白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

日本の伝統芸術と伝統芸能-043

2013-03-16 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と伝統芸能

 

          

                     仏像と仏像彫刻 

          青い目の人形答礼人形 

                                            -043

        莫高窟-002

       

敦煌 莫高窟 遠景

 日増しに暖かくなってきました。桜前線も九州・福岡から次第に北上している模様です。月末までには全国至る所で桜の開花が見られるでしょう。西南諸島はこれから春の大潮の季節です。日中に大きく潮が引き始め、あちらこちらで近隣の集落の方々が干上がった浜で、思い思いに潮干狩りを楽しむ事でしょう。

                 

さて先回は中国西部の砂漠地帯・敦煌にある、「莫高窟」を尋ねました。中国の西域はウイグル族という中国の漢民族とは違った民族の地です。この辺りには「楼蘭」という伝説めいた故地が存在しておりました。紀元前2世紀ころには実在した様です。以前からドラマになったこともあり、夢多き故地です。

莫高窟は楼蘭から東方に向かって砂漠地帯と漢民族の古都・洛陽・(西安)の接点に存在し、古からシルク・ロードの中継点として栄えましたが、北宋ころから衰え始め忘れられた存在でしたが、1900年に敦煌文書が発見されてから、英・仏国にあるいは日本など諸国に文書が持ち出され、研究の対象になり、一躍文化の世界に蘇り、現在に至っております。

 

  

 

莫高窟の文化財は近年中国政府によって、補修保存が進められて居り、我が国のNHKなどの文化番組でも以前から紹介されてきました。<シルクロード・絹の道>は読者の皆さんも記憶に残っていると思います。

 

             

 

莫高窟の文化財は岩窟を掘り込んだ仏像群、内部の壁には多数の壁画群が残っております。 西方アジアやインド、パキスタンの文化、あるいはギリシャ方面の文化がシルクロードを通過して来て、莫高窟で花開いたようです。

 

   

 

上記の中央の如来を中心にして、観音や天部が取り囲む形式的にかなり似た様式が、日本の法隆寺に見られます。明らかに敦煌を経由した文化である事を示しております。 ただ、写真機やコピー機がなかった時代に、数千kmも離れた東海の孤島に、たった100~200年間位の間に、実に正確に伝播していった事に驚嘆する思いです。

 

                               

 

菩薩像、羅漢の造形は日本国内で一般的に見られるような形式ですね。動きが見られるのも大きな特徴です。岸壁を刳り抜いた丸彫り佛か石材を彫刻した仏像かはハッキリしませんが、極彩色に荘厳されており、光線が当らない暗闇の中とはいえ見事なものです。

         

 

日本の伝統芸術・文化の多くは、このような西域や・中国・朝鮮半島経由から伝播されて来た文化文物の大きな影響を受けております。そして、その文化は日本の文化に中に吸収され昇華され、能楽・歌舞伎、能面・仏像・日本画など多くの文芸・文化の作品を生み出してきたのでした。

 

 

上記の壁画の上部に舞う<飛天>も、日本の寺院の中には数多く見られるモチーフです。退色しているところが有りますので、当初の色彩とはかなり違って見えると思われます。特に鉱物の顔料は錆びて変色があります。

 

 では、次は答礼人形に移りましょう。(青い目の人形は現在資料整理中です。しばらくお休みします)  

 

 

        「 

          

 

答礼人形のご紹介もいろいろ試行錯誤で、ある時は探偵のような感じで推理を働かせながら、資料を探しました。 贈呈したアメリカの地で取り違えが発生したり、錯誤や破損などで思わぬところへ届けられたり、途中に発生した不幸な戦争で行方不明になったり、自然災害で美術館や博物館が崩壊して、答礼人形も被害を受けました。 送り出した日本でも確りとした準備が出来なかった事もあり、後日に人形を確認する際に、困難を極める事にもなりました。

戦争などで国民が大変な目に遭ったと同時に、答礼人形も苦難を経験したという事になります。 人形の毛髪は人間の毛髪を使っておりますので、現在収蔵されている人形の中には、数本の白髪が混じっているとの事です。

 

              答礼人形 Miss 山口(人形師不明)

                   

所蔵場所   ニューメキシコ州サンタフェ

         インターナショナル・フオーク・アート美術館

人形の紋        丸に二つ引き

                          

 道具の紋        牡丹唐草  

                    

 このMiss 山口 は元来シカゴのシカゴ美術館に贈られた模様です。1929年のシカゴ美術館の案内書に掲載されていました。シカゴはイリノイ州、サンタフェはニューメキシコ州です。どうしてこんなにも距離が離れたところに、現在所蔵されているのでしょう。

・・・・当時シカゴ在住の富裕な家柄であった、バートレット夫人がサンタフェに新しく美術館を建てる際に、持ってきたということです。どのようにして個人がこのような公的な美術品を持ち出せたのかは、詳細はわからないのです。

 

             Miss 広島  (元 Miss 山口

            

 

この人形も調査の結果、取り違えがあったという結果になりました。結論としては現 Miss 広島 は正確には Miss 山口 とされています。では、現 Miss 山口 は誰?ということになりますが、結論はMiss 佐賀 となっております。

                          Miss 佐賀                                               

               

さて、話はまた混沌として来ました。調査の結果、Miss 佐賀 は当初ペンシルバニア州フィラデルフィア 商業博物館に贈られるはずでした。しかし、現在はこの人形は行方不明となっております。その後1998年にフィラデルフィア 美術館から情報が入り調べたところ、実際にフィラデルフィアに送られたのは、Miss 東京府 でした。そして、Miss 東京府 と似通った人形があること分かり、この人形がMiss 佐賀。 

複雑極まりなくなりましたが、現在Miss 東京行方不明です。資料の写真などを元にして、特定している状態です。

         Miss 広島     ←    元 Miss 山口

         Miss 山口     ←    元  Miss 佐賀

                              行方 不明    元 Miss 東京府

ただ、注意をしなければならない事は、非常に似通った人形が結構存在するという事です。ですから後日新たな事実が判明するかもしれません。

調べて書いているはずの筆者でも、頭がクラクラするほどです(^-^)

次回はMiss 島根 について書いてみましょう。  

                        

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