越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

サルバドール・プラセンシア『紙の民』(6)

2011年10月17日 | 書評

 

 確かにページを三つ四つの柱(コラム)に区切って、複数の登場人物の物語を共時的に展開するような形式の小説は、そう多くない。

 だが、「作者の死」を宣言するメタフィクションの仕掛けや、本の中に真っ黒な部分が出てくるようなタイポグラフィカルな試みによって過剰に彩られた反秩序のバロック小説は、十八世紀末のローレンス・スターン『トルストラム・シャンディ』を嚆矢として、現代アメリカ文学でも、フェーダマンの『嫌ならやめとけ』からダニエレブスキーの『紙葉の家』に至るまで、これまでにもあった。

 だが、単に作者の権威だけでなく、バチカンの権威や男のマチスモもこなごなにする、エルモンテの「神話」を創造したという点でユニークであり、作者は僕の心地よい既視感を吹き飛ばしてくれたのだ。

 本書がデビュー作であるこの小説家の真価は、第二作で試されるだろう。(了)

(『文学界』2011年11月号308 -309頁)


 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« サルバドール・プラセンシア... | トップ | 書評 宮田恭子『ルチア・ジ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

書評」カテゴリの最新記事