アートセラピストのイギリス便り

アートセラピスト間美栄子のシュタイナー的イギリス生活のあれこれを綴った友人知人宛のメール通信です。

The Calendar of the Soul (November10-16)

2015-11-10 22:36:41 | Mieko's soul journey

 

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

32. Thirty-second week (November10-16)

 

I feel my own force, bearing fruit

And gaining strength to give me to the world.

My inmost being I feel charged with power

To turn with clearer insight

Toward the weaving of life’s destiny

 

 

私は果実を実らせるような私自身の力を感じている

そして、世界へと自身を捧げる強さを身に着けているところなのだ

 

私の最も奥深いところで力満ちてきているのを感じる

それはもっとはっきりとした洞察に変わっていくだろう

そして人生の運命のタペストリーを織り合わせていくのだ


The Calendar of the Soul (November 3-9)

2015-11-03 22:46:39 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

31. Thirty-first week (November 3-9)

 

The light from spirit depths

Strives to ray outwards, sun-imbued;

Transformed to forceful, will of life

It shines into the senses’ dullness

To bring to birth the powers

Whereby creative forces, soul-impelled,

Shall ripen into human deeds.

 

 

霊の深みからの光が

外に向けて太陽のような光を投げかけている。

その光は命の力強い意志に変容された。

本当の力を生み出すために 

その光は感覚のにぶさに向けて輝く。

創造的な光は魂からのインパルス。

そしてそれはやがて人間の行為の中で熟すであろう。


The Calendar of the Soul (October 27-November2)

2015-11-02 21:57:15 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

30. Thirtieth Week (October 27-November2)

 

There flourish in the sunlight of my soul

The ripened fruits of thinking;

The conscious self-assurance

The flow of feeling is transformed.

I can perceive now joyfully

The autumn’s spirit-waking:

The winter will arouse in me

The summer of the soul.

 

 

 

私の魂の太陽の光の中で繁茂している

思考の熟した果実よ

自信を意識することへと

感じることはすべて変容される

 

私は今、秋の霊の目覚めを

喜びをもってとらえることができる

 

そして冬が私の中でうまれるであろう

夏にはぐくまれた魂のうちに

 


The Calendar of the Soul (October 20-26)

2015-10-22 20:38:26 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

29. Twenty-ninth Week (October 20-26)

 

To fan the spark of thinking into flame

By my own strong endeavour,

To read life’s inner meaning

Out of the cosmic spirit’s fount of strength:

This is my summer heritage,

My autumn solace and my winter hope.

I can perceive now joyfully

The autumn’s spirit-waking:

The winter will arouse in me

The summer of the soul.

 

思考のひらめきを炎の中に送り込むこと

それは私自身の力強い努力によるものだ

命の隠された意味を読むこと

宇宙の力の霊的な泉から。

これは私の夏の財産だ

私の秋の慰め、

そして私の冬の希望なのだ

 

 

 


The Calendar of the Soul (October 13-19)

2015-10-12 19:42:10 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

28. Twenty-eighth Week (October 13-19)

 

I can, in newly quickened inner life,

Sense wide horizons in myself.

The force and radiance of my thought-

Coming from soul’s sun power-

Can solve the mysteries of life,

And grant fulfilment now to wishes

Whose wings have long been lamed by hope.

 

 

私はこの新しく活気づけられた内的生命の中で

私自身の広い地平線を感じることができる。

 

また私は力を私の考えに注ぎこむことができる。

それは魂の太陽の力からやってくるから。

 

その光で生命の秘密が解きあかされるだろう

そしていきとしいけるものの願いをみたすであろう

希望によって長いこと不具にされていた翼をひろげるかのように


The Calendar of the Soul (October 6-12)

2015-10-06 17:56:59 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

27. Twenty-seventh Week (October 6-12)

 

AUTUMN

 

When to my being’s depths I penetrate,

There stirs expectant longing

That self-observing, I may find myself

As gift of summer sun, a seed

That warming lives in autumn mood

 As germinating force of soul

 

 

そして私は私の存在の深みにまで到達した。

そこには期待に満ちた望みが渦巻いているのがわかる。

その自己観察から  私自身を見出すだろう。

夏の太陽の贈り物。私はひとつぶの種。

その種は温かく息づいている  秋の気配の中で。

魂の芽生えの力としての私自身を見出すだろう。


The Calendar of the Soul (Michaelmas)

2015-09-30 21:04:48 | Mieko's soul journey

 

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

26. Michaelmas

 

O Nature, your maternal life

I bear within the essence of my will.

And my will’s fiery energy

Shall steel my spirit striving,

That sense of self springs forth from it

To hold me in myself.

 

おお自然よ、あなたの母なる命よ。

わたしはわたしのうちに、わたしの意志の本質を抱いている。

 

そしてわたしの意志の燃えるような力は

私の霊の衝動を剣へと変容させる。

 

自我の感覚がそこから湧き出すところである霊の芽生えから

真のわたしをわたし自身の中に抱いていくために。


The Calendar of the Soul (September 22-28)

2015-09-22 22:27:10 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 By Rudolf Steiner

25.Twenty-fifth Week (September 22-28)

 

I can belong now to myself

And shining spread my inner light

Into the dark of space and time.

Toward sleep is urging all creation,

But inmost soul must stay awake

And carry wakefully sun’s glowing

Into the winter’s icy flowing

 

 

私はいまや私自身に属することができる

そして輝きながら私の内なる光を拡張することができる

時間と空間の暗がりの中へと。

 

私の中の自然はとてもとても眠りにつきたがっている

しかし、うちの奥なる魂は目覚めたままでいなければならない。

 

そして用心深く太陽のあたたかさを運ぶのだ

冬の、氷のような冷たいながれのなかに。


The Calendar of the Soul (September 15- 21)

2015-09-14 20:17:50 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

24. Twenty -fourth week (September 15- 21)

 

 

Unceasingly itself creating,

Soul life becomes aware of self;

The cosmic spirit, striving on,

Renews itself by self-cognition,

And from the darkness of the soul

Creates the fruit of self-engendered will.

 

とまらない とまらない どんどんとつくられている

ソウルライフがもっともっと 自覚されてきている

コズミックスピリットがおし進めている

それ自身 人間の自己認識によって新たにされるのだ

 

そして魂の暗がりから

自ら起る意志の果実がつくられている


The Calendar of the Soul (September 8- 14)

2015-09-07 15:24:11 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner(間美栄子日本語訳)

23. Twenty -third week (September 8- 14)

 

There dims in damp autumnal air

The senses’ luring magic;

The light’s revealing radiance

Is dulled by hazy veils of mist.

In distances around me I can see

The autumn’s winter sleep;

The summer’s life has yielded

Itself into my keeping.

 

しめった秋の空気の中で 薄暗くなっていく

遠くなってしまった あの感覚の誘惑的な魔法よ

 

あんなにも輝きをあらわしていた光はいまや

霧のぼんやりかすんだベールで鈍くなっている

 

遠くのほうに見える

この秋の中に 来るべき冬がねむっているのが 

 

夏の命は もはや 自らを明け渡したのだ


第138話 わたしのデトックス

2015-09-02 22:26:59 | 人生観

 

9月になりましたね。お元気ですか。イギリスも雨が降り秋の始まりを感じます。うちの庭では白いハイビスカスの花が咲いています。

わたしはここ一月ほど自宅でスムージーを作って毎日飲んでいます。今度は野草もいれてみようとか、毎日少しずつ組み合わせを変えて楽しんでいます。ケールというキャベツの親戚みたいなクシャクシャの緑の濃い苦味のある葉っぱがとくに効き目がある感じです。からだの細胞がミネラルとビタミンを「オイシー」といっているかのようです。味覚もさえてきているようで、ひとつひとつの野菜や果物の歯ごたえや、素材の味がはっきりとわかって、何を食べてもおいしいのです。

50歳の山も過ぎると「帰り支度」をはじめようとするのか、人生で大切なのは何か、自分は何をしたいのか、もっと考えるようになりました。自分はどこから来たのかと祖先のことを考えてみたりもします。過ぎこし方を振り返ったり、自分のしたことを相手の気持ちになって感じたり、恥ずかしいことも、情けないことも、間違ったこともたくさんしてきたとわかったり。直接あやまれる人には謝り、あやまれない人には心のなかで、ごめんなさいを言っています。

自分は誰かということも考えたりします。「自分」だと思ってきたものが、実は育った社会で浸透している考え方や感じ方をたどっているだけなんではないかときづいたのです。機械のように習慣で行動したりもします。体の癖や心の癖があり、緊張したりしてゆがんだ体に、こころもゆがんでいる。夢の中にもそんな機械のような、ゆがんだ不自由なわたしが出てきて、いろいろな人たちとのいろいろな場面を再現して見せてくれます。それは初めての感じ方ではなく、かつての人生のなかで体験した感じ方なのです。

「わたし」というのは外見は洋服とおなじようなものであるし、動き方、考え方や感じ方まで社会のものであるならば、あとはスピリットしかないんだな、と思うのです。

スピリットである「わたし」がこの身体を通して、地球の上で生きている「今」を楽しむことが人生なんだろうなあと思います。スピリットである「あなた」と出会って、本当の会話ができたとき、本当のふれあいができたとき、スピリットたちはどんなにうれしいでしょう。 

いままでの数多くの友達とのそんな本当の出会いの場面もたくさん思い出します。そして、エゴでよろいをかぶっていたがゆえに、すれ違ってしまった瞬間のことも思い出して悔やまれます。

自分が今まで信じてきた考え方や感じ方を裏返してみる、ちょっとだけ疑ってみる、もしかしたら違う考え方や感じ方があるのでは、と隙間を入れてみる、というエクササイズを毎日職場と自宅でやっています。

再度、いままでの本当の出会いと会話をありがとう。一緒に過ごしたひと時、ほんとに宝物です。

ではまたお便りしますね。お元気で。

 

間美栄子(2015年9月1日)

 


The Calendar of the Soul (September1- 7)

2015-08-31 12:40:20 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

22. Twenty -second week (September1- 7)

 

The light from world-wide spaces

Works on within with living power;

Transformed to light of soul

It shines into the spirit depths

To bring to birth the fruits

Whereby out of the self of worlds

The human self in course of time shall ripen.

 

 

宇宙の広い世界から来る白い光は

生命の力とともに私のうちに届いて織りこまれている

その光は魂の光へと変容し

スピリットの深みへと錦色に輝く

 

広い世界の本当の自分から果実をもたらすため

生物としての人間自身もやがて熟すでしょう

 


第137話 会ったことのない祖父母の話

2015-08-27 22:22:14 | Weaving of the light

 

わたしの父信二郎は、ひたすらに平らで、蒲の原が広がる、果てしのない潟、新潟平野の新潟市蒲原町で、1931年8月8日に生まれた。間家の次男坊である。祖父の名は松四郎。祖父の兄弟は松雄、松太郎、松五郎、とみんな名前に松がついている。砂浜には松林が広がる新潟の風景が眼に浮かぶ。

古代蒲原では、アガノ川とシナノ川の二つの大河がメスとオスの二頭の竜のようにうねり、荒れ狂い、まじりあい、まぐりあい、大洪水のたびに、町も村も家々もすべてを洗い流してきた。人々はそのたびに集落ごと移住して、またゼロからあたらしく簡素な家を建て直して、いちから生活をともに始めていった。共同体とは、土地や所有ではなく、人と人とのつながりであったのだろう。そんな風土の蒲原では、気持ちが開かれていて、ヨソモノをも歓迎して、いつも何か、新しいことをはじめることができる、自由な空気に満ちていただろう。

 

祖父松四郎は父が幼いころに亡くなったのでわたしは会ったことはないが、新潟市で洋食店ピーア軒をやっていた祖伯父松太郎さんには毎年お正月に会っていた。背が高くパリッとしたスーツで胸を張り、ほほ骨の高いニコニコ笑っていた顔を覚えている。耳も大きく、立派な人なんだなあと思っていた。きっと祖父松四郎もそんな容姿だったのかもしれない。

父信二郎のはなしでは、生前祖父松四郎は家にはおらず、製材関係の出稼ぎに出ていたという。材木が腹にあたり、死亡したという。労災だ。

 

祖母の名はテイ。実家の青木家は現在に至るまで新潟市蒲原町で米屋を営んでいる。祖母テイは父が20代の後半に、がんで亡くなった。

父信二郎はテイのことを、手先の器用な賢い人だったといつも言っていた。「ミコが賢いのは、おばあちゃんに似ているからだよ」とわたしをほめかわいがってくれた。

わたしは写真のなかのテイおばあちゃんの顔しか知らないけれど、微笑んでいて、やさしい人という印象をもっていた。父の言葉を信じ、祖母とわたしは似ていると思い、私自身も賢い人になると、将来を信じていた。幼いわたしは広告の裏に着飾った女の人の絵を描いては父に見せにいった。父はいつも「じょうずだねぇー」とほめてくれた。

 

若いテイと若い松四郎は結婚をし、男の子を授かり一松となづけたが、その赤ん坊は死んでしまった。

若い二人はそれから二人の男の赤ん坊に恵まれ、「松」を名前につける代わりに、「信」を男の子たちの名前につけた。


The Calendar of the Soul (August 25-31)

2015-08-24 13:31:51 | Mieko's soul journey

The Calendar of the Soul

 by Rudolf Steiner

21. Twenty-first week (August 25-31)

 

I feel strange power, bearing fruit

And gaining strength to give myself to me.

I sense the seed maturing

And expectation, light-filled, weaving

Within me on my selfhood’s power.

 

 

私は外から来る力を感じる

それはみのりをもたらすような

私に本当の私自身をもたらすような強さを与えてくれる力だ

 

私の奥深くにある種子が成熟しつつあるのを感じる

そして期待と 光に満ちた 織りかけの織物を

私のうちにある 私の生きた歴史に感じる


第136話 ワタシは深い雪の中にうまれた。

2015-08-21 21:17:16 | Weaving of the light

ワタシは深い雪の中にうまれた。1934年2月24日。陸の孤島と呼ばれる新潟県松之山赤倉。ワタシは村山家の6人兄弟姉妹の二番目の赤ん坊、ミチ、と名づけられた母の深い深いおなかの中に卵として息している。

松之山は世界で一番積雪量の多いところ。屋根まで雪で覆われる積雪3メートルを越す深い深い雪のなかで、やっとこ歩いてきたとりあげ婆さんの手で、ミチは取り上げられた。

 

祖母の名前はジョン。腰が曲がって背が低く、いつもしわしわの顔の小さい眼でニコニコ笑っていた。わたしが子供のころ、祖母がわたしの家に布団の打ち直しに手伝いに来て、布団皮を一緒に縫い合わせながら、母が「ミコったら、…」とはなしては、母娘でとてもおかしそうにわらっていた顔を思い出す。

祖母ジョンが、胃がんでなくなったのは63歳。わたしは10才だったが、おばあさんはとてもとしよりなんだとおもっていた。新潟市の道場山の自宅で、息を引き取った。布団の周りを囲んでいた娘たちがいっせいに大声で泣いた。わたしは母やおばたちが泣くのをうしろからみていた。

 

わたしのおさないころの母の昔語りで、ジョンの姉にあたる人が、結婚したのだけど何かうまくいかなくて、東京で汽車に飛び込んでなくなったんだって、孫親が「カワイソウナコトヲシタ」といつもいってたっけと話してくれた。

わたしは、花を胸に抱えて線路脇に立つ女の人のすがたが見えるような気がした。(わたしが20代のころ7年間付き合っていた男は、わたしがこの話をすると、わたしの眼を見つめて、「知っていたよ。」といった)

孫親(曾祖母)の名前はナカ。松之山水梨の出だ。母の語り口では、優しく愛情深い人だったように思われた。母ミチはきっとこの孫親に抱かれ育ったのだろう。一家の初めての女の子としてナカにかわいがられたのだろう。異郷の地で若くして亡くなってしまった姉娘の生まれ変わりと思って大事に育てたのかもしれない。

 

姉が亡くなったため、妹であったわたしの祖母ジョンが、婿をもらって家を継いだ。

婿の名前は宮澤三郎。松之山の隣村、松代の下山出身。頬骨が高く、背も高かった。母の昔語りでは、おっかなかったんだよ。「何してるんでい!」ておこられてさ。といっていたけれど、わたしには優しく穏やかなひとでニコニコ笑って、わたしを「ミコちゃん」とよんでいた。わたしが教育学部の学生で国語研究で方言の聞き取りをしたとき、キャンパスの近くに住んでいた祖父三郎にインタービューをしたことがあった。新潟市で鳥のから揚げやをやっていたおじ一家の二人の男の子供たちを祖父がおんぶしていたのを覚えている。

 

わたしの母の昔語りでは、材木を扱っていた宮澤家が、あらしで材木がみんな流されてしまい、おとこきょうだい四人、借金を返せず夜逃げのようにして村を出た、と語っていた。四男の与四郎は新潟市で寿司屋を出して、すし組合の会長を長く務めていた人で、子供ながらに、嵐で材木が流されて、村を去る羽目になったがゆえに、のちに母ミチもおじを頼って新潟市に出ることになったという関連が見えていたようにおもう。

宮澤という名は長野県に多いという。「宮のそばの沢」。諏訪神社があるためだそうだ。長野県には遠いむかしからの冠婚葬祭の儀礼が残っているらしい。

わたしの祖父三郎も祖母ジョンも、長い年月、先祖代々深い雪の中で暮らしてきた山の民の子孫なのだ。

わたしが20代のころには、わたしは山登りや山菜取りがとても好きになっていて、祖父、母、おじ、おばと一緒に松之山の家があった跡地を訪ねていったことがある。歩きはじめると祖父三郎は突然曲がっていた背骨をシャンと伸ばし、スタスタとわたしが追いつけないほどの速さで、細い山道を登っていった。「ここにはなにがあった、あそこには何があった」といつになく饒舌で、別人のようであった。

 

松之山の本家本元の村山家は700年続いた名家で、坂口安吾も村山家に嫁いだおばを訪ねてよく遊びに来ていたという。長い年月の間、村中のたくさんの家が村山姓だった。この雪深い山奥の土地では人の流入は少なかったであろう。血はほかの民族と混じることなく濃いまま残り、むかしのままの骨格、骨相が受け継がれているのかもしれない。まるで現在のユーラシア大陸のへそにあるアルタイの住民たちとおなじだ。

最近YouTubeで、遠く中央アジアの雪の山で囲まれたアルタイの原住民のビデオクリップをみたときには、驚いた。人々の顔が、わたしの母の若いころの写真にそっくりだった。頬骨が高く、大きな耳をしている。他民族の襲撃を防ぐため遠くのかすかな音が聞こえるように、長い年月をかけて大きくなった耳たぶなのだろうか。アルタイには、プレヒストリーの40000年前のケーブドローイングがある。ほんとに古い土地なのだ。

祖父三郎も祖母ジョンもたぶんアルタイを通って動物を追って、東へひがしへと旅した人たちの末裔なのだろうか。故郷と同じ雪の山を拝み、天に近いところに住んで祈りの生活を続けるため、故郷と似た同じように雪の山深い地に定住することにしたのではないかと想像する。