狸  森  日  記

                 ムジナnoモリnoクラシカタ

river

2008-11-05 05:10:03 | ひとりごと


中洲・・と言えば、日本全国知る人ぞ知る歓楽街である
その中洲は那珂川の河口付近に出来た三角州に有り、川が那珂川と
博多川とに別れる辺りの東に九州各地から若者が集まってくる
「キャナルシティ」がある。

那珂川と博多川と、福岡で国体が開催されるのに合わせて作られた
「国体道路」とでなす三角地帯は「南新地」と言って、昔はダンス
ホールなども有ったが、今では風俗の店が密集している。

昼間でなくては、用事のない人間は、近寄れない。
今でも名前は残っているが、三角州の始まりの尖った一帯に「清流
公園」がある。僕らが子供の頃はこの地域で花火大会が催されていて
見物するのに絶好のスポットだった。


河口から上流に向かって「みなと大橋」「那の津大橋」「須崎橋」が
架けられ、那珂川と博多川は須崎橋の直ぐ上で元の那珂川に合流する
本流の那珂川を遡ると「西中島大橋」があり薬院新川が合流している


「西大橋」があり「福博であい橋」が作られた「春吉橋」「灘の川橋」
「住吉橋」と続き「稲荷橋」「清住橋」「簑島橋」と3つの小さな橋が
あり、渋滞で有名な「百年橋」「那珂川筑肥橋」「南大橋」「清美大橋」
と続く。尚も「きよみ立体橋」「清水橋」「塩原橋」とあり、一つ名前
が無い橋があり「番托井堰」(ばんたくいぜき)となる。


この「番托井堰」今から約200年以上も前に作られ多くの田畑を潤して
きた。春吉から今の博多駅近辺辺りまでの田畑で、我が家も農家であ
ったので、大雨の時などは、親父は、この「番托井堰」の見回りに
出掛けていた。


川は田畑を潤す反面、大雨により氾濫し洪水ももたらした。
上流に建設された南畑ダムはその用途を以下のように記しています
「洪水調節・防災・不特定用水・河川維持用水・上水道用水・発電」
・・・と。

以来洪水の心配は無くなりましたが、昔、粋人が船を浮かべて楽しんだ
「清流那珂川」の面影はなくなった。