半年ぶりのお能です。
「神遊」十周年記念特別公演。於:宝生能楽堂。
「卒都婆小町」。
ああ、これは傑作だ。この感動は、言葉ではうまく表せない。
能は、最上級の音楽である。そう強く実感した。
単に「音」だけではなく、総ての視覚で捉えうるもの(能役者はむろん囃子、地謡、後見に至るまでの人間の動き)も含め、つまりそこに現れる「場」(時間、空間)そのものが、音楽的としかいいようがない感興と感動とをもたらす。そんな感じ。
(歌舞伎でも、ごくまれに、良くできた義太夫狂言にて、主役から脇まで揃って入神の演技を見せたような場合に同様の感覚を得たことがあるが。ごくまれなことだが)。
例えばワーグナーの「トリスタン」や「パルジファル」等よりもずっとずっと昔に、こんなにも綜合芸術の名に相応しいものがわが国にて完成されていたとは、能、おそるべしだ。
シテの観世喜正は、よく伝わる明確な演技をする。持ち前の美声で、深草の少将が憑いてからの狂乱をハイトーンにてよく表現し、真に迫った。ワキの森常好も声良し、存在感ありで、前段の問答を大いに盛り立てた。
本日の番組は、観世銕之丞による舞囃子「融 酌之舞」、観世喜之による一調「放下僧」もあり、ベテランの至芸の一端に触れることができた。やはり流石なものである。
他に、野村萬斎で狂言「鱸包丁」。
きりん舎殿ご贔屓の若手演能グループ
「神遊」、私も今後応援してみようかという気に。
あの趣きのある矢来能楽堂にもまた行きたいな。
(より詳細かつ的確なレポートが「百八記」に掲載されています→
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camera: Ricoh R1s film: Konica CENTURIA PORTRAIT400