アートセラピストのイギリス便り

アートセラピスト間美栄子のシュタイナー的イギリス生活のあれこれを綴った友人知人宛のメール通信です。

第126話 11月  嵐のあと

2013-10-30 21:56:37 | 子育て

Nazuna in London


 

 

 

秋も深まってきましたね。ヒーターで温まりながら、書いています。庭のコンサバトリーは寒いので、春までおしまい。

 

いま、毎週のお休みの日の朝には、ともだちにお手紙を書いて自分を見つめる時間をとるよう、習慣を作っています。先日は何人もの友達からお返事のメールをもらって、はげまされました。誰もがみな、それぞれの状況の中で、ようく生きているなあと思いました。

 

人と気持ちや考えをシェアするというのは、勇気がいることだと思います。フェイスブックで、「いいね」をクリックすれば、「みましたよー」と相手に伝えることができて、簡単かつ受動的なコミュニケーションができるわけですが、なにか物質的ではない、表面的でないことを、自分のことばで書こうすると、むずかしい。

 

気のおけない友人がそばにいて会って話をすることができる人は、宝物を持っているといえるでしょう。また、スカイプに付き合ってくださいね。

 

 

わたしの職場の病院でこの9月から、オランダのシュタイナーのアートセラピーのコースから学生が一人実習に来ています。春以来メール通信をかけなくなって、ぼんやりと暮らし、ずっと人に考えを伝えることをサボっていたわたしが、急に、アートセラピーとは何か、セラピストとは何か、患者さんとの関係性とはなにか、と真剣に話さなくてはいけなくなったので、あわてて脳とエゴをスィッチオン。

 

最初は若い彼女の荒馬のような元気さに圧倒され、次には、厳しく仕込みすぎたためか、へこまれて、と試行錯誤の日々です。10月には3週間も、彼女に引きこもりをされて、メールも電話も返事はないし、生きているのかどうか下宿に訪ねて行ったりしました。

 

 「若い」というのは、楽なことではないなと思います。特に、子供時代や、思春期、ティーンのときにトラウマがあったら、「21歳です、エゴが貫通して、自立した大人になりました」とは素直にはいかないのですね。まだまだ、ティーンのときと同じく、アストラル体が激しくアップダウンして不安定で、視野が狭く、自己中心的で、せつな的。人と比べて自己評価して、自信があるときもあれば、自己卑下しすぎのときもある。

 

そとの世界を見て、ほかの大人たちと出会い、さまざまな経験をして、思考を深めて、徐々にエゴを強くしていって、やっとアストラル体を整えることができるのですが、それはなかなか簡単ではないし、時を要するものだなあとおもいます。

 

 21歳のなずなも、ロンドンで友たちと暮らし、アルバイトをしながら、大学では難解な法律を勉強し、すれすれで進級してきて、いま最終学年ですが、「社会にでるのは怖いなあ」ともらし、大学院に行くことも模索中。

 

イギリスの国から支払われるスチューデントローンで、学費、住宅費、生活費のすべてまかなえるはずなのですが、ミュージックフェスティバルやら、なにやら娯楽費がかさみ、銀行に借金をつくり、6月についに家賃が払えなくなって困って、泣きながらわたしに電話をかけてきました。16歳からアルバイトをしてきて「自立している」という誇りがあったなずなには、それは屈辱的で、電話口で、わんわん泣くのでした。

 

なずなはしっかりしている、大丈夫と、あまり心配しないようにしていたわたしも、そうか、まだまだ子供だったんだなあと知らされる一件でした。

 

 若いころ苦しかった私自身のことを思い出しながら、あまり厳しくなりすぎずに、暖かい眼で見守って、若い人たちが大人になっていくのを手助けしないといけないのだなと、思い直しているところです。

 

11月上旬に、なずなと一緒に、スペインに行ってきます。トレド、サラマンカ、セゴビア、アビラ、といった古い町を汽車でまわってきます。忙しいし、友達やボーイフレンドと過ごしたいのに、母親と一週間の旅行に行ってくれるのは、親孝行と、感謝。

 

 

 

それではまたお便りします。お付き合いしてくださってありがとう。お元気で。

 

 

 

間美栄子 2013年11月1日




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