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書評 ジェスミン・ウォード『骨を引き上げろ』

2022年01月04日 | 書評
災害を生きた「救済」の物語
ジェスミン・ウォード『骨を引き上げろ』
越川芳明

十五歳の黒人女子高校生が語る物語。

舞台は米国南部ミシシッピ州の架空の町、ボア・ソバージュ。フランス語で「野生の森」という意味だ。

メキシコ湾を臨む浜辺や湿地帯(バイユー)から遠く離れ、堅固な樫の木などからなる森を切り開いてできた黒人貧困層の人たちの共同体だ。 

いまなお鹿やキツネの生息するそうした「野生の森」に、少女は飲んだくれの父親や三人の十代の兄弟と住んでいる。母親は七年前の、末っ子のお産のときに亡くなっている。

少女の語る物語は、社会の周縁に追いやられた人々のそれだ。具体的には、二〇〇五年にルイジアナ州ニューオーリンズやミシシッピ州に甚大な被害をもたらしたハリケーン・カトリーナがやってくる十二日間の出来事が一日ごとに語られる。

少女は、父や三人の兄弟、そして兄たちの遊び友達という男ばかりの世界で、次兄が並々ならぬ愛情を注ぐメスの闘犬の出産と生きざまに魅せられる。そして、母親と過ごした日々の記憶が彼女の中に鮮明に残っている。

この小説が素晴らしいのは、語りの文体にある。

まるで人生の辛酸をなめた黒人ラッパーのように、自分に妥協しない言葉が吐き出される。

地の文では基本的に動詞の現在形が用いられているが、ときどき短いフレーズやリフレインが挟まれる。そうしたスピード感のある文体によって、描写の場面がまるでいま目の前で起こっている出来事のように読者に迫ってくる。

忘れてならないのは、文学好きの少女が夏の課題として読み進めているというギリシャ神話へのたび重なる言及だ。

少女はメディアという、愛と憎悪と復讐の人生を生きたコルキスの王女に感情移入する。それは、王女メディアが少女と同様に、たくましい女性だが、好きな男性の前ではからっきし無力で、そして大きな代償を払ってまで尽くすにもかかわらず、最終的には裏切られてしまうからだ。

ここで好きだった男の子に妊娠させられて苦難を味わう少女の物語は、男性中心主義社会における女性の孤軍奮闘という、より普遍的なテーマにつながってくる。

ハリケーンを「生き永らえたわたしたちは這うことを学び、残されたものを拾いあさる」と少女は言う。「死と再生」の通過儀礼を通して、少女が「希望」を獲得する、優れた救済の物語だ。
(「日経新聞」2021年11月6日)


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