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重松清「その日のまえに」を撮った大林宣彦監督 インタビュー「富と無縁でも」「70歳の新人宣言」

2012-03-28 | 各界インタビュー(新聞赤旗等より)
  
    映画作家 大林宣彦  70歳の新人宣言

       「富と無縁でも 平和に連なる作品が撮りたいな」 



               しんぶん赤旗日曜版2008年11月9日号より


 映画「その日のまえに」は、自分のデザイン事務所を持つ売れっ子のイラストレーター(南原清隆)が、余命宣告をされた妻(永作博美)と、「その日」(死ぬ日)の最期のときを迎えるまで懸命に生きる姿を描きます。
 人気作家、重松清さんの同名の連作短編集をもとにしています。

 妻でありプロデューサーである恭子さんからこの本を手渡され一読したとき、大林さんは、大泣きしてしまったといいます。

 「映画にすべき本に出会った、恋人に会ったような感動でした。僕は、映像になりやすい本には関心がない。本も映画も想像力で読んだり見たりするものですから。自分なりに登場人物の心を読み解き、一つの色を選んで表現してコミュニケーションが成り立つか、見てくださる皆さんと対話してみたい、と珍しく動き出してしまいました」

 手紙たずさえ

 あまたの希望者の中から映画化の権利を獲得。原作者の心をとらえたのは、大林さんの若々しい心でした。
 お互いの事務所が近いと知り、映画化のお願いの手紙を投函せず、わざわざ持って行ったのです。

 「その時、封書に切手はいらないから、こどもみたいに手書きで切手の形を記しておいた。そんなこともあって重松さんは、僕を『向日性』の人間だと思い、原作を預けます、と。

 もともと泣きの涙の難病ものを描くつもりはありません。悲しいだけではなく、よく生きたと胸を張って誇らしく踏み出すのが死の世界。それを泣きの涙の商売にするのは罪深い。
 自分が70歳になって初めて送られていく側の気持ちも見えてきたんですね。40代の作家が書いた物語を、彼の父親の世代の者が映画にして化学変化を起こしたかな、と思いますよ」

 映画は、主人公たちの現実世界に、過去の世界や、現実にはありえないことを織り込んで描くユニークな描き方。イメージの自由なはばたきが魅力です。

 「現実にはあり得ないとわかっていても、こんな場面があったらいいなと誰もが思うシーンを入れたりしました。”うそから出たまこと”です。 プロの作り手としては踏み込んではいけないところに踏み込んだかもしれない。妙なおびえと至福感が一緒にある。生まれて初めての映画体験でした」


 1938年生まれ。終戦を迎えたのは国民学校2年のときでした。周りの少し上の若者たちは戦場に行き、たちまち遺骨になって戻ってくるという日常の中で育ちました。

 1月に古希を迎えた自分を「70歳の新人」と言います。60台に長野県の無言館を訪ね、衝撃を受けたことによります。

 「恋人を描き、妻を描き、親を描き、古里を描いている戦没画学生の絵が、私に迫ってきたのです。戦没学徒の遺稿もそうです。私よりほんの少し上の彼らが、24,25歳で完結させられてしまった表現にまさるようなものを、自分は作ってはいない。これで生きていたといえるのか、と」


 「僕たちは平和な時代を生きたつもりが実は平和ではなかった、どこで間違ったのか、しっかり確かめる必要があるのです」

 大林さんは、そうした思いを、映画人九条の会の会へのメッセージにたびたび表明。
 同会への入会に際しては、「私達が未来を生きる子どもたちに残すべき遺産は、平和を手繰り寄せる知恵と努力こそであります」と寄せています。


 スターウォーズより、スターピース

 10月に『ぼくの映画人生』(実業之日本社)を刊行。出身地・尾道を舞台にして話題を呼んだ「転校生」(82年)に、高度経済成長への異議を込めたといった自身の歩みとともに、「映画作家」とは?の自問への答えを記しています。

 「どうやれば上手な映画を作れるかよりも、どうすれば『イマジン』が歌える世界になるか、50年後に子どもが映画を観ていられる日本を、映画がどうやってつくるか、こうしたことを考えていくこと」と。

 「9・11の同時多発テロが起きたとき、ビルに飛行機が突っ込む場面は、明らかにテロリストが映画から盗んだ映像だ、と世界中の映画人が思ったはずです。戦争を描く『スターウォーズ』ではなく平和を願う『スターピース』を作っていたら、あんな映像になるテロは起きなかった、という反省もしたはず。面白い『スターウォーズ』にはお客が入って商売になるし、地味な『スターピース』はもうからない。でも僕は、富や名誉には縁が無くとも『スターピース』に連なるものを撮りたいな、と思います」

                  児玉由紀恵記者  撮影・片桐資喜記者

 おおばやし・のぶひこ 
 広島県生まれ。CMや個人映画で活躍し、77年、「HOUSE/ハウス」で劇場映画に進出。
 尾道3部作の「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」、新尾道3部作のほか、
 「北京的西瓜」 「青春デンデケデケデケ」(芸術選奨文部大臣賞)、「なごり雪」 「理由」など。
 「日々世は好日」(日本文芸大賞特別賞)など著書多数


   

高畑淳子 赤旗インタビュー「欲望という名の電車」「組曲虐殺」 / 映画「猿の惑星」脚本家と赤狩り

2011-12-11 | 各界インタビュー(新聞赤旗等より)
 高畑淳子さん主演で、テネシー・ウィリアムズの代表作「欲望という名の電車」(鵜山仁演出)が、12月9日から上演。
 高畑さんは、「どれだけ遊んでも飽きない、最高のおもちゃ」と、この芝居の独特の魅力を語ります。


 「女のいやらしさ、誤魔化し、うそ、とか、誰しも確かにやった覚えがあるというのが、随所にある芝居です」

 崩壊する姿をどう演じるか

 アメリカ南部の都市ニューオーリンズの一角で展開します。高畑淳子さんは、没落豪族の娘、ブランチ・デュボアを演じます。ブランチは妹の住む家を訪ねます。豪族の娘として暮らした頃のことが忘れられないブランチは、話し方も妹の亭主らとは違います。
 
 「美しいものに囲まれ、美しい夕焼けを見て、美しい言葉を操って培ってきたものがアダになる。自分を時代に合わせることができなかった女性です。瞬間、瞬間、相手と駆け引きして、今何かが舞台で起こっているということを、いかに出していくか・・・。稽古で四苦八苦しています」

 「本読みのとき、膨大なせりふの量にクラクラしました。ブランチを、”すべてに絶望した女性”とか、”精神を病んでいる女性”など固定観念のようなものがあったんですけど、彼女はなかなかタフなんですね。そんなに弱弱しければこんなに長く踏ん張らないだろうと重います。ただ、私の場合、気をつけなければならないのは、自分自身の性格は骨太なので、感受性の強い、崩壊していくブランチをどう出していけるかですよね」

 昨年、小林多喜二を描いた井上ひさし脚本の芝居「組曲虐殺」に出演。 多喜二の姉チマを演じ、舞台に活気を与え成功させました。「『組曲虐殺』の音楽が素晴らしかったです。その小曽根真さんが、今回の音楽を担当して、生演奏してくれます。この部隊の大目玉です。

パンパンに嘘をついて虚勢を張っているブランチが、ピアノの音がポロンと入ってくると、ガラガラッと、心がもう別の世界に持っていかれる。稽古場に来て芝居に合わせて音楽を入れてくださっています。素晴らしい音楽で、至福の時を体験しています」

 水に匹敵する芝居の大切さ

 長い役者生活の中で忘れられないことはー。
 「30歳ぐらいのとき、もう役者はやめようと思っていたところへ、『セイムタイム・ネクストイヤー』という2人芝居に出合いました。加藤健一さんから『稽古場は遊び場なんだよ』と教えていただいて、それからはお芝居が楽しくなりました。

舞台『越路吹雪物語』で歌手・越路吹雪さんを支えた作詞家・岩谷時子さんの役を演じ、岩谷さんとお会いしたことも忘れられません。岩谷さんから、その後、『好きな仕事を一生懸命やって、自分が成長することほど、素晴らしい人生はないように思います』と書いた直筆のお手紙を頂きました。この世界に飛び込んでよかったと思いました」

 舞台に対する特別な思いを語ります。
「大震災後、劇場が休演になったりしました。そうした中で、自分が観客として芝居を見に行き、”それが活力になった”と本当に感謝しました。精神が潤わないと、人生は無味乾燥なものになってしまうと思います。私にとって芝居は、水に匹敵するぐらい必要なものです」

 情熱的な話しぶり。時に目を潤ませたりする様子に、感激屋なんだな、と感じました。(大井民生)


 たかはた・あつこ  1954年香川県生まれ。桐朋学園大学短期大学部芸術科演劇専攻を経て、劇団青年座所属。映画「釣りバカ日誌」 テレビドラマ「3年B組金八先生」「篤姫」など。舞台は「組曲虐殺」「をんな善哉」など多数。 
 紀伊国屋演劇賞個人賞、菊田一夫演劇賞個人賞など受賞多数。
  


 「欲望という名の電車」 出演 高畑淳子 神野三鈴 宅間孝行 小林正寛ほか。


  しんぶん赤旗2011年12月5日  月曜インタビューより。

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 同日同面のしんぶん赤旗 ーー朝の風ーー 


 映画「猿の惑星 創世記」で、猿のシーザーが自分を育ててくれた人間に「ノー」と言うシーンは忘れ難い。人間の思い通りには動かない意志が強烈だ。
 タイトルに「猿の惑星」の名のある映画はこれ以前に6作ある。

 第1作の「猿の惑星」が公開されたのは、1968年。チャールトン・ヘストン演じる宇宙飛行士らが不時着すると、そこは言葉を話せない人間を猿が支配する社会だった。自由の女神が倒れかかっている鮮烈なラストシーン。
戦争をやめず、「万物の死を招く」人間への鋭い告発がある。

 この脚本家マイケル・ウィルソンと、猿の女性科学者を演じたキム・ハンターは、47年からハリウッドを襲った”赤狩り”で、ブラックリストに載せられたが屈しなかった。

 "赤狩り"を研究してきた映画評論家の山田和夫氏は”赤狩り”後、端役での出演しかなかったハンターにとって、「猿の惑星」は、「本格的カムバック」となったと記す。

 彼女は”赤狩り”の嵐が吹き荒れた当時、「仲間や友人を密告して、自分の保身を図る道をとらなかった」「それだけでもどれだけ勇気のいることだったか」、この第1作には彼らの「苦闘した良心の記憶」が生き続けている、と。

 「猿の惑星」を思うとき、呼び覚まされる歴史の事実である。(響)



  念のため申しますと、”赤”が危ないのではなく、”赤狩り”を行う米政府(今の日本でも同じようなもの)が危ない方なのでお間違いなく。昔から。

 いまどきの人から、さぞダサいと思われているであろう”日本共産党”ですが、意外と中身は先を行ってたりするんですにゃ。いがーいと。必要なこと、道理を通す方向性も明確だったりするんですにゃ。あとは数だけ、弾圧できないだけの支持数だけ。



 

『ジブリの哲学』 鈴木敏夫プロデューサー・宮崎駿監督が脱原発の横断幕を掲げる コクリコ坂から1位

2011-10-13 | 各界インタビュー(新聞赤旗等より)
 最新作「コクリコ坂から」が本年度の邦画興行収入第1位に踊りだし、社屋に脱原発の横断幕を掲げたことでも話題を集めたスタジオジブリ
 その現場責任者として、宮崎駿・高畑勲両監督と数々の名作アニメーションを送り出してきたプロデューサー・鈴木敏夫さんが『ジブリの哲学ー変わるものと変わらないもの』(岩波書店)を出版しました。
 1985年の設立以来、質の高さと興行的成功を両立させてきたジブリの立役者は、どんな思い出作品を作ってきたのか。
                                   (聞き手 田中佐知子)


 『ジブリの哲学』を出版 プロデューサー鈴木敏夫さんに聞く


 いい作品を作る。ジブリの目的は一貫していて、会社を大きくすることには興味がないんです。誘いはありますけど上場はしませんよ。上場したら投資家の意見に耳を傾けなきゃいけないでしょ。自分たちの考えで自分たちの会社を運営していきたいですから。


 監督の味方になる

 ジブリは製作から事務方まで合わせて180人の町工場です。細分化の時代ですが、企画から最後のフィルム編集まで一つの場所でやることが、効率は悪くても大事だと思っています。
 アニメの世界では、そういう会社ってほとんどないんですよ。日本の子どもたちに見せる作品は日本人の手で作るべきだという宮崎監督の考えもあって、海外への外注も一切していません。ディズニーのように世界中どこでも楽しめるグローバル・スタンダードにもこだわっていませんね。地域性って大事ですから。

 プロデューサーって、自分で具体的に何かを生み出すわけではないでしょ。人の間に入って、言葉で伝える仕事なんです。手に職じゃなくて口に職(笑)。監督の弱点を指摘する人は山のようにいるので、一番大切なのは、監督の味方になるってことでしょうね。

 組織作りでの理想は『十五少年漂流記』です。完璧な少年はいないけれど、だからこそ15人が力を合わせて1人の落ちこぼれも出さない。新撰組は人を切ることに長けた機能集団だけど、その末路は最低でしょう。機能だけで集団は維持できないんですよ。

 6月16日に宮崎監督とスタッフが「スタジオジブリは原発抜きの電気で映画をつくりたい」と書いた横断幕を作って、会社の屋上に掲げました。 最初、宮崎監督がスタッフと一緒に4人と犬1匹でジブリの周辺でデモをして、その後、横断幕を掲げるのはどうかと僕のところに相談に来ましてね。

 
 原発反対が方針

 原発というのは完成していないシステムですよね。僕、若い頃からそれが一番の大問題だと思っていたんですよ。
 ジブリの専従になる前は、アニメ情報誌の編集長をしていたんですが、核の恐怖を描いた映画「風が吹くとき」にからめて、原発の恐ろしさを大特集したりしていました(『アニメージュ』87年8月号)

 福島原発の事故が起こる半年前のことなんですけどね、福島原発の施設内にジブリの「となりのトトロ」の店が出ているのが分ったんです。 僕はもうびっくりしてね、すぐ撤去させましたその時は全国から「原発は安全だ」とすごい非難と圧力がありましたね。全部無視しましたけど。安全神話が力を持っていましたから、やっぱり社内からも、なぜなんだという意見が出ましてね。それに対しては、会社として原発に反対だよとかなり感情的にいいました

 とにかく僕は社の方針として原発はだめだと、ずっと言ってきたんですよ。これまで、電力会社がスポンサーになってジブリの映画の上映会をやりたいといった申し入れもたくさんありましたけど、一つひとつつぶしていきました。要は原子力推進のためにジブリの作品を使いたいわけで、ショックですよね

 宮崎・高畑の2人に出会って33年。いろいろありましたけど、ここまでくると3兄弟みたいなもんですからねえ(笑)。秘訣はね、過去の話をしないこと。それといまだにお互い丁寧語でしゃべってますね。「お前」なんていわれたことないですよ。次の作品? まだ内緒です。時代と切り結んでこそ映画は輝くと思ってやってきましたから、次もファンタジーではないだろう・・・と思ってるんですけどね。


 すずき・としお  1948年、名古屋市生まれ。72年、徳間書店に入社。78年、『アニメージュ』の創刊に参加。副編集長、編集長を務めながら「風の谷のナウシカ」「火垂るの墓」、などの製作に関わる。85年、スタジオジブリの設立に参加。89年から同社の専従。


    しんぶん赤旗2011年10月12日(水) 文化面



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 しんぶん赤旗 同面の 『朝の風』

 東日本大震災と詩人たち


 『詩と思想』10月号は90編以上の死で東日本大震災の作品特集を組んでいる。

 棹見拓史「黒い水」は、息子一家が行方不明になっている老婆が、がれきの隅で一人黙々と行方不明者の遺体の衣服を洗う姿を描く。
 
 小島きみ子「スピリット」は、原爆投下後の航空写真とよく似た震災後の壊滅状態をあげ、<その直後から降り続けるセシウムは、日本人のスピリットに挑戦する「テロ」です>と言い切る。

 宮城県の詩人で職業上、自宅に帰らず救援にあたった佐々木洋一氏はインタビュー「震災の中で詩に何ができるのだろう?」で被災地の実情を語り、村井宮城県知事の水産業復興特区構想にも切り込む

 「確かに雇用は生まれるかもしれませんが、沿岸の小規模漁業を根こそぎ企業に持っていかれることになります。採算が取れなければさっさと退散するでしょうから、地域漁業に本当に必要かは疑問です」
 海岸部には昔ながらの助け合いの精神が生きているから、漁業に企業をという民営化路線より地域の結びつきで復興を図るほうが実情に合っているというのである。

 同誌の特集にはまた韓国の高名な詩人高銀氏のメッセージ「仙台の端正な風光ー日本のその節度ある顔」や、2人の韓国詩人による日本への励ましの詩も訳出されている。 (槐)
 
 

俳優 大沢たかお インタビュー しんぶん赤旗日曜版 2008年 6月1日号

2011-09-20 | 各界インタビュー(新聞赤旗等より)

俳優 大沢たかお さん  インタビュー  
                   
               しんぶん赤旗日曜版 2008年 6月1日号

 
 この5年間で出演した映画は16本。7日公開の「築地魚河岸三代目」(松原信吾監督)では、商社マンから、恋人の実家の稼業、築地の魚河岸に転職する旬太郎を演じます。
「僕も含めて、いま生きている人たちが忘れかけているものを、この旬太郎の中に見つけてもらえたら。人のためにまい進するとか、理不尽なことには理不尽だというとか」

 自身の父方の祖父も、築地市場で中卸業を営んでいました。「縁とか血みたいなものを感じる」という役柄。
 早朝の築地での撮影では、町中では味わうことのできないふれあいも感じました。
 「『今度一緒にご飯でも食べに行こう』とか、知らない人から、突然声かけられたりするんです(笑)。なんか、うれしいですよね」
 さわやかで、誠実な語り口です。

 大学在学中からファッションモデルとして活躍。パリ・コレクションの舞台に立ったこともあります。しかし、25歳のとき突然、活動中止を宣言。華やかな生活におぼれていた自分が、嫌になりました。
 「無意識に、リセットしていたんでしょうね。ずれていた歯車を、一回止まることで戻したかった」

 1年間、放心状態で過ごしていたとき、モデル時代に知り合ったテレビ局のプロデュ-サーに声をかけられ、俳優の道を歩みます。
 人気ドラマに出演するようになりましたが、もう、自分を見失うことはありませんでした。テレビ出演を減らし、映画へと軸足を移していったのです。
 「ドラマにはドラマの、映画には映画のリズムがあります。今の自分が、ドラマ作りのスピードで、作品に酸化するのは難しいと思ったんですね」

 俳優として、いつもテーマにしているのは、「演技は魂の叫びだということ」。
 出演回数を積み重ねれば、知らず知らずのうちに器用になっていく。「そうじゃなくて、一本一本、裸になって、いかに本当の自分を織りこむかということを忘れずにいたい」

 3月に不惑を迎えたばかり。「今やりたいことは?」と聞くと、ふふふと笑って「家のソファーに座ること」と答えました。
 「最近、ゆっくり座ってボーとしたこと、ないんですよね」 そして、こうも。「本当の意味で40歳がスタートライン。今までの人生を糧にして、いまからいこう!って。パーンと、スタートのピストルがなっている感じです」」
 
  寺田忠生記者 撮影・石塚康之


  また、赤旗で人気俳優や有名人のインタビューでも見つければ、アップします。
   嫌いなタイプはしませんが、まぁ赤旗に載る人で嫌いなタイプはあんまりいないかにゃ。

  たぶんこの号だったと思いますが、近藤さんの2008年の「三大作曲家シリーズ」の小さい告知も載ってました。

  大企業の広告などは一切載っていませんがにゃ。
  泥臭いどじょうとかいうのは、こういうことをいうんですにゃ。当選したいために駅宣してきただけのことをアピールするようなのじゃなく。当選してろくな事しないようなのじゃなく。
 

昼ドラ名作選「偽りの花園」 / 成宮寛貴 赤旗インタビュー

2011-09-01 | 各界インタビュー(新聞赤旗等より)
 8月30日火曜日、ふとテレビをつけてみると、BSフジで15:00~16:00、昼ドラ名作選で「偽りの花園」というのをやってました。
全65話の15、16回目。

大ヒットドラマ「真珠婦人」、「牡丹と薔薇」などを生み出し、”情念ドラマの第一人者”といわれる中島丈博氏の作ということでしたが、共産主義運動が題材の一部になっているようでした。 見た時は、ちょうどその場面だったので、注目してしまいました。

共産主義運動に関わっている華族のおぼっちゃんが、党員になろうとしているのを、「悪いことをしているとは思わない、けれど、そんなことをしたら、特高警察に拷問とか恐ろしいことをされるんじゃ・・・」と、恋人の遠山景織子さん演じる女性がとまどっているという場面でした。
昼ドラで、こんなのやってたんですねぇ。まぁこの後もこの題材が登場するのか、分かりませんし、視聴者がこういう話題に特に興味を示す気配もないですけどにゃ・・。


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 しんぶん赤旗日曜版 2007年10月14日号 「ひと」欄


 俳優 成宮寛貴さん インタビュー

 母の言葉を追いかけて


人懐こい笑顔。楽しそうに”芝居”を語る人です。

娘の塾代のためにと、コーヒー代も削る会社員(上川隆也)のトホホな毎日を描く、コメディー「スワンの馬鹿!~こづかい3万円の恋~」。成宮さんが演じるのは、主人公と対照的な”勝ち組”IT社長です。
クールで笑わず、人の痛みを感じないかのよう。その彼が、こづかい3万円の会社員たちに触れ、変わっていきます。
「上にも下にも潰されそうになりながら、家族のために働き続けるおじさんたち。そこに、お金ではない大切なものがあると思うんです」


「人間、一つは、自分にしかできないことがあるよ。」女手ひとつで育ててくれ、中3のときに亡くなった母。その言葉を追いかけてきました。
高校に進まず、アルバイトで自活。弟は6歳下。「必死でした」
たどり着いたのが演劇の世界です。演出家・蜷川幸雄さんとの出会いは衝撃的でした。

けいこ初日、いきなり言われました。「(隠そうとしても)お前のことなんて全部わかってんだ。お前にふさわしい演出をするから、全部いってしまえ!」。つい人の顔色を見てしまう弱さを、見抜かれたのです。
俳優を操るのでなく、「こいつの良さを引き出したい」という熱意を感じました。
「蜷川さんは熱い体育教師で、少年のような人。できないと本気で悔しがる。僕、人がじだんだ踏むの、初めて見ました(笑)。怒られて怖いのに、おかしくて、うれしくて」

”男装したヒロイン”という難役に挑んだシェークスピア喜劇「お気に召すまま」も、蜷川さんの演出。「お前は主役だぞ」「お前に芝居のすべてがかかってるんだぞ」。
初日が近づいてもまるで演じられず、舞台のそでで嘔吐しました。
役の核心が見えたのは、直前の稽古です。本番。満場の拍手。力を出し切った自分に贈られたようでした。

「ダメかと思ったよ。でもおれは成宮と心中したんだ」と蜷川さん。「支えられてるというより、しっかり、抱っこされてる感じです。おじいちゃんなんですけどね(笑)」


04年の中越震災では募金活動をしました。きっかけは被災したファンからのメール。「何かしなきゃ!」。同じ事務所の女優・木村佳乃さんたちと私物を提供し、バザーを開き・・。大勢集まってくれて、うれしかった!
「気持ちが届けばうれしいなあって思いました。そんなとき、僕にも存在価値があるかもと思います」
25歳。「自分にしかできないこと」を探しています。

 ーー大塚武治記者  写真・野間あきら記者