摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

家族と自分のための日

2005-10-31 00:19:48 | エッセー
路面電車に関する作業をしようと思って、
ほとんど何も手がつかなかった。
午前中は他に誰も家にいなかったから、
息子の相手をしながら家事をやった。
午後からは県民ふれあい会館で
「知恵を生む人づくり・地域づくり」という講演を聞いた後、
連れ合いの学校の学園祭に行った。

上野千鶴子さんの「老いる準備」の中に、
市民事業に入れ込み過ぎないよう、
足手まといになる家族がいるくらいがちょうどいい
ということが書かれている。
今日の私の時間の使い方は、まさにそんな感じだった。

ブログの方も、路面電車廃止の検証と再生運動についてだけでなく、
他のことを書きたいことも多くなってきた。
もう少し広い範囲のことを書くのにふさわしいように
模様替えをしようかと思っている。
テーマによっては、
6月以来お休みしている前のブログに書いてもいい。

明日も「老いる準備」読書会と講演が入っている。
でも、明日こそ作業スケジュールを作りたい。
今夜はとりあえず寝よう。

写真特集 続・路面電車の消えた街

2005-10-29 23:44:20 | 写真集
2週間前の日曜に廃線を歩いた際、
連れ合いが一眼レフで撮影した写真をデータにしてもらった。
その中からいいものを選んでみた。


長良川鉄道の関駅から、新関駅の方を見る。
使われなくなった線路に花が張り出してきていた。



岐阜市と関市の境界付近にかかる鉄橋。
ここに電車が通っていたら、どんなに美しいだろう。



真桑駅付近から見たまっすぐな線路。
なぜかこの付近では雑草があまり生えていなかった。



北方真桑駅。
かつて連れ合いが利用していた。



北方真桑駅の伝言板。
3月31日の日付に、「今までどうもありがとう」の言葉が。



行き先表示板が落ちていた。


市民交通会議を傍聴して

2005-10-29 00:52:30 | 社会活動
9時30分から、市民交通会議が開かれた。
今日は部会活動の報告と
総合交通政策方針(案)を正式なものとするための
意見交換が議題だった。

8月の会議を傍聴した際は、
経済同友会のA委員から「路面電車は時代遅れ」
という趣旨の発言があり、目が点になった。
市民公募で選ばれた別のA委員から
世界では路面電車復活の流れがあるとの反論が
すぐ出された。
交通のことを少し調べれば、こんなことはすぐに分かる。
このような事実さえ知らない人が副委員長を務めていた
経済同友会の「公共交通を考える委員会」と
そこが出した「公共交通に関する提言」の信頼性について
疑念を持たざるを得なかった。

今月から2年目を迎える市民交通会議は、
委員の入れ替えがあり、経済同友会のA委員は退任した。
今日の議論は、8月の会議に比べ
ひどく先進地域の流れから外れるようなものは
なかったように思う。

私がごく身近に知っている
NPO代表のHさんも委員を務めている。
彼の発言の一つは、今日の議論で
私が最も重要だと考えた部分に入っている。
それは、経済同友会のH委員から
バス路線はその路線の採算性を考えて
設定すべきという意見から始まった部分である。

「公共交通の採算性」というのは、本来おかしな話である。
交通と環境の問題に詳しい上岡直見さんは、
著書「持続可能な交通へ」の中で以下のように書いている。

(以下引用)
欧米の交通関係者に日本の公共交通の経営状況を説明するとき、
日本で一般に言われている公共交通を「パブリック・トランスポート」と翻訳すると、
怪訝な顔をされることがあるという。
日本では、公営であっても交通事業は独立採算性が
原則であるかのように認識されているが、
なぜそれがパブリック(公共)と言えるのかという疑問を呈示されるのである。
政策担当者、事業者、利用者を含めて、独立採算性が
原則であるかのような認識に囚われていることが、
日本での公共交通の充実を妨げる要素のひとつとして挙げられるであろう。
(引用終わり)

NPOのHさんは、「バス路線は1路線だけを取り上げて
採算性を議論すべきでない」と主張したが、
経済同友会のH委員はそれでも、
「採算性は度外視できない」として、譲らなかった。
会議後に、NPOのHさんに採算性について語るなら
公共交通の多様な効果もすべて含めて議論する必要があると
指摘するべきだったと伝えた。
だが、彼は「あれ以上議論しても仕方ないと思った」と言った。
しかし、同友会のHさんのような主張はよく聞かれるものだから、
公の場で先進地の動向を知っている人が
それに対する反証を示しておく必要があったのだ。

普通の市民の立場で参加していても、
公の会議で発言する際は、
その発言の影響力を十分意識する必要があることを
あらためて思った。

行政を動かすもの

2005-10-28 01:22:20 | 社会活動
今日は柳ヶ瀬でもピカイチのおしゃれなお店、ラ・シェーズ
お茶しながら雑談のような打ち合わせをした。
美大の学生さんがHさんを取材していたためである。

私は夕べから、一つのプロジェクトの企画に胸ときめかせていて、
それをHさんに提案してみた。
やはりこの期に及んだら、何か目立つことをやって
メディアで大きく取り上げてもらい、
一気に形勢逆転、起死回生を狙ったほうがいい。
そして、どうせやるなら、何か楽しめることがいい。
そう考えて思いついたのは、寸劇である。
地元の時事ネタをパロディで使いながら、
私達の主張をおもしろおかしく、でもしっかり伝える。
そんなことに挑戦してみたい。

その場にいた男性陣3名は、私の提案に対し
ちょっと引き気味だった。
それでもHさんは、「おもしろそうですね」と言ってくれて
具体的に検討してくれるようだ。

今はもう恥ずかしがったりしている場合ではない。
本当に何かを起こしたいなら、
捨て身のパフォーマンスが必要だと思う。

この話をした後、
高岡で万葉線の存続運動に関わってきたZさんが、
ふと私に聞いた。
「行政を動かすものって何ですか」
私はとっさに、「アメとムチです」と答えた(^^;)
適度な応援と緊張の関係を念頭に置いてのことである。
でも本当は、行政に限らずどんな人が相手でも、
人を動かすのは熱意と誠意だと私は思っている。
今は行政を動かすために、まず市民の心を動かす方法を探りたい。


公文書不存在

2005-10-26 23:30:06 | 社会活動
市の交通総合政策室のSさんから電話があった。
市民交通会議設置の経緯に関する資料を
公開請求したのだが、
設置要綱くらいしかないと言う。
同じく市民交通会議の委員選定の経緯と理由についても、
委員を選んだ後の決済資料しかないと言われた。

だが、それなら「市民交通会議」という言葉は
誰が思いついて提案し、どこで了承されたのか。
まさか、何の文書も作らないということはないだろう。
職員個人の記録などにしても、何かあるはずだ。

ただ、市民交通会議設置の経緯について、
少しは話が聞けた。
もともと学識経験者や警察など通常の委員会
(市民を含まない)を設置することを検討していたところ、
路面電車の存続断念などがあり、
市民も含めた会議にすることになったのだそうだ。

他にも公共交通特区申請の経緯や
オムニバスタウン事業に関して事業者から入手した資料も
請求している。
オムニバスタウン事業については、
来年度の事業について事業者である岐阜バスから
まだ提案書が出てきていないとのことだった。

一方、公共交通特区についても決済文書しかないと言うので、
経済同友会から提案があった際にも、
口頭のみの依頼ということはあり得ないと指摘した。
そのため、決済文書以前の公共交通特区に関する資料一切ということで、
理解してもらった。

他人に見せること、まして市民に公開することを前提として
作っていない文書はたくさんあるはずだ。
それらのうち、どんなものなら
公開対象になるのだろうか。
もう一度、法律と条例をあたってみよう。

運動の成否を分けた?人間関係

2005-10-25 23:51:50 | 社会活動
昨日は、神田町に新しく開設する事務所の
引越し作業を手伝った。
新しい事務所は、広瀬社長が立ち上げた
「岐阜地区新鉄道設立準備室」が使うものだ。

そこで、「ふくい路面電車とまちづくりの会(ROBA)」の
Sさんに会った。
Sさんと言えば、RACDA高岡の幹事でもあり、
2004年9月2日のNHK総合「ご近所の底力」
和歌山県の貴志川線存続へのアドバイス提供役として
登場もした。
さしずめ「鉄道再生請負人」といった感じの人である。
広瀬社長の求めに応じ、
路面電車再生の事業計画の作成を手伝うことになっている。

私は、以前から知りたかった
高岡での路面電車の存廃それぞれの場合に必要な
費用の試算について質問した。
それは費用便益分析で算出されたものだとのことだった。
そして、万葉線存続に関する資料を
いくつか貸してもらった。

ひとしきりその話をした後に、
岐阜で路面電車の存続運動が
始まった頃の話になった。
Sさんはその頃の私達の集まりに
何度か出たことがあるそうだ。
「あの時集まっていた人達の人数、顔ぶれを見て
岐阜は大丈夫だと思ったんですけどねぇ。。」
その後、再びSさんが岐阜に来たときには
ごそっと人が抜けていたのだ。

私自身はその頃まだ会社勤めをしていて、
活動の中心にはいなかったから、
何が起こったのか詳しくは知らない。
残った人、去った人の中心的な人物を知っているが、
彼らは多くを語らない。

「福井や高岡でも、分裂しそうになったんですよ。
どこでもある話ではありますが。。
でも、あの時のメンバーが揃っていれば、
電車は残っていたと思います」
Sさんは、そう言った。

確かに、よくあることだ。
だからこそ、検証しておくべき問題ではないだろうか。
分裂せずに運動の目的が達成されたところと、
分裂して運動が勢いを失ったところとを分けたのは
何だったのか、私は知りたい。


<ぎゃらりー 路面電車の線路は今… その3>

円徳寺前の旧金宝町電停。
バスが連なってくる。

問題の存在を知らせること

2005-10-24 22:33:05 | 行ってきました
昨日の野口健さんの講演、
「富士山から日本を変える」について書いておこう。
講演では、彼が清掃登山を始めるきっかけとなった
エベレストでの体験や、
日本での清掃活動について語られた。

私が特に今の自分の活動に引きつけて聞けたのは、
野口さんの日本での活動の部分だ。
彼は、当初富士山にごみがあふれていることを知らなかった。
だが、地元のNPOの人に案内されて青木ヶ原樹海に行ってみたら、
硫酸ピッチの入ったドラム缶やら、注射針やら、
危ないごみがたくさんあった。
綿のようなごみをせっせと集めていたら、
後から「それはアスベストですよ」と言われたこともあったそうだ。
そんな惨状を環境省の職員に訴え、
「まず現場を見てくださいよ」と言ったが、
受け入れられなかった。
また、最近富士山の地元のある市長が語るには、
「私が富士山の環境を守ると言って選挙をしたら、
次は当選できませんよ」と言うのだそうだ。

行政も政治家もあてにならないなら、と彼が行ったのは、
マスコミをたくさん引きつれて現場を見せることだった。
そして、そこでごみ拾いの活動を始めたら、
若い人達がどんどん加わってくれたのだそうだ。
今ではあまりにもたくさんのごみを拾ってくれたので、
ごみ拾いに人が集まっても、拾うごみがないこともあるようだ。

この話を聞いて、先日友人からもらったアドバイスを思い出した。
「目立つパフォーマンスで、まず問題があるということを
知ってもらうことが大切」ということである。
そう言えば、今年の夏にブッシュ大統領の休暇先の近くで
イラク戦争への抗議の座り込みをし、反戦の世論を強めている
シンディ・シーハンさんのケースもある。

講演の後、図書館に寄ったら、
「アメリカに学ぶ 市民が政治を動かす方法」
(バリー・R・ルービン著、日本評論社)
という本を見つけた。
冒頭に、夫が死んだとき病院に医師が一人もいなかったことを
怒った73歳の女性が、州議事堂のベンチで6昼夜、
抗議の座り込みをした話が載っていた。
彼女の行動の結果、病院には医師が常時勤務しなければならないとする
州の法律が制定されたそうだ。
この本も借りてきた。

さぁ、私は何をしたらいいだろうか。

写真特集 路面電車の消えた街

2005-10-23 23:12:30 | 写真集
先週に引き続き、路面電車の廃線を歩いた。
今回は街中の部分を撮った。



徹明町の交差点。
レールに沿うようにバスが曲がっていく。



金宝町の旧電停。
以前まったいらなこの電停を見て、熊本出身の友達が「怖い!」と言った。



新岐阜百貨店前の交差点。
3月31日の廃止の日には、ここでたくさんの人が最後の電車を見送った。



新岐阜のバスセンター前。
ここで岐阜駅前に向かっていたレールが消えている。



新しくできたペデストリアンデッキから見た岐阜駅前の交差点。
わずかにレールの跡が見える。



真中に見えるのが旧岐阜駅前電停。
すでに地下道は取り壊された。
わずかに残ったレールの上に車が連なる。


廃線跡を歩いたほかは、「持続可能な交通へ」を読んだ。
午後は県立図書館で、
アルピニスト、野口健さんの講演
「富士山から日本を変える」を聞いた。
お笑い芸人顔負けのおもしろい話だったが、
市民運動について示唆に富むところもあったので
明日はそれについて書こうと思う。

プロジェクト管理するぞ

2005-10-23 06:16:13 | 社会活動
早めに寝た息子が夜中に目を覚ましてしまい、
また寝かしつけるのに時間がかかってしまったので、
またもや明け方にブログを書くことになってしまった。
私の生活リズムの崩れが
少なからず影響しているのではと思うと、申し訳なくなる。
だが、いずれ起業したいと考えているなら、
今から時間のやりくりの技術を磨いた方がいいと思っている。
それに、ものごとにはタイミングというものがある。
今しかできないことに、日々全力であたりたい。

同じことは私たちの運動についても言える。
今、運動の中心にいるHさんと
岐阜未来研究団のメンバー数人以外は
仕事を手伝いたい気持ちはあっても、
どんな仕事があるのか、なかなか分からない。
たまに時間があっても、
事情がわかっている指示役がいないなどの事情のため、
待機するしかないこともある。
これはプロジェクト管理役がいないからだろう。

前職の会社はプロジェクト管理の技術に
定評があるところだった。
私の経験を一番活かせるのは、この部分だろう。
「進行役がほしい」とのことはMLでも流れたので、
名乗りをあげてみよう。


昨日の活動としては、先日提出した課題を修正するため、
論理展開を考えていた。
だいたい筋道はできたが、たまっていた疲れが出て、
4時間くらい寝てしまった。
起きたら、もう夕飯時。
まず自分の生活のプロジェクト管理が必要だ。

今日も運動の作業はできないようだから、
論点整理をしながら資料を読みこむことにする。


<ぎゃらりー 路面電車の線路は今… その2>

旧赤土坂駅。かつての駅名がバス停の表示に残る。

水に流すな!

2005-10-22 01:43:27 | 社会活動
再び、市の情報公開窓口に行った。
昨日論点を整理した後、
市が出した路面電車存続の場合の収支予測に
腑に落ちない点があったので、
積算根拠を請求するためである。
窓口に10月15日号の「広報ぎふ」が置いてあった。
「市長の元気宅配便」という市長のコラムの中に
「路面電車」という文字を見つけ、文章を斜め読みした。
以下はその抜粋である。(全文はこちらから)

「長年市民の皆さんに親しまれた路面電車が廃止され、
新岐阜百貨店やパルコの撤退が報道されました。
また中心商店街からはかつての賑わいが消えました。
・・・(中略)・・・
これらは今突然に起こった現象ではなく、
長い歴史の中での必然という一面もあると思います。
今重要なことは将来の社会の変化を適確に把握し、
新たな社会に持続的に対応できるシステムをつくることだと思います。」

そしてこのコラムは、以下の一文で結ばれている。
「過去のみにこだわらず新時代に目を向けることが重要だと思います。」

読み終わって、腹が立った。
自分が責任の一端を負う街の問題に対して、
まるで不可抗力の自然現象であったかのような言い方だ。
そして、「過去ではなく、未来を見ろ」だって?

この人のこういう責任逃れ、言い訳がましい言動は
今に始まったわけではない。
路面電車の存続断念を記者発表した席で、
市民の意見を十分聞く姿勢をアピールするがごとく、
「市民交通会議」の設置を発表した。
ところが、「市民」交通会議と名前がついてはいるが、
公募の市民は3名のみ。
「有機野菜」と表示をつけて、
少し有機肥料を使っただけの野菜を売っているようなものだ。

だが、もっと問題なのは、最後の文に書かれたような姿勢の方だ。
過去の問題をよく検証しないまま、
未来について語ろうとすることだ。
産廃問題の際にも、問題の検証が終わる前から、
「再生」の方策を検討し始めた。
何が原因で問題が起こったか分からないまま、
どうして「再生」の方法など考えられるのだろう。

「過去に目をつぶる者は、現在に対しても盲目である」と言ったのは、
ドイツの元大統領ワイツゼッカーである。
一方、日本では過ぎたことは「水に流す」ことを好む。
この姿勢がいかに多くの日本の問題を放置してきただろう。
水に流すのは、トイレットペーパーだけにしてほしい。