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書評 ハワード・ノーマン(川野太郎訳)『ノーザン・ライツ』

2021年01月04日 | 書評

青春小説、多文化主義を内包 
ハワード・ノーマン(川野太郎訳)『ノーザン・ライツ』(みすず書房)
越川芳明

十代の白人少年を主人公にした「青春小説」だ。白人といっても父はウクライナ系、母はイギリス系である。

舞台は一九五〇年代後半のカナダ中央部・マニトバ州の秘境。冬には昼でもマイナス十四、十五度になる極寒の土地だ。

少年は母の計らいで、詫(わび)しく閉ざされた実家から一五〇キロほど離れた辺境の村で五回の夏を過ごす。

少年に部屋を提供してくれるのは、サム(イギリス系白人)とへティー(クリー族)の老夫婦で、少年とほぼ同世代の、夫婦の甥ペリーも同居している。

少年はそこで自分の英語文化とはちがう先住民の文化と触れ合うことになる。

少年はまずバイリンガルのへティーからクリー語のてほどきを受け、簡単な挨拶ぐらいはできるようになる。だが、サムからは「話し方を学ぶのはいい、でも白人がクリー語で考えることはできないのを、忘れてはいけないよ」と、釘を刺される。

キリスト教の宣教師たちが先住民を「野蛮人」とみなし「教化」しようしていることを戒めているのだ。

へティーの老父にはクマ狩りにつれていってもらうことになるが、ペリーが少年に「人間と自然(動植物)との共生」という先住民の世界観を伝える。

「動物たちはいつも聴いているんだ。食べるものがたっぷりあることをぼくらが当たり前に思っているとわかったら、彼らは狩りのときにその身を捧げてくれない」と。

その辺境の村はもともとクリー族の村だったが、フィンランド語の葬送歌を歌う大男をはじめ、フレンチ・カナダ人やノルウェイ人など、英語を母語としない人々も住みついている。

カナダは世界にさきがけて一九七一年に「多文化主義」の導入を宣言した。

文化に優劣は存在しないとして、先住民文化をはじめとするエスニック集団の文化と英仏文化とが平等であることを、のちに憲法に明文化した。

それまでは英仏系を頂点にしたエスニック・ヒエラルキー(階層性)が存在して、その最底辺に先住民がおいやられていた。

現代でも優れた国策にもかかわらず都会に住む先住民が過酷な境遇にさらされている。

主人公の少年が多感な時期に過ごす辺境の村は、「多文化主義」をじかに肌で教わる「学校」だった。

そういう意味で、この物語は少年少女の読者には「多文化主義」を学ぶ格好のテクストになるだろう。

『日経新聞』2020年12月19日

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