白洲 正子文学逍遥記

故・白洲正子様の執筆された作品を読み、その読後感と併せて能楽と能面、仏像と仏像彫刻、日本人形、日本伝統美術についてご紹介

日本の伝統芸術と伝統芸能-045

2013-03-28 | 日本の伝統芸術

 

日本の伝統芸術と伝統芸能 

         

 

                     仏像と仏像彫刻 

          青い目の人形答礼人形 

                                            -045

 

 

敦煌月牙泉

 

 敦煌市外のすぐ傍の砂丘の中のオアシスに造られた箱庭のような造形物。離宮のような感じです。取り巻いている砂丘は鳴沙山。東西約40km、南北20kmの広大な砂丘です。でも、現在は砂丘の向こう側には大きな都市(人口13万人・漢民族)が広がっており、その周囲一帯は広漠たる砂と岩と山岳の世界です。海抜1700m、年間降水量39mmという大変な乾燥地帯です。これだけ見たら砂漠の中のお伽の国のような感じですね。

                      

 先回は敦煌莫高窟の壁画をご紹介しました。中東、タクラマカン砂漠、中国本土、朝鮮半島、日本という広大な地域を含む大きな文化圏が、古代にあったことを思い出させてくれます。その広大な地域を、駱駝や徒歩で西から東へと文化は伝播して行ったのでした。

法隆寺や東大寺、興福寺、唐招提寺、薬師寺などの古代日本の誇る文化財および建築物の殆どが、その源泉をはるか西域に求めるものである事に、改めて驚かされます。正倉院の御物の中には遠くペルシャやギリシャという気の遠くなるような遠方からもたらされた事にたいして、驚きを改めて感じ得ません。

           敦煌・莫高窟第112窟壁画反弾琵琶

         

               唐(618~907年)

  胡旋舞を踊る舞人  

    

 

阿弥陀如来の前の舞楽の一隊と胡旋舞を踊る舞人を描いています。上は全体図、下は一部の拡大図です。

* 胡旋舞・・中東地域・西域方面に古代から伝習された踊りの技法の一つで、同心円状に旋回しながら舞い踊る手法。 生理的には眼が回るような状態になり、次第にトランス状態になって行き、人によっては霊界との交信が出来るようになって行くようです。日本の「巫女」のような存在かもしれません。

 この壁画の絵を見ておりますと、各所に日本画、仏画の原型を発見できます。

A- 線描画・・・細い筆を使って、上手に美しく描いております。日本画では細い面相筆で細く長く描く。

B- 女性の顔立ち(下膨れ・ぽっちゃり顔)・・・奈良・平安の女性の美人の基準です。

C- 足の指、手先・・・仏像の手足と同じ手法・・この壁画自体が仏画でもあるからですが。

D- その他・・・・楽器のハープの原型が見えます。蓮の花びらが各所に描かれております。肌の白は「白土」かもしれません。日本の場合は奈良時代は白土、そして胡粉に変わって行きました。材料の質は白土が上質です。胡粉は貝殻の粉から作りますので、日本方面(極東の海の傍)の独特の手法でしょう。それにしても1000年以上前の白が鮮やかに残っております。

いずれにしても、構図も素晴らしく、描画技法も現代と遜色ありません。当時最高レベルの画家が描いたのでしょう。それも真っ暗闇の洞窟の中です。明かりは蝋燭位しかない時代です。奇跡です。

次回は今回同様、壁画について書いてみたいと思います。

 

 では、次は答礼人形に移りましょう。

 

                          

 

                      Miss 新潟 Miss 横浜

 

さて、今回はコロラド州デンバーに移りましょう。先回の最後にご紹介しましたMiss 新潟 です。ちょっと人形の顔立ちがいつもと違っている事に気が付きましたでしょうか。京都・大木人形店で製作した市松人形です。

所蔵都市   コロラド州デンバー デンバー・ミニチュア・人形おもちゃ博物館

            人形の紋                       道具の紋

                                         

 

現在、Miss 新潟として博物館に所蔵されている答礼人形は本来のMiss 新潟ではありません。この人形はMiss 横浜市 です。上の人形の紋は横浜市市章ですし、道具の紋も横浜市のものです。元、Miss 新潟も現在行方不明となっております。

この人形は3度も里帰りを果たし、当初かなり痛んでいたそうですが、現在は見事に蘇り上記のような状態で、アクリルの立派な人形ケースに収まっているそうです。

* Miss 新潟 はどのような人形だったんでしょうか。HPをいろいろ検索しておりましたら、「にいがた文明開化ハイカラ館」というブログを発見しました。以下はその記事からご紹介します

現在、Miss 新潟雪子は行方不明ですが、当時の記録がありました。人形は京都・大木商店製のようです。カラー写真ではないので人形の表情が良く分かりませんが、ちょっと見には関東の人形のように見えますが・・・

平成9年に新潟の二葉幼稚園に残されていた資料から、正確なMiss 新潟雪子の姿が分かりました。今どこに所在するのでしょうか。個人が知らずに持っているとは思いますが、写真資料が現存しておりますので、見つけられたら確認は正確に出来ます。

            Miss 新潟新潟雪子

         

           道具一揃え

           

記録(当時の日刊紙)によれば、サンフランシスコ → ワシントン → ニューヨーク → 全国ツアー → この後行方不明 という事が分かりました。

 

       日本に送られた<青い目の人形

      

結果的には、「Miss 横浜」はコロラド州デンバーの所在し、「Miss 新潟」は 行方不明でした。

ほんのちょっとの手違いか何かで、危うく何を逃れた人形、不幸にも行方不明、あるいは現在するのに所蔵者の無理解で修復が受けられぬもの・・・人間と同じような経過をたどっております。出来るだけ関係者が健在なうちにすべての答礼人形を確認し、修復してもらいたいと思います。

でも、逆に日本に送られた12739体の青い目の人形の内、323体しか現存が確認されておりません。製造単価が600倍も違うので、経済の原則から行っても答礼人形が残りやすいのは当りまえですが、当時の政府の考え方の違いが大きな差が出てきた要因となりました。 人形には罪は有りません。

 

 

文化財に対する教育の欠如は、大きな不幸を生んでしまいます。敦煌の莫高窟の壁画が剥ぎ取られ、英国博物館を始めとして、各国の先進国に持ち去られ、移動できないものが現在残っているのが現在の姿です。美術史は我々も学ばなければならない学問です。 西洋美術史・東洋美術史・日本美術史・絵画史・彫刻史・民俗学etc

では、次回をお楽しみに!

 

 

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