摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

老子の言葉へのシンクロ

2008-11-30 15:02:46 | エッセー
今朝の北陸中日新聞「けさのことば」に、
老子の言葉を見つけました。

「あともどりするのが『道』の動き方である」
(『老子の思想』張鍾元、上野浩道訳)

「これは、どこにあったっけ?」と思って、
手もとの『老子・列子』(奥平卓、大村益夫訳)を
久しぶりに開いてみました。
上の言葉がどこに書いてあったかを確認するより、
あらためて深く共感する言葉が多いのに驚きました。
いくつか現在の社会状況に照らし合わせて、
特に響いた文章を抜粋します。


「才能などというものを重視さえしなければ、競争はなくなり、
人民は安らかに生きられる。
道徳などというものを強制しさえしなければ、心を偽る必要がなくなり、
人民は自然の情愛に立ち返る。
商工業などというものを廃しさえすれば、欲望をそそるものがなくなり、
人民は盗みをしなくなる。
才能、道徳、商工業の三者は、いずれも作為であって自然に反する。
すべて取るに足らない。
治世の根本は、人民の本性を回復するにある。
すなわち、無心にさせ、私欲をなくさせることである」

「一国の政治は、農夫を手本として行うべきである。
農夫は、作物の自然を全うさせる。つまり、自然の理に従うのである。
自然の理に従うことは、徳を内に深く体することにほかならない。
徳を深く体すれば、いっさいの不可能は消滅する。
不可能が消滅すれば、無窮の境地に到達する」

「国は小さく、人口は少ない。たとい人並みすぐれた人材がいようとも、
腕をふるう余地すらない。
住民はすべて生命を大切にして、遠くへ足を伸ばさない。
舟にも車にも乗る必要がないし、武器も使い道がない。
文字を書いたり読んだりするこざかしさを忘れて、
ひたすら現在のままの衣食住に満足し、生活を楽しんでいる。
手の届きそうな隣の国とも、絶えて往来しない。
これが、わたしの理想郷である」


ちょうど夕べ、あるMLで世界各地の子ども達へ本を寄付している
社会起業家の話を読んでから、教育の功罪について
寝床でうつらうつら考えていました。
教育に「罪」なんてあるの?と思われるくらい、
教育は絶対的な善と神聖視されている気がしますが、
私は老子とかなり似た見方をもっています。

それは、以前テレビのドキュメンタリーで
ヒマラヤのシェルパたちが子どもを大学に行かせたいから、
登山ガイドよりグルカ兵というイギリス軍の傭兵の職を希望する人が
多くなった、というような内容の話を見たことがきっかけでした。
ヒマラヤの素朴な生活に大学の教育は本当に必要なのか、
そんな必要性が疑問なものに対して、
それだけの犠牲を払う必要はあるのか、
とても疑問に思ったのです。

親のすねをかじりまくって、高いレベルの教育を受けさせてもらった者が
こんなことを言うのはどうかとも思うけど、
高いお金を払って行かせた大学で得られる知識・技術は
今地球や人々を追い詰める社会を作り、維持するために
使われているように思います。
もちろん、そうではない方向を目指した知識・技術もありますが、
そもそも老子が言うように無為自然な生き方をしていれば、
そんな知識や技術もいらないのではないのでしょうか。
老子の言う「現在のままの衣食住に満足し、生活を楽しんでいる」状態は、
ガンジーの言うチャルカ(糸車)に代表されるような非工業化の
生活でもあると思います。


ガンジーの思想とのつながりを感じたり、
最近自分は作為が嫌いということに気づいたりしたのも、
今日久しぶりに老子の言葉をひもとくことに連なった
シンクロのような気がしました。
あらためてじっくり読んでみたいと思います。

超簡単&2度おいしい!かきのレシピ

2008-11-29 06:36:20 | 家族・家のこと
ずいぶん前に母が切りぬいて送ってくれた
「かきのオイル煮」というレシピを作ってみました。
先日買ったかきが、鍋に入りそこねていたからです。

【かきのオイル煮】

☆材料(4人分)
・かきのむき身300グラム(20個)
・しょうゆ大さじ1
・にんにく1片(つぶしたもの)
・オリーブ油1/2カップ
・レモン1/2個

☆つくりかた
1.かきは水で洗ってから水気をきり、しょうゆをかけて10分ほどおきます。
  ペーパーで水気をふきとります。
2.小さい鍋かフライパンにかきを並べ、にんにくも入れて
  オリーブ油をひたひたに入れます。
3.ごく弱火にかけて8~10分ほど、裏返しながら煮ます。
  鍋の周囲にブツブツと泡が立つ程度になったら火を止めます。
4.くし形に切ったレモンを添えます。

調理時間30分
献立: ポトフ、フランスパン、シャーベット

財団法人ベターホーム協会
レシピ掲載:日本経済新聞(日付は不明)


私はこの味付けでは淡白すぎるかなと思って、
ちょっと赤唐辛子の輪切りを入れてみました。
これがとってもおいしかった!

「かきのうまみが出ているので、この残ったオリーブ油を
フランスパンにつけたり、パスタをいためるために使ってください」
と書いてあったので、冷蔵庫に残っていたそうめんを
パスタの代わりにいためてみました。

すると、その辺のパスタ屋さんの味に劣らないくらいの
おいしいペペロンチーノそうめんになりました。

この手軽さで、このおいしさ。
これからの季節に、ぜひおすすめです。



【ネタバレ注意】映画「落下の王国」

2008-11-27 22:13:27 | 行ってきました
各界の有名人が絶賛のコメントを寄せていた映画
落下の王国」を見に行ってきました。
構想に26年、撮影に4年、いくつもの世界遺産でのロケ
とチラシに書かれ、載っていた写真も
本当にきれいなものばかりだったので
とても期待していきました。

冒頭のシーンはモノクロ、スロー再生で、
一つ一つのシーンは陰影のコントラストが
劇的な印象を与えていました。
決定的瞬間を写した写真が、
連続で流れている感じでした。
その視覚的効果には目を奪われましたが、
肝心の内容はよくわかりませんでした。

その後は、失恋して自殺しようとした(?)スタントマンが
同じ病院に入院している女の子に語り聞かせる
物語と現実の病院での話が入り混じって進んでいきます。
この物語のシーンの映像がファンタジーらしく
とても美しいです。

スタントマンの青年は、自殺をあきらめられず
女の子をてなづけてモルヒネを盗んでこさせるために
物語を聞かせるのですが、
ある時女の子が調剤室のモルヒネを盗もうとして
踏み台から足をすべらせて落ちてしまいます。
申し訳なくてそばに付き添うスタントマンに、
ベッドに寝かされた女の子はまたお話をせがみます。
そこから物語はラストに向けて進み、
主人公の山賊以外の5人のヒーローたちが
次々と敵に殺されていきます。
そして、山賊も宿敵との対決で、殴り倒されプールに沈められ、
もうだめかと思われた時、現実の世界では女の子が
「死んじゃだめ!」と泣きながらスタントマンにお願いします。

このあたりでは、物語の中で6人のヒーローの共通の仇だった
スペインの総督オーディアスは、
現実の世界でのスタントマンの恋敵の姿で現れていて、
ファンタジーと現実がスタントマンの頭の中で
交錯している感じが出ていておもしろかったです。

結局、この物語のラストは女の子の懇願で生きる力を取り戻したスタントマンが
山賊の息を吹き返させて、オーディアス=恋敵にパンチを食らわせ
去っていきます。
そこに、かつての恋人が現れるけど、
山賊は彼女の思い出のペンダントを投げ捨てます。
ここでスタントマンは、彼女との思い出にさよならして
新しく生き始めることを決意したのでしょう。


最後になって主人公のスタントマンの心理が
よく出ている表現があり、おもしろいと思えたものの
私はそんなに絶賛したいと思う映画ではありませんでした。

映像的にはとても美しいのに、
なぜ私はあまり好きになれないのだろうと考えた時、
その美しさがあまりに作為的、わざとらしく感じられるからだと
思い当たりました。
なんか美のための美を追求している感じ。
たとえてみれば、「俺って格好いいだろう?」って感じで
振舞ってる男を見てるみたい。
それより、私は坦々とやることをやって
人間的な奥深さがにじみ出ているような人が好き。

映画も、派手な視覚効果より、坦々とした物語を描きながら、
人生の深さを感じさせるものが好きです。
同じ美しいと感じた映画でも、
私の大好きなドイツの映画監督レニ・リーフェンシュタールの
ベルリンオリンピック記録映画「オリンピア」のように、
美しさを求めたものでないにもかかわらず
ありのままの美しさを抜き出したものに惹かれます。


というわけで、はからずも「落下の王国」を見たことで、
私は作為的なものが嫌いなのだということに気づきました。
昨日の舞踏公演での感動と合わせて考えると、
あらためて自分の好き嫌いの傾向がわかって、
興味深い体験でした。


舞踏公演「グラジオラスは発火する」

2008-11-26 23:00:59 | 行ってきました
舞踏と呼ばれるジャンルの踊りを知っていますか?
もともとは暗黒舞踏と呼ばれていたそうですが、
60年代に日本で生まれたもので、欧米ではかなり有名です。
(詳しくは、ウィキペディアの暗黒舞踏の項を見てみてください)

金沢には、金沢舞踏館という舞踏のグループがあります。
私は夏にたまたま図書館でそこのワークショップのチラシを見て、
すぐに申込みました。
大学時代に2年ほどジャズとモダンダンスに熱中してましたが、
何か自分が求めるようなダンスが他にあるはずと感じて、
ダンスを「休む」ことにしてから、はや10ウン年。
もしかしたら、この舞踏こそ、私が求めていたものかしら??
と思って参加したのです。
私が期待したものとはちょっと違うように感じたけど、
とても刺激的な体験でした。

今夜はその金沢舞踏館の公演「グラジオラスは発火する」が、
金沢市民芸術村でありました。
7人のダンサーにはちょっと狭い会場でしたが、
間近でダンサーの踊りを見ることができました。

金沢舞踏館の考える舞踏について、HPには以下の記載がありました。
「イマジネーションの力を身体の奥深いところ、
無意識の領域でとらえることで個人的なこだわり、
押さえられていた感情などが自ずと、
動きや踊りに顕われてくることになります。
それを表現として、昇華することが私達の舞踏です」
本当にこの言葉どおりのことを感じました。

感情を見せるために体を表現手段として使う従来の舞踊と違って、
感情が生まれる根源からあふれ出てきて、
なかば反射的に体が動いてしまうというような感じを受けました。
つまり動きを頭脳で作っているのではなく、
自分の感覚に耳を澄ますことで、自然に体が動いている感じです。

私は特に、1人の男性ダンサーの踊りが気に入りました。
彼はおそらく私と一緒にワークショップを受けていて、
その後の飲み会でも一緒になった大学生だったと思います。
彼は確か美大で彫刻を専攻している人でした。
他のダンサーの体が表現手段として
先の方から動いているように見えたときがありましたが、
彼の体は中心からうねりが生まれ、広がっていくように見えました。

私自身もワークショップでそうだったのですが、
従来の舞踊をやったことのある人は
四肢の大きな動きで表現しようとしてしまうように感じました。
美大生の(?)彼がそうならないのは、
彫刻という動かないものに表現を押しこめることを
日常的に体験しているからなのかなと思いました。


そういえば、以前テレビでおもしろい実験を見ました。
現代劇の役者である樹木希林さんと、有名な能役者の
表情と感情の動きの比較でした。
表情の動きは顔の筋肉につけたセンサーで
感情の動きはよく覚えていませんが、
手の汗だったか心拍数だったか、何か生理的な指標で測っていたと思います。
その結果、希林さんは感情が高ぶるにつれて表情も大きく動いていましたが、
能役者の表情にはあまり変化がありませんでした。

舞踏でも表面的な動きは大きくなくても、
微妙な動きの中に表現者の内面の変化があふれ出てくるようです。
見る側にも、「心で見る、感じる」ことを求めている感じがします。


今夜は連れ合いと一緒に見に行く予定だったので、
息子も同伴していました。
「ぐずったら出られるように、入口のそばで…」と言われたのですが、
少しも騒がずじっと見入っていたのには感心しました。
演技が終わったら、ちゃんといいタイミングで拍手もしていたし。
さすが4歳にもなるとお兄ちゃんになってきたかな?
今夜はいい子でいてくれて、ありがとう。



ロシアのケーキで誕生祝

2008-11-24 23:17:18 | 家族・家のこと
今日は息子の誕生日。
我が家にホームステイしているロシア人の女の子が
昨日ロシア風のケーキを焼いてくれました。

彼女が作り始めたとき、私は昼寝していたので
生地に小麦粉と砂糖、重曹のほか何を混ぜたのか、
見ていませんでした。
うちで使っている小麦粉は全粒粉だし、砂糖はきび糖だから、
いずれにしてもロシアで作っているものとは
かなり違っていたはずです。
この生地を3つに分けて、それぞれくるみ、けしの実、
干しぶどうを入れて焼きました。
材料や道具が違うからか、うまく膨らみませんでしたが、
おいしそうな匂いがしていました。

クリームは、サワークリームを使っていました。
ロシアではスメタナと呼ばれるサワークリームを
いろんな料理に使います。
日本でも、ボルシチに加えられたサワークリームを
味わったことがある方もいると思います。
ロシアのスメタナと日本で市販されているサワークリームでは
粘度や匂いが違うということで、
混ぜるのに苦労していました。
でも、なんとか3段のケーキの間とトップにそのクリームを塗り、
くるみをトッピングしてできあがり。

旧鳥越村のレイキ仲間が作ったみつろうそくも、ともしてみました。
息子は1人ではなかなか吹き消せなかったので、
私と一緒にふぅーっとやって、さっそくケーキをいただきました。

ケーキはとてもおいしかったけど、ロシア人の彼女は残念そうに、
「イルクーツクへ来てください!
私のおばあさんのピロシキとケーキを食べてほしい」と言ってました。
大学時代にモスクワで2ヶ月ほど過ごしましたが、
極東地域はまだ行ったことがありません。

無事に赤ちゃんが生まれたとしたら、
彼or彼女が2歳になって大人料金の航空運賃を取られる前に、
おいしいピロシキとケーキを食べに行きたいと思います。





共感した衣の本2冊

2008-11-22 22:43:48 | エッセー
先日、「衣を自分の手に取り戻す」という記事で、
自分が生きていることを肯定できるような服、
体が喜ぶような服がほしいと書きました。
昨日、最近リニューアルオープンした
金沢市の玉川図書館に行って、
裁縫関係の本の中に、何か私が求めるような服を
提案している人がいないかなと探してみました。

すると、まず真砂三千代さんの「風着(かざぎ)」
という本が目に入りました。
アジアの布を実に自然に体にまとって、
野を歩くモデルたちの姿に、目を奪われました。
真砂さんは、「インドへ旅した際に
生活に根ざしたモードを目の当たりにし、
創造のインスピレーションを得た」そうです。
また、バリ島に暮らしていた時は、
「作り手が自然に囲まれ、
仕事と生活が無理なく調和した環境に共感した」そうです。
私が求めている感じにとっても近いわ!

もう1冊目に止まったのが、「安藤明子の衣生活」という本。
副題の「ずっと着られる衣服を求めて」という言葉に
ひかれました。
安藤さんは、結婚して日本家屋に住みようになったら、
洋服の不合理な点に気づくようになったそうです。
そして、「風土に適い、いつでも気持ちよく着られて、
年齢や体型にとらわれることなく、
いつまでもその人らしく、ずっと美しく着られるもの」を
求めたそうです。
これって、今の私が抱えている問いとすごく似てるな。
安藤さんが行きついた答えは、サロンという筒状のスカート。
東南アジアの国々で着られていて、
日本の着物の下半分みたいな感じでもあるから、
親しみやすいものです。
この本には、マタニティとしてのサロンの使い方や
ベビー、子ども服も載っていました。
しばらく、この本をながめて楽しめそう。

安藤さんは、岐阜県多治見市に築100年の古民家を移築した
「ギャルリ百草」というお店で、
衣食住の道具を扱っているそうです。
来年帰る予定の岐阜県に、そんな素敵なところがあるなんて
早く行ってみたいなぁ。
また楽しみが増えました。

【ネタバレ注意】「闇の子供たち」を見てきました

2008-11-21 18:19:24 | 行ってきました
あぁ、重たかったぁ…。
話題の映画「闇の子供たち」を見てきました。
つわりもあるし、続けて流産してる身だから
あまり精神的な衝撃を受けるようなことは、
避けようと思ってるのですが、
これは見ておきたかったのです。

幼児売買春や臓器密売の話は新聞やネットで見ていたけど、
フィクションとは言え、映像で見ると
本当に気分が悪くなってしまいそうです。
特に臓器密売の話は、真偽はともかく、
この映画で描かれていたよりもっと残酷な話を
オルタナティブ通信」というサイトで読んでいたので、
そういう残虐な映像がなかったのは、
今の私にとっては幸いでした。

この映画がよかったのは、仲介人の男も
実は子どもの時に性的虐待を受けていたという被害者の面を見せて、
単純に誰かを悪魔扱いしていないことです。
また、衝撃的な最後では、正義感に燃えているように見えた主人公にも
実は彼が告発しようとしていた対象と同じような闇があったことが
明らかになります。
そして、心臓移植を受ける子どもの親は、
提供される心臓が闇のルートから調達されるとうすうす感じつつも、
「誰が私の息子に死ねという権利があるんですか」と言います。
親に売春宿へ売られ、エイズになってゴミ捨て場に捨てられた後、
奇跡的に故郷の村に這ってたどりついた女の子は、
鳥小屋のようなところに隔離され、死んでいきます。
虫がたくさんわいたその死体を荼毘にふす時、
母親らしき人物だけが泣いていました。

阪本監督は、パンフレットに掲載されたインタビューの中で
「映画で描く出来事が日本人の自分自身にはね返ってくるような作品にしたい、
観た人がこれは他人事と決着してしまうような
善悪で割り切れる犯罪ものにはしたくないと考えました」と語っています。
その意図はみごとに実現されていて、
私も映画を見終わった後、ぐるぐるといろんな考えにとらわれました。

よく言われるように、社会格差や貧困がこの悲劇の根本原因なのか。
しかし、需要があるかぎり、こんな犯罪はなくならないと
監督やプロデューサーに助言した大学の先生は言っている。
では、幼児売買春の欲求を持たないようにする必要があると思うが、
性的な欲求のはけ口にすることはともかく、
幼児を愛してしまうということは裁かれるべき悪徳なのだろうか。
もしそうなら、そんな悪を生まれさせる
心理的な経歴、あるいは資質に何か特徴があるのだろうか。。

よくわからないことだらけですが、私が直感的に思うのは、
この悲劇を起こしている根本原因は
私たち1人1人の心の中にある闇の「何か」ではないかということです。
多分、それはいろんな痛みや傷なのだろうと思います。
その痛みや傷をいやすことができたら、
だんだんこういうことがなくなっていくのではないかと思えるのです。
具体的に自分が何をすればいいのかはまだ見えません。
「今、ここで、自分」にできることと言ったら、
自分をレイキで満たし、それを周りに広げていくことくらいしか
思い浮かびません。


ところで、勧善懲悪でない映画と言えば、
今日映画を観たシネモンドでは、
あのヒトラーを孤独な人間として描いた
わが教え子、ヒトラー」という映画を1月に公開するそうです。
これもまた楽しみですが、
その頃までにつわりも落ち着いていることを祈るばかりです。









麻生さんがカウンセリングに来たら・・・

2008-11-20 23:47:02 | 気づき
夕べ何気なくネットのニュースを見ていたら、
しつけるべきは母親=幼稚園PTA大会で首相」という
ニュースを見つけました。
「また、こいつこんなこと言ってんの~?
現場のことよく知らないで、思いつきでしゃべるな!」
とか思ってました。
そうしたら、首相の医師に対する発言を見てみると、
もっとひどいですねぇ。
医師は社会的常識が欠落した人が多い」だって。
そのフォローで言ったことがまたふるっていて、
「医者の友達もいっぱいおり、
意見、波長が合わない人が多いなと思っていた」そうな。

腹が立ったけど、ふと思いました。
こんな人がカウンセリングに来たらどうする??


かおる「今日はどんなお話をうかがいましょうか?」

太郎「俺、最近もう疲れちゃってさぁ。
思ったこと言うと、すぐマスコミの奴らが揚げ足取るんだよねぇ」

かおる(内心、「お前の思ってることが、すでに首相失格なんだよ!」とか
思いつつ、ちょっと前傾姿勢になって真剣なまなざしで)
「それは大変なんていうものじゃないですねぇ。
思ったことが言えないのは、ツライですね。
お疲れもだいぶたまっていらっしゃるでしょう」


ちょっとこの後の展開はうまく浮かばないんだけど、
いずれにしても、話を聞き出したら
きっと私は麻生さんのことを
嫌いにはなれなくなっちゃうだろうなと思いました。

私は未熟者で、人の悪口を言ってしまうことはありますが、
うそっぽく聞こえるかもしれないけど、
嫌いな人は思いつかないのです。
人にはいろんな面があるから、
「この部分は嫌いだけど、この部分はすごいと思う」
というように見ていて、まるごと1人の人を嫌いということは
もうずいぶん前からなくなりました。

麻生さんのことは嫌いだと思っていたけど、
正しくは「よく知らない」ですね。
マンガが好きだそうだから、
ひょっとしたら同じマンガのファンで、
話し出したら盛りあがるかもしれないし。
私が嫌いなのは、マスコミを通して見える
彼の政治家としての姿勢かな。


私たちは、よくこの「嫌い」と「よく知らない」を
混同してしまうみたいです。
外国人とか性的指向が違う人とか。
それが無用な憎しみの原因になっている気がします。

人を多面的に見られたら、その人と自分が
共有できるものが見つかって、
親しみを感じる可能性も高くなると思います。
今年の9月、友人の原案をもとに
金沢市の市民参画課が実施した「コラボんセミナー」は、
まさにそれを体感するものだったなぁと思い出しました。


生活の断捨離はじまる?

2008-11-19 18:01:04 | 気づき
金沢は今日もひどい冬の嵐。
突風は吹くわ、雹は降るわ、雷は鳴るわ、大変な天気でしたが、
友人が一生懸命準備していたイベントがあるので、
歩いて出かけました。
イベントは、金沢友の会の家事家計講習会。
私も、家計簿アンケートで協力していました。

最初の発表は、20代の女性が友の会の方式で
予算を立て家計簿をつけた実践結果でした。
ちゃんとお弁当を作って、化粧品も住まいの洗剤も手作り、
服はリサイクルショップで売ったり、買ったりしているとのこと。
一方で、県外の友人の結婚式に行ったり、
地震が起これば赤十字に寄付したり、
NPOでボランティアに参加したり、
節約した分を自分が使いたいことにしっかり当てているそうです。
こういうメリハリのあるお金の使い方って、いいなぁ。


最近、必要だと思いこんでいたけど本当はいらないかも
ということが出てきています。
たとえば、毎日お風呂に入って、石けんで体を洗ったり、
頭を洗ったりすること。
石けんやシャンプーで必要以上の皮脂をとってしまうから、
肌が乾燥したり、余計な刺激物を与えてしまうのでは?
と思うのです。
実際、皮膚科の先生に、あまり石けんで洗わないようにと
言われたことがあります。

基礎化粧品も大学生になったら、お決まりのように使い始めたけど
これもあんまり必要ないかなと思い始めました。
だって、化粧品なんてほとんど使っていない私の姉は、
私より若々しい肌しているから。
化粧して洗顔料で洗い落とす必要がある人は
落してしまったものを補わなければならないかもしれませんが、
普段私はすっぴんですから、ぬるま湯で洗う程度でいいんじゃない?

意外に思われるかもしれないのは、
計画を立てる必要性もあまり感じなくなりました。
そもそも計画をしっかり立てなくてはならないほど
忙しくしないように気を配るようになってきています。
「忙しい」とは、文字どおり「心を亡くす」ことだと
実感するようになったからです。
そう考えると、今日学んだ家計簿や予算生活も
私にはどれだけ必要か、見定める必要がありそうです。


こうやって、自分がやっていることに対しても
断捨離が始まってきているのかもしれません。
私も、今日発表していた女性のように
もっとシンプルライフを目指したいです。


衣を自分の手に取り戻す

2008-11-18 18:15:13 | 自分のこと
最近、着たいと思う服がなかなか見つかりません。
もともと筋金入りの機能至上主義者な上、スポーツが好きなので、
幼稚園のお迎えでも、「山に行くみたいね」と
言われるかっこうをしています
(リュック、トレッキングシューズ、防水パーカなど)
でも、心理学講座を受けてから、もう少し自分の女性性を
肯定できるようなかっこうをしようかなと考えているのですが、
「これは」と思えるものが見つかりません。

ちなみに、コンサル会社にいた頃は、普通にスーツを着てました。
今から思えば、あれは戦闘服ですね。
確かに気分はぴりっとするのですが、
肩をいからせて他の人と競い合う感じがします。

かと言って、ぴらぴらしたのは性に合わないし、
セクシーな感じのはもっと嫌い。

私がほしいのは、女性性を肯定するということよりまず
自分が生きていることを肯定できるような服です。
それを着ると、気持ちよくて、体中の細胞が喜ぶような服です。
地球や作り手の人たちを搾取しないで、
逆に元気付けるような服でもあります。

あまりに見つからないので、
自分で作るしかないのかなと思っていた矢先、
鴨川和棉農園というサイトを見つけました。
日本で1000年以上自給されていた歴史があるのに、
今は絶滅しかけている和棉を自分で育て、
服にしようというワークショップを開催しているそうです。

ここのトップページに、「ガンジーとチャルカ(糸車)の思想」
という項目があったので、「あれ?」と思いました。
先日、いつも食材を買っている共同購入会で買い求めた
「ガンジー 自立の思想」という本で読んだ言葉だったからです。
よく読んでみたら、なんとこの本を書いたのは、
この鴨川和棉農園の代表の方だったのです。

しかも、最近オーガニックコットンの赤ちゃん服を探して
見ていたサイトで、この農園が協力してできた
和棉のマフラーを見たばかりでした。
その時は、そうとは気づきませんでしたが。

何というシンクロだ。


そうこうしているうちに、大学時代の中国人の元カレが
「君はファッションに関ることをやってみるといいよ」と
言っていたのを思い出しました。
そういえば、そのカレの言葉に影響されてだったか、
本気でパターンを勉強しようと、
講座にも申し込んだことがあったっけ。
裁縫自体も、母にスパルタで仕込まれたので、
「これはお母さんにやってもらったでしょ?」と
家庭科の先生に言われるくらい見事な作品を出したりしてました。
(ただし、これは手縫いの場合。ミシンはあまり得意ではなかった。。)

でも、衣食住の生活の根本にかかわる部分で
どれにかかわりたいかと言われたら、
私はずっと住の部分だと思ってました。
住居の授業で、自分の理想の家の間取り図を書くのは大好きだったし、
食に次いで住の部分が、社会で矛盾の多いところだと思っているので。
でも、この部分に関しては自分がかかわれる道がまだ見えてこないから、
まず衣の部分を、自分の手に取り戻す試みをするのかもしれません。

とりあえず、子どもが新しい幼稚園で使う絵本袋や
赤ちゃんの小物なんかを、フツーのママみたいに
作ってみることからやってみようかなぁと
思い始めたところです。