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書評 石山徳子『「犠牲区域」のアメリカ』

2021年01月04日 | 書評
核の汚染と人種差別
石山徳子『「犠牲区域」のアメリカ』(岩波書店)
越川芳明


米国ニューメキシコ州のロスアラモスは原爆開発の「マンハッタン計画」の拠点として有名であるが、本書では原爆に関連する米国内の各拠点を辿っていく。

長崎に投下された原爆のプルトニウム生産現場のハンフォード・サイト(ワシントン州)、ウラン開発地コロラド高原(南西部)、高放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場候補地ユッカ・マウンテン(ネバダ州)、放射性廃棄物の中間貯蔵施設を誘致したスカルバレー(ユタ州)など。

これらの地名はあまり知られていないが、共通する点はなんだろうか。

どこも大都市からはるかに遠く隔たった辺境であり、誰も住む者がいない「不毛の土地」と見なされている点だ。

本書はそうした「不毛の土地」という常識のウソを暴き立てる刺激的な研究書だ。

というのも第二次大戦から冷戦期にかけて、米国の原爆開発にかかわったこれらの場所は「不毛の土地」どころか、古代から先住民たちが土地の精霊たちをうやまい、動植物と共生しながら生きてきた「神聖な土地」だったからだ。

「ストックホルム国際平和研究所」のデータ(2019年)によれば、世界の軍事費の四割を米国が占めているという。

軍事予算は約七千億ドルで国家予算の一割弱だ。

「国家安全保障」という大義名分のもとで、軍事大国アメリカの基盤とも言える原子力開発。

それに伴う多少のリスクは仕方ない、と誰しも考える。

なぜなら、リスクは大都市に住む市民ではなく、「不毛の土地」が負うのだから。

核による汚染は、米国の人種(先住民)差別と分かちがたく結びついている。

被害を受けるのは、きまって社会の周縁に追いやられた先住民だ。

日本でも「核のごみ」の最終処分場の選定をめぐって、財政難で苦しむ北海道の過疎の村や町が危険を承知で候補地に志願している。

政府が膨大な「調査費」を提示しているからだ。

ここにも資本主義世界で「犠牲」になる人々がいる。本書はそんな現代日本の課題をも考えさせてくれる。

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