日本のゆくえ

日本の経済と、日本人の精神はどこへ行くのか? 新自由主義社会に反乱を起こし、生き残るためのブログ

「運」と、幸せになれる4つのポイント

2008-03-03 09:15:49 | Weblog
今日は雨が降って、運が悪かったな~とか、昨日は天気で、運が良かったな~とか。

良いことが起きれば、「運が良かった」
悪いことが起きれば、「運が悪かった」

皆さんの中で、「運」を信じる人は、こんな心情で生きてはいないでしょうか。

ところが、パチンコの世界で有名なプロ集団「梁山泊」の連中は、「運」などというのは0.3%の要素しかない」と断言していました。

僕も、まったく同意見なのですが、彼らが有名になった「花満開」という機種のように、チャッカーに入ったときのセンサー入力タイミングを、機面状にある一ヵ所のランプの点灯タイミングから測定し、大当たり判定の周波数タイミングと合わせて入賞させることで、大当たりを導き出すというやり方。つまり、プログラムの理解と、玉を飛ばすインバータの理解、この理屈を理解しているからこそ、常勝組に入ることができ、「運などというのは0.3%の要素しかない」と言い切れたのでしょう。

0.3%というのは、確立で言えば333分の1ですから、正に大半の人間が「運」でパチンコで勝負するという、初期設定の確立の世界から逃れられない状況にあるわけです。

我々の一般の生活も同じで、「運」などというものを信じていれば、経済的に永遠に貧困が続いたり、生活習慣病まで「運」のせいにしてしまったりで、愚か者のルーティンからなかなか抜け出すことはできません。

そもそも、「運」というものは何なのか?

それを知るには、我々貧乏人の対極にある現在の金持ち集団、ゴールドマン・サックス証券が、なぜゼロ・サムゲームの証券市場で勝ち続けることができるのかを考えなければならないでしょう。

先週の朝まで生テレビで、森永卓郎氏が「日銀が経験したことのない20%もの金融引き締めを行っている。日銀とハゲタカが手を組んでいるんです」といって、本間正明や、出演者の大半が苦笑いをする一方で、我らが菊池英博先生などは朝生に初出演して、喜んでいましたが、日銀の金融緩和や、政府の財政出動は日本経済と明らかに連動していながら、マスコミがそれを隠し続けてきたのでしょう。

植草一秀さんなどは、ケインズ学派のイメージがありますが、実際フリードマン学派で、財政出動と景気浮揚の動向の論理で株価予測をことごとく当てる名人でした。植草氏は、村上ファンド設立の指南役でもあったのですが、彼に散々儲けさせてもらった村上世彰などは、植草氏に弁護士一人紹介することもせずに、見放して切ってしまいました。

その一方で、村上ファンドで資産運用していた福井総裁と、彼の出身会社であるゴールドマン・サックス証券の関係性がうっすら目に浮かんできます。

植草氏の逮捕事件に関しては、竹中金融財政担当大臣と植草氏を換えようとした、青木元参議院議長の意向が伝えられた直前の逮捕劇でしたから、植草氏が指摘したUFJ銀行に関する政府サイドのインサイダー取引の疑惑などもあり、国策逮捕の噂が広まりました。

日本財政研時代の我々は、植草氏をオフ会に招く一方で、週刊ポストの某記者から別の情報も入ってきたので、中立姿勢を保つことになりましたが、小泉&飯島の地元の神奈川県警の逮捕というのもあり、まあかなりの部分、国策逮捕の可能性もあったのではと想像しています。

一昨日放送された、周防正行監督作品「それでもぼくはやっていない」を見た人なら、なんとなく植草氏のことを思い出したのではと、想像してしまいます。

あの単調なテーマを二時間半も放映させたのは、「Shall we dance」の周防監督の力量と、テレビ局側の何らかの意図を感じさせずには、いられませんでした。

話はそれましたが、「運」について話を戻します。

まあ確かに、努力しただけでは「運」が良くならないということで、多くの人が努力を諦めてしまいます。

しかし、成功した人は、ほとんどの人が努力をしているという事実が対極にあるので、諦めない人たちは、努力しても努力しても報われないというワーキングプアーの永久ルーチンにはまってしまうのですが。

本当に効果のある努力を考えるなら、

1,マクロ経済を政治的に動かして、「確率」と「運」の初期設定を自分に有利にすること。

2,貧乏人の列に並ばずに、わずかな間口しかないお金持ちの列に早めに並ぶこと。

3,「運」を信じずに、「理屈」で1%しかいない幸福な人の生活習慣を真似すること。

4,そして、その「理屈」の事実は世に知られないように封印しておいて、「運」で世の中が動いていると、マスコミを使って大衆を情報扇動すること。

新自由主義者が、たゆまぬ努力をしている、この4つが幸せになれるポイントなのでしょう。