小児科医の三好邦夫氏のの著書「失速するよい子たち」(主婦の友社)では、
近年急増している
成績も、性格も、行いもよい子たちが、
不意にエネルギーが枯れ、不登校、無気力、身体の不調に陥る症状について
紹介しています。
こうした症状に陥る子どもは、
幼児期から、自分を抑えて、いつも考えてはじっくり努力するような
精神緊張の高いタイプなのだそうです。
幼児期の子どもというのは、行動の先を読んだりしません。
感情も抑制できません。
また、一生懸命努力するのも難しいです。
しかし、幼児期から、大人みたいに自分の行動の結果を読んで、
一生懸命努力して、行動する。感情の抑制がつよい。
人の気持ちに合わせる。いつもきちんと緊張している。
こうした子は、小学校の上級生ごろに、
エネルギーの短期的な枯渇を起こし始めるそうです。
特に心配なのは、中学生の
エネルギーの枯渇だそうです。
著者の小児科医の三好先生は、こうした子があまりに多いことに驚いているのですが、あとがきでこんなことを書いておられます。
私は医師の通例として狭い交際範囲しか持っていないから、多くをしらないが、世の中と広いつきあいがある職業を持っている知人が言うのに、
「そうした子どもを持った家庭は、あちこちにありますよ。
私は職業柄、経済的には安定した、両親そろって教育熱心な家庭といろいろ接触が
ありますが、小学校、中学校あたりまではよく勉強ができて、ひそかに親は子どもを自慢していた。それが、高校ぐらいから、どんどんやる気がうせて、中退したり、卒業しても、そこで何もする気がなくなってしまう。それが快復しないで、二十五になっても、三十二なっても、そのままです。先生、そうした子どもを治療するのでしたら、いくらでもご紹介しますよ。お金なんかいくらかかかっても良い。子どもの人生は変えられない。」
こうした子どもの心身症の原因は、
幼児期に作られるようです。
子どもは本来、楽しさ中心の暮らしです。やっている最中の楽しさが
すべて。
結果抜きで、それ自体が楽しいからやる。
身体を動かしてする。
仲間といっしょにする。
そうしたことを十分せずに、
結果を見通し、
役に立つか、意味があるか、人のプラス評価に添っているか…
と考える功利的な大人の思考で、子どもに生活させると、
(子どもの部分が不足した親はそうしてしまうそう。)
それは成長するにしたがって、
子どもを蝕み、エネルギーを枯らせるそうなのです。
うまく、大人になるまで成長しても、高学歴、一流会社、真面目、無邪気、
無趣味、一生懸命の性格で、うつ病でもないのに、
小さな挫折で、会社に行く気力も何も失うような
あやうさを持っているそうなのです。
現代社会の抱える大きな問題ですね。
子どもが幼い頃は、親も無邪気に、エネルギッシュに、
楽しさ中心の日常に付き合ってあげることが大事なようです。
幼児期というのは、「遊び」を通して、感性とエネルギーを養う時期
なのですから…。
新聞の科学欄にこうした記事が載っていたそうです。
いままでは、刺激に対して反応する神経細胞をふやそうとする方向が注目されてきた。ところが、一度広がった脳細胞の機能ががんとして自分の場所を
明け渡さないと、ほかの機能が入る余地がない。
頑固になってしまう。それ以上前進できなくなる。
不要になった機能が、自分から新しい機能に座を譲ることが、
脳の発達には重要である。
幼児教育を考える方は、幼児教育のあり方をよく考えないと、
幼児の間だけ天才で、その後の学習の妨げになる脳を育ててしまいます。
本当の幼児教育は、
子どもが全身全霊、遊びに打ち込むのを助けてあげることです。
知的な成長を助ける楽しい経験をさせてあげることです。
友達との遊びやけんかのなかで、子どもが
その年齢の子の心の動きを学ぶのを
そっと後押ししてあげることです。
子どもがゆっくり成長してゆくことを
心から楽しめる親が、
エネルギーに満ち溢れた真に賢い子どもを育てます。
近年急増している
成績も、性格も、行いもよい子たちが、
不意にエネルギーが枯れ、不登校、無気力、身体の不調に陥る症状について
紹介しています。
こうした症状に陥る子どもは、
幼児期から、自分を抑えて、いつも考えてはじっくり努力するような
精神緊張の高いタイプなのだそうです。
幼児期の子どもというのは、行動の先を読んだりしません。
感情も抑制できません。
また、一生懸命努力するのも難しいです。
しかし、幼児期から、大人みたいに自分の行動の結果を読んで、
一生懸命努力して、行動する。感情の抑制がつよい。
人の気持ちに合わせる。いつもきちんと緊張している。
こうした子は、小学校の上級生ごろに、
エネルギーの短期的な枯渇を起こし始めるそうです。
特に心配なのは、中学生の
エネルギーの枯渇だそうです。
著者の小児科医の三好先生は、こうした子があまりに多いことに驚いているのですが、あとがきでこんなことを書いておられます。
私は医師の通例として狭い交際範囲しか持っていないから、多くをしらないが、世の中と広いつきあいがある職業を持っている知人が言うのに、
「そうした子どもを持った家庭は、あちこちにありますよ。
私は職業柄、経済的には安定した、両親そろって教育熱心な家庭といろいろ接触が
ありますが、小学校、中学校あたりまではよく勉強ができて、ひそかに親は子どもを自慢していた。それが、高校ぐらいから、どんどんやる気がうせて、中退したり、卒業しても、そこで何もする気がなくなってしまう。それが快復しないで、二十五になっても、三十二なっても、そのままです。先生、そうした子どもを治療するのでしたら、いくらでもご紹介しますよ。お金なんかいくらかかかっても良い。子どもの人生は変えられない。」
こうした子どもの心身症の原因は、
幼児期に作られるようです。
子どもは本来、楽しさ中心の暮らしです。やっている最中の楽しさが
すべて。
結果抜きで、それ自体が楽しいからやる。
身体を動かしてする。
仲間といっしょにする。
そうしたことを十分せずに、
結果を見通し、
役に立つか、意味があるか、人のプラス評価に添っているか…
と考える功利的な大人の思考で、子どもに生活させると、
(子どもの部分が不足した親はそうしてしまうそう。)
それは成長するにしたがって、
子どもを蝕み、エネルギーを枯らせるそうなのです。
うまく、大人になるまで成長しても、高学歴、一流会社、真面目、無邪気、
無趣味、一生懸命の性格で、うつ病でもないのに、
小さな挫折で、会社に行く気力も何も失うような
あやうさを持っているそうなのです。
現代社会の抱える大きな問題ですね。
子どもが幼い頃は、親も無邪気に、エネルギッシュに、
楽しさ中心の日常に付き合ってあげることが大事なようです。
幼児期というのは、「遊び」を通して、感性とエネルギーを養う時期
なのですから…。
新聞の科学欄にこうした記事が載っていたそうです。
いままでは、刺激に対して反応する神経細胞をふやそうとする方向が注目されてきた。ところが、一度広がった脳細胞の機能ががんとして自分の場所を
明け渡さないと、ほかの機能が入る余地がない。
頑固になってしまう。それ以上前進できなくなる。
不要になった機能が、自分から新しい機能に座を譲ることが、
脳の発達には重要である。
幼児教育を考える方は、幼児教育のあり方をよく考えないと、
幼児の間だけ天才で、その後の学習の妨げになる脳を育ててしまいます。
本当の幼児教育は、
子どもが全身全霊、遊びに打ち込むのを助けてあげることです。
知的な成長を助ける楽しい経験をさせてあげることです。
友達との遊びやけんかのなかで、子どもが
その年齢の子の心の動きを学ぶのを
そっと後押ししてあげることです。
子どもがゆっくり成長してゆくことを
心から楽しめる親が、
エネルギーに満ち溢れた真に賢い子どもを育てます。
親が考えていろいろなところへ連れて行くのも良いですが、たとえば今日の計画など、子供自身が考える機会を作らなければいけないのかな、と気づかされました。
「そっと後押ししてあげる」とても心に響きました。
主人にも、さっそく仕事から帰ったらこのなおみ先生の記事をよんでもらおうと思います♪ いつもありがとうございます♪
今は危険も多くて子どもを自由に遊ばせることが本当に難しいですね。
エネルギーが枯れてしまってるのですか^^;
あらためて幼児教育の難しさを実感しました。
なのたんも自ら自分のやりたいことを見つけられるといいなぁ~
僕も一緒になって楽しみたいです。
子供のためを思った結果がこうなると、親も辛いですよね。
子供が本来持っている力を出せるように、まずはとにかく遊びます♪
それからゆっくり考えてみますね。
エネルギーの枯渇は、私自身もギリギリかもですよ(笑)
なんか最近は、坊ちゃんのパワーをもらってしのいでいるような・・(汗)
とにかく元気です
朝の9時から夕方5時まで猛暑の中で練習しているんですが、
聞けばお昼休憩のときも鬼ごっこや馬跳び、蝉採りに忙しいそうで・・・
夕方、迎えに行くとまだまだ元気いっぱいの子供たち。
一緒に連れて行く4歳の息子を交えて遊びながら帰るので、
普通に歩けば20分で帰れるはずが1時間かかることも・・・
「みんな~お家の人が心配するから帰るよ~」と言っても
「は~い!」と返事だけで前には進めず・・・/hiyo_shock1/}
先日、帰りが遅いと様子を見に来た他の子のお母さんに思いっきり睨まれちゃいました
かなりお怒りの様子で自分の子供さんを
「こんなことするんだったら先生に言うよ!」と叱っていました。
まだ3年生だし、親御さんの心配も解るので、翌日からは
「○○ちゃん、一回お家に帰ってお母さんに言ってから戻ってきたら?」と言うと
「だって、一度帰ったらもう出してもらえないから・・・」
そうだよねぇ、みんなとっても楽しそうだもんね
みんなと遊びたいよね
私としては10分か20分、一応、大人の私が一緒に居て車や自転車、時には不審者に気を配りながら、子供たちが楽しめるならいいかなぁとお気楽に思っていたので、
睨まれたときは怖かったです反省・・・
近いうちに先生か保護者会の会長さんから叱られそう・・・
無限のパワーを持った子供たち。
そのパワーの行き場を失くしてしまうのは
無限の可能性までも失くしてしまいそうで心配になります。
虫を採る、木に登る、花に触れる、風に吹かれる、陽の光を浴びる・・・
街中の限られた自然の中で、限られた時間で精一杯遊ぶ子供たちはこんなにも生き生きと眩しいのに、叱られちゃうんですね
おばちゃんは体力的について行くのが辛いけど、
一緒に笑ったり、驚いたり、喜んだりは出来ます。
蝉取りだってまだまだ負けない
「○○のお母さん、あそこの蝉採って~」
「降りれない~助けて~」
「ねぇねぇ、おばちゃん逆上がり出来る?」
まずいなぁ、早く帰さなきゃとは思うのですが、
みんな楽しそうで、可愛くて・・・
困ったことに私も楽しい
運動が苦手な娘も頑張ってみんなの後をついて行きます。
私がみんなと遊ぶのも嬉しいようで
「お母さん、今日も迎えに来てね」と毎朝言います。
やっぱり子供は遊ばなきゃ!
ですよね。