前話に登場する障害猫たち、とにかく明るい。障害をものともせず猫生をしっかり謳歌しています。もし足がちゃんと動けたら・・なんて思わない。ありのままの自分を受け入れて、健常な子たちと比較したりなんてしない。もちろん羨ましいとも思わない。意識の上ではまったく対等です。周りの猫たちのようにできないこともあるけど、だからと言って恨めしい気持ちなんて微塵もないし負い目も気遣いもない。周りの猫たちも労わったり気遣ったりすることなく、障害猫をありのままに受け入れているのです。それが理想だとは言いません。労りや気遣いはそれもやさしさの表現だと思います。ただ、猫のように過ごせたら、気が楽になるだろうな。
前話紹介の際にも書きましたが、特筆すべきは保護者さんたちの献身的な努力です。どの話に出て来る保護者さんも、その努力を苦痛に感じるどころかむしろ楽しんでいる。障害猫が猫生を謳歌できるのはもちろんこういった人たちのおかげ。だからと言って猫は感謝しないけど、もともとそんなこと求めてもいない。いわば神の愛(無償の愛)で結ばれているからだと思うのです。
もうひとつ、奇跡的な出会いを経てこんな幸せに恵まれた猫はほんの一握りだ。多くの猫(ノラ)たちは過酷な生活に耐え、つかの間の幸せがあっても長続きせず、虐待や殺処分の恐怖と隣り合わせで生きていることを忘れてはなりません。たかが猫だと思うなかれ。猫にやさしい社会は、間違いなく人にもやさしい社会です。
食事介助が必要な難治性口内炎のサクラ
さて、今回紹介する話も幸せな障害猫の話です。
そして、またしても佐竹茉莉子さんの登場。 Sippoの連載「猫のいる風景」やフェリシモ猫部のブログ「道ばた猫日記」は自分が最も愛読しているサイトです。どの物語も感動的なものばかりで、ひたむきに生きる猫とそれに応える人たちのひたむきさが描かれる。登場する物語はいずれも実話です。佐竹さんはこれはと思う現場に何度も何度も足を運び、猫と人の愛情の絆を見出した時に、猫に寄り添った視点で書き始める。猫の心理描写がこんなにうまい人を自分は知りません。まるで猫と心が通じているかのように猫の気持ちを表現できる。テンちゃんと向き合った時の佐竹さんはまるで話をしているようだったと、当時のスタッフが言うのを今でも覚えています。
佐竹さんが綴る数多くの物語の中からひとつを選ぶというのは大変難しいのですが、これまでに登場したチャッピーやマリやピーちゃんは、自分がその時紹介したいテーマに近い物語ということで選んでいます。そして今回紹介するのは全盲の猫「ふっくん」。ただ、物語は「路子さん」の話を中心に描かれる。路子さんに救われたふっくんは、路子さんが提供する環境の下で伸び伸びと過ごす。路子さんは言う、目が見えないことや外見の悪いことを哀れむ人の気持ちがわからない。当の猫たちが一切気にせず暮らしているのにと。
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