日本の伝統芸術と伝統芸能
仏像と仏像彫刻・
青い目の人形と答礼人形
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最近は毎日のように桜便りがTV,インターネットなどの情報で彼方此方から聞こえて来ます。 北海道などはまだ吹雪の日が有るようですが、5~6月になると北の地も花見で賑わう事になるでしょう。
中国・敦煌などの気候は今どんなでしょうね。寒風が吹きづさむ厳寒の頃でしょうか。下の写真は敦煌郊外の現在の様子ですが、莫高窟はこの辺りから5kmの位置にあるとのこと。今はハイウエーが走っておりますが、昔は流砂の原を駱駝に乗った隊商の群れが、ゆっくり歩んでいた事でしょう。
敦煌・莫高窟
観音菩薩像(57窟)
敦煌・莫高窟の57窟の壁画の中でもっとも美しいとされている菩薩像です。「樹下説法図の右脇侍観音菩薩」です。 下の写真の法隆寺・壁画と比較してみてください。仏頭の上の天冠、化仏、胸飾りの瓔珞、手首に腕釧(わんせん)、二の腕に<ひ釧>が描かれております。
法隆寺 壁画
法隆寺・壁画
敦煌・莫高窟の57窟壁画の観音の描き方は素晴らしいですね。目元、目尻の描き方は能面の女面の<曇らす>という表現の仕方と同じです。法隆寺の方は形式化された仏顔として描かれておりますが、莫高窟の観音はより写実的に描かれ、色使いも複雑で、完成当初の美しさが偲ばれます。
日本人が西域に赴くのは現代になってからですから、数百年の時間の経過の中で、洛陽や長安という名の時代に、日本から渡った遣唐使などに乗船した僧侶などが、持ち帰った文化的知識の成果が法隆寺に今なお残っているのでしょう。下の写真も法隆寺・金堂の壁画の複製写真です。なかなか良く描けており美しいですね。日本人の感覚が織り込まれていることでしょう。その後の伝統ある日本画の原点でしょう。
法隆寺・金堂壁画・複製
今回は観音菩薩の壁画を題材にしてみました。
では、次は答礼人形に移りましょう。(青い目の人形は現在資料整理中です。しばらくお休みします)
「答礼人形」
毎回、答礼人形の身元探しのような状態が続いております。よくもまあこんなに複雑に間違う事か、首を捻らんばかりです。現在と違って写真撮影が手軽に出来なかった時代でもありますし、時間的に余裕がなかった当事の事情もありで、このような結果になったと推定します。
さて、今回の答礼人形はMiss 島根(撫子ちゃん)です。でも、この子も実は取り違っていました。正確なところは調査の結果、Miss 和歌山 でした。
Miss 島根 (元・Miss 和歌山)
所蔵都市 | インディアナ州インディアナポリス |
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所蔵館 | インディアナポリス子供博物館 |
アメリカ中西部にあるインディアナ州の博物館にMiss 島根 はここ10年程常設展示されております。この博物館は世界最大の子供博物館だそうで、お道具も殆ど揃い、パスポートや切符も共に大きなケースに入れられて展示されております。答礼人形の中では一番長く展示されていた人形だそうです。
Miss 和歌山は「菊・牡丹・桜など日本独特の花模様を・・・」と「紀州六つ葵の紋」を付けていることから、(下の紋にも合致する)現在のMiss 島根であるとされました。
人形の紋 |
紀州六つ葵 |
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道具の紋 |
撫子 |
Miss 和歌山(元・Miss 奈良)
では、元・Miss 島根 はどこにあるのでしょyか? 断定できないのですが、Miss 島根に良く似ている人形が見つかりました。コロラド州の個人が偶然所蔵していた日本人形がそれでした。
個人所蔵の日本人形
コロラド州デンバーにある個人の方が所有している日本人形の身体に、「岩村 松幹斎」という名前を発見しました。結果的には答礼人形でしたが、詳細は不明のままで、個人の所有物ですから修復も出来ず、かわいそうな姿のままで所蔵されております。所有者の認識不足は多分にありますが、どうにもならないという事でしょうか、かわいそうな気持ちがします。
せめて、日本で完全に修復できたら、細かい事も分かってくるでしょうが、法律の壁は意外と厚いのでした。
本来のMiss 島根の着物の色は撫子色を表すピンク、花鳥の模様でした。まさにこの人形がそれに合致します。
顔の部分の胡粉が剥落して、痛々しい感じがしますね。顔立ちもとても悲しそうに見えます。人形も人間と同じで、幸不幸が有るのですね。
ある方がこの人形の所有者をたずね、Miss 新潟の名前でデンバーにある答礼人形の写真を見せた事が、この不明人形の発見につながりました。 知らずにこの方が今まで所有していたのでした。偶然の賜物でした。
Miss 新潟(デンバー)
でも、このMiss 新潟も実は取り違えがあり、本当はMiss 横浜市でした。これについては次回にしましょう。
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