.000~1」の情報があってもそう悪くはないと思いますがいかがでしょうか。
さて、問題は「2」です。特に、「香港“民主”運動」「新疆ウイグル問題」「台湾問題」・・・「ウクライナ戦争」等を指しているようです。
この数日、朝日新聞が大紙面で連続して「香港」「ウイグル」を引き合いにした中国ネガティブキャンペーンを張っています。数日前にその『天声人語』で、「香港騒動をCIAの陰謀だとする中国とロシアのプロパガンダ=「陰謀論」に影響された人々によって日本の“民主”が歪められている・・・ウンヌン」と書かれていました。おそらく「1%」にも満たない「中国、ロシア」の報道は「プロパガンダ」で、欧米(+日)から流れる99%の情報は“言論の自由”“報道の自由”に守られた「真実の報道」だと信じているか、又はそう信じさせようとしているかのようです。
あの「NHK」でさえ、「香港の騒乱」の原因の一つに、「植民地教育」があるとして、香港の教科書にイギリスの香港支配に関して、「アヘン戦争による植民地」には一切触れず、ただ「“通商の自由”を実現したイギリスの功績」と記されている香港で現に使われている教科書の実物をその証拠として示していました。
これが“まとも”な報道姿勢というもので、お決まりの「・・・とある証言者」の“談話”や主張を垂れ流すことで、事の“本質”に逼ることなく、“イメージ”を醸し出そうとする姿勢は到底“まともな”報道、報道人とは言えません。一言で言えば「“プロパガンダ”だ!というプロパガンダ」とでも言いましょうか・・・
因みに、私がこの「ニュース」を書くにあたって、根拠となる基礎資料はほとんどが「欧米系マスコミ」の報道に依拠しています。本来は中国などの資料を参考にすれば“手っ取り早い”のですが、日本の“意識状況”を“考慮”して敢えてそうしています。
さて、過去の「原爆投下」や「無差別空襲」等を挙げるまでもなく、日々起こる「米兵によるレイプ事件」、「飲酒運転による交通死亡事件」、「毒物=フッ化化合物の垂れ流しと農地汚染」「米軍事故」・・・、そのほとんどが日本で罰せられることもなく、そして今も、日本の至る所=都心のど真ん中でさえ堂々と米軍基地が居座り、加えてトランプによる理不尽な「関税攻撃」等々・・・にも関わらず日本の対米好感度は今だ80%以上で、「ニュース№23」でも触れた通り、「大阪万博」では1万人以上の学生がヘラヘラと『星条旗を永遠なれ』をマーチングしたことにマスコミの一社でさえ疑問の声を挙げていません。
方や、かつての日本による侵略や植民地支配はさて置いても、これまで爆弾の一つも日本に投下したこともなく、兵士が一人として日本に来て、日本人を殺傷したこともない中国はどうでしょう?!今だ「嫌中反中」世論90%が続いているようです。
「プロパガンダ」やその影響をいうならば、この“桁違いに”より深刻な状況に何故目を向けないのでしょう。実に不思議です。
2025/7/7 墨面
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日本のマスコミがほとんど報じない「ニュース」№25
日本のマスコミが
ほとんど報じない「ニュース」№25
今回は「希少鉱物(レアメタル)」についてです。レアメタルについての科学的組成や、現代産業における決定的な重要性、また、その採掘や精錬、製品化における中国の絶対的優位性については、既にマスコミでもかなり報じられているの今回は触れません。別の角度からこの問題を見ていきたいと思います。
実用的価値を考えれば、レアメタルの価値は、「黄金」を遙かに超えていると言えるでしょう。にも関わらず、これまで極めて「安価」に取引されていました。何故かというと、一つは、先端科学を牛耳る「先進国」の使用度が高く、いわゆる“価格決定権”で先進国が圧倒的に優位にあるからです。いわば、「りんご一つ」の値段は、これを売る「青果店」が決めるのではなく、「買い手」が“○○円にしろ”と決めるという“逆転現象”が続いていました。「覇権」を握るアメリカをはじめとする「先進国(=帝国主義)」の“特権”です。
レアメタルに限らず、第3世界の産物は、ほぼすべてのこうして「搾取」されます。典型的なのは「石油」です。かつて、石油価格は産油国ではなく、「採掘技術」は無論、流通や金融を握る「先進国」主導で決められていました。こうした“覇権と搾取”に抵抗するために産油国が団結し「OPEC(石油輸出機構)」を立ち上げたのです。無論、アメリカをはじめとする「先進国」は、“切り崩し”と“無力化”をはじめます。「中東」での混乱と敵対を作り出す“要”となるのが「イスラエル」です。アメリカをはじめとする「先進国」がイスラエルを全力で扶養するのはその為です。ついでに言うと、いわゆる「アラブの春」という“動乱=フラワー革命”を画策したのもその為です。
「OPEC」以外にも、「先進国」による石油支配に抵抗し、「国有化」を図ろうとする動きも起こります。「シリア」「イラク(フセイン)」、「リビア(カダフィー)」そして「イラン」等です。お気づきでしょう、すべて「反独裁」「民主」「人権」・・・という“錦の旗”を掲げて、アメリカ(+先進国)が近年戦争を仕掛けた国々です!「ハリス元副大統領」でしたか、公の場で「アメリカの戦争はとどのつまり“石油利権”を守る戦争でした」と発言しています。
相手が“中国”となると、レアメタルに関しては状況は少々違います。その最たる手段は「盗掘」と「密輸」でした。つい数年前まで、推定で中国のレアメタルの海外流出量の「40%以上!」が、こうした違法な手段で流出していました。
「先進国」資本が、生産地の一部の悪徳企業や地方政府の腐敗役人を買収、結託し、こうした輩による無計画、無規則な乱採掘などによって、「価格低下」は無論、極めて重大な環境破壊=汚染が蔓延し、一帯に十数カ所を越える「癌村」が生まれています。そして抗議する住民を地方の悪徳役人が武力で押さえるという事態が度々発生しています。その代償の先に、「“安価な”製品」が途切れることなく日本やアメリカを含む「先進国」に流れ続けたのです。
こうした事態に中国(中央)政府が対策に乗り出します。無数にあった零細業者を6つの企業に集約すると共に、採掘、精錬、製品化を国家の管理下に置き、「違法な輸出」を阻止すると共に、「環境負荷=高汚染」を克服する技術革新に全力を傾けます。こうした試みは現在も続いています。つい先日も大規模な「密輸」を企てた業者の摘発があったことが報じられています。
「トランプによる関税攻撃」のお陰か、中国で最近、こうした資源の管理における「追跡システム」を完成させたという情報が伝えられています。今後、これまでのような「密輸」は無論、軍事目的への「転用」はますます困難になることでしょう。
15年(2010年)前、「尖閣における漁船追突事件」を発端に、中国の日本への「レアメタル禁輸」がありました。
その中から中国は“相矛盾”する二つの教訓を得たようです。日本はこの禁輸処置に対し、これまでの“密輸”に加え、輸入先の“多様化”や「都市鉱山(*産業廃棄物からの再抽出)」、さらには限定的とは言え「技術革新」によって“代替品”を模索等々でこの危機を乗り切ろうとしました。
その結果、これまでの依存度90%を60%にまで縮小したと言われています。
この「90%→60%」をどう見るかという点で意見が分かれるところでしょう。ある程度の「代替」が可能であると同時に、15年もかかって「30%」しか減少できない上に、数倍に及ぶ“コスト上昇”によって製品競争力を低下させると言う副作用もあります。ついでに言うと、その後日本はアメリカ等と共同で「WTO」に提訴し、最終的に中国が敗訴しています。
中国もこの“日本体験”から多くの教訓を得ています。レアメタルをめぐる中国の「位置」はこの上なく“優位”ではあっても、まだ「絶対的」とは言えません。いくら優位な位置にあっても、今後とも、中国が「レアメタル」を武器に他国(アメリカも含めて)に対し、絶対的な「禁輸」をすることはありません。
これは“極限的に追い詰めれば必ず反動がある(=窮鼠猫を咬む?)”という、中国の“哲学”であると同時に、現実的な“選択”です。その逆を行くのがアメリカで、今まさに中国に対しやっていることです。中国に対し「半導体規制」を極限まで行ったために、中国は“やむなく”不採算であっても、莫大な資金を投じて、次々と“関門”を突破しています。そうせざる得ないとも言えます。「宇宙開発」や「AI」、「先端兵器」等々、その前例を一々列挙する必要もないでしょう。
今回の「米中関税交渉」で、中国はアメリカへのレアメタル「管理規制」を緩めました。アメリカを“崖っぷち”まで追い詰めない中国の“智恵”です。軍事を含む中国の安全保障に関わる分野では一切妥協せず、中国にとって脅威にならない「自動車産業三社」に対してのみに規制緩和(*6ヶ月のみに限定)したのもその証です。もとより中国にとっては強力な“切り札”ではあっても、「レアメタル」を売るのは中国にとっても、“商売”として当然必要なことなのです。「全面禁輸」をするはずはありません・・・。
2025/7/2 墨面 記
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