たまには違うお弁当もよいねと同僚と話した帰り道。 いつもの道から1本入ってみた。
三叉路を通り過ぎかけたときに石段が目に入った。 ん? この感じは? 停めてみると嬉しいことに神社でした。
鳥居の横にチラリと顔が見えた。 まぁ、 狛犬さんだわ。 久しぶりの新しい出会いに心がはずむ
シンプルで小柄な狛犬さん、 こんにちは 大きなまなこが印象的です。 阿形の狛犬さん、 牙も大きいなぁ。
正面に立って、 阿吽の狛犬さんをジッと見つめる。 狛犬さん同士も向かい合うように座している
ほんとうに目が大きい。 この目で、 神社に入ってこようとする悪いものを見つけるのかなぁ
おっと、 神社さんにお参りもせんうちに狛犬さんを写してしまった。 後先になったけど、 お参りせねば
お参りさせていただいてから、 後姿も撮らせていただきました。 吽形の後には桜の造花が飾ってあります。
後姿はまるっこいラインで、 優しい雰囲気。 たれた感じの耳にも親しみが湧いてくる。 もう少しここにいたいなぁ。
住宅街にある八幡神社。 昔はこんなに家はなかったろう。 まもるべき人間が増えて神様の忙しさも
境内にあった神社の由緒を紹介させていただきますね。
八幡神社
四世紀末、神功皇后朝鮮出兵の折、占いにより時津の浜に上陸されたという伝説があり、時津の氏神八幡神社に皇后を祭ったといわれる。
当時、皇宮の胎中にあられた応神天皇を後年武神として祭る。
神躰は寛永十七年二月十五日(一六四〇)小島田八幡山に海田次郎兵衛が寄進。
神殿・拝殿は、井出太郎兵衛が建立した。ご利益は、家内安全・開運である。
十七世紀後半、時津村に疱瘡が流行したので、八幡山よりここに迂座し、天明八年(一七八八)神殿・拝殿は再建された。
最初八幡大菩薩であったが、明治元年(一八六六)八幡神社と改称され、同七年村社に列せられた。
時津町教育委員会
三叉路を通り過ぎかけたときに石段が目に入った。 ん? この感じは? 停めてみると嬉しいことに神社でした。
鳥居の横にチラリと顔が見えた。 まぁ、 狛犬さんだわ。 久しぶりの新しい出会いに心がはずむ
シンプルで小柄な狛犬さん、 こんにちは 大きなまなこが印象的です。 阿形の狛犬さん、 牙も大きいなぁ。
正面に立って、 阿吽の狛犬さんをジッと見つめる。 狛犬さん同士も向かい合うように座している
ほんとうに目が大きい。 この目で、 神社に入ってこようとする悪いものを見つけるのかなぁ
おっと、 神社さんにお参りもせんうちに狛犬さんを写してしまった。 後先になったけど、 お参りせねば
お参りさせていただいてから、 後姿も撮らせていただきました。 吽形の後には桜の造花が飾ってあります。
後姿はまるっこいラインで、 優しい雰囲気。 たれた感じの耳にも親しみが湧いてくる。 もう少しここにいたいなぁ。
住宅街にある八幡神社。 昔はこんなに家はなかったろう。 まもるべき人間が増えて神様の忙しさも
境内にあった神社の由緒を紹介させていただきますね。
八幡神社
四世紀末、神功皇后朝鮮出兵の折、占いにより時津の浜に上陸されたという伝説があり、時津の氏神八幡神社に皇后を祭ったといわれる。
当時、皇宮の胎中にあられた応神天皇を後年武神として祭る。
神躰は寛永十七年二月十五日(一六四〇)小島田八幡山に海田次郎兵衛が寄進。
神殿・拝殿は、井出太郎兵衛が建立した。ご利益は、家内安全・開運である。
十七世紀後半、時津村に疱瘡が流行したので、八幡山よりここに迂座し、天明八年(一七八八)神殿・拝殿は再建された。
最初八幡大菩薩であったが、明治元年(一八六六)八幡神社と改称され、同七年村社に列せられた。
時津町教育委員会