越川芳明のカフェ・ノマド Cafe Nomad, Yoshiaki Koshikawa

世界と日本のボーダー文化

The Border Culture of the World and Japan

サルバドール・プラセンシア『紙の民』(5)

2011年10月16日 | 書評

 

 土星との戦いを始めるメキシコ移民のフェデリコ・デ・ラ・フェは、グアダラハラ時代、夜尿症のせいで妻メルセドに逃げられる。

 ストリートギャングのフロッギーは、恋人サンドラの父をそれと知らずに殺してしまって逃げられる。

 男女のあいだで繰り広げられるそうした三角関係に、サムソン王の首を切る妻デリラの役をリタ・ヘイワースが演じるという映画(『サムソン』)のエピソードが接続されて「悪女(マリンチェ)」の伝説が重層性を帯びる。

 この小説は一つには、女に逃げられた情けない男たちがどうやってその恨みや悲しみを癒すか語ったものだ。

 フェデリコは、火の棒を自分の体に押しつけ、火傷による痛みによって、悲しみ(と夜尿症)を癒す方法を編みだす。

 一躍スターダムにのしあがったリタ・ヘイワースに対して、かつてつきあっていたレタス収穫労働者は、銀幕にレタスをぶちまけて「売女め」と叫ぶ。

 恋人に逃げられたフロッギーは、ひとり家に閉じこもる。

(つづく)

 


 

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