摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

下駄でトレーニング

2008-11-17 21:23:16 | 気づき
北陸の冬にはめずらしく、今日の午前中はよく晴れていました。
土曜日に幼稚園のバザーがあったので振替休日だったけど、
近くの児童館も図書館もお休み。
子どもを連れて動き回る余裕もないので、
のんびり歩いて病院まで行きました。
あたたかったので、久しぶりに下駄を出して
歩いてみることにしました。

先般書いたように、今私は家の中では
足半という小さい布ぞうりを履いています。
外を歩くときも下駄を履いて、
脚の内側の筋肉を使うトレーニングしてみようと
しばらく前から思っていたところでした。

下駄を履くと足の裏からの刺激が体にいいという
話もあります。
それはともかく、音も心地いいし、
体も心ものんびりしていい感じ。

それに、下駄を履くとさっさと歩くのが難しいから、
ついいつも自分のペースで歩いてしまうところを、
今日は子どものペースに無理なく合わせて歩けました。

こんなことができるのも、心と時間に余裕があるからです。
下駄はそんな余裕をもった生活をするための
トレーニングも提供してくれるようです。

ついに来た!

2008-11-16 01:11:26 | 自分のこと
実は、1週間前に妊娠してることがわかりました。
前回、前々回と続けて流産してるから、
早い段階で公表するのはやめておこうと思ったのですが、
例のやつが来たようなので、
「あれ、どうしたのかな?」と思われる前に
お知らせしておきます。

で、「例のやつ」っていうのは、つわりのこと。
息子がお腹にいた時は、
まったくと言っていいほどつわりがなかったし、
流産した過去2回は、つわりが来る前に流れてたから
今回初めての経験です。
確かにこれは気持ち悪いわ。。

微妙に食べたいものも変わったようです。
今、ちょっと魚が食べたくないみたい。
肉はもともと最近あまり食べてないので、
よくわかりません。
すっぱいものが食べたくなると言うけど、
すっぱいというか、さっぱりしているものが食べたいです。

妊娠についてのサイトをいろいろ見ていたら、
つわりはお腹がすくとひどくなるそうです。
とは言え、気持ち悪くて食べられなかったり、
医者に体重のコントロールをうるさく言われたりするから、
お腹がすく前に食べるのも難しいかも。
妊婦もつらいねぇ。


先日、主婦業と母親業をじっくりやるのもいいかなと思った直後に
妊娠がわかったので、この赤ちゃん、
「そうなるってわかってたよ!」とにんまりしてるかもしれません
いや、そう仕向けたのはこの人かも?

2回続けて流産した人が、また流産する可能性は
3~4割もあるそうです。
また、流産の全体のうち、12週までの早期に起こるものが
ほとんどらしいです。
この早期の流産のほとんどが、胎児の染色体異常によるものとか。

息子を妊娠してた時は、つわりがなかったので、この時期に
スキーに行くわ、ロードバイクで7キロの距離を毎日往復するわ、
引越し、合気道もやるわ、いろいろやりました
お腹にいる時から、獅子の親のように
我が子を千尋の谷に突き落としていたわけですね。

今度の子はそこまでやらないまでも、
普通に暮らしていて下りてしまうなら、
それまでの運命なのだと思います。
何か使命をもって来たのなら、生き残るでしょう。
どうなるか見守りたいと思います。



手ごわい分析対象

2008-11-14 22:35:40 | 気づき
昨日、岐阜の幼稚園を見学に行った時、
息子の態度に一喜一憂しました。

見たことのないお祈りや手遊びも
予想以上に集中してやっていたり、
片づけなども率先してやったりして
幼稚園での成長を感じさせるところもありました。

かと思えば、食事の時間になったら
ごろごろ寝転がったり、おもちゃを出してきて遊んだり
1年年下の子たちより赤ちゃんみたいになったり。。

外遊びをしていた時は、
急に女の子の背中を木のシャベルで叩くわ、
砂をかけるわ、かみつくわで
シュタイナーの幼稚園では多分ありえないような大きな声で
子どもを呼んで、注意しました


この幼稚園の先生は、急に初めてのところへ
連れてこられたのだから仕方ない、
他の子でもあるというようなことを言ってました。
この事情を伝えた今の幼稚園の担任の先生にも、
注目してほしかったり、一緒に遊んでほしかったのかも
と言われました。

でも、そんな話をしているそばから、
同級生の女の子を叩いたり、けとばしたりしているのです。
昨日言われたように、確かに仕返しされそうもない
女の子ばかりを狙っているようです。
なんだか息子はすごく底意地が悪いように思ってしまいそうですが、
叩いた女の子と一緒にかけっこして遊んだりしているので、
やはり担任の先生が言うように、
遊んでほしいだけなのかもしれません。
言葉が遅れ気味で、表現がうまくできないからかも。


大人の心理分析はだいぶ分かるようになってきた気がするけど、
子どもはなかなか手ごわいです
特に自分の子どもは。


生き延びるためのシュタイナー教育

2008-11-14 00:19:38 | エッセー
今の社会では、人は大きなシステムの部分として働かされています。
だから、自分をそのシステムに適合させようと
高度な専門性を持った、より付加価値の高い部品になろうと
努力していますが、それはとても危ういことだと
お風呂の中でふと思いました。

なぜなら、システムを支配する層にとって都合のいい部品になれば、
そこに頼らなければ生きていけないと思いこむ
奴隷のような存在になってしまうと思うからです。
そして、支配層はより性能のいい(都合のいい)部品を選ぼうとするため
ニーズに合わなくなった部品はどんどん捨てられるでしょう。
実際それが、今の社会での人間の扱いです。

本当にこれからの社会で生き延びたいのなら、
いい大学、会社に入るための受験勉強なんてやめて、
生きるために最低限必要な仕事を身につけた方がいいと思います。
食べ物を手に入れて、食事を作ること。
夜露や暑さ、寒さを防ぐ住まいや衣服を作り、整えること。
一緒に支え合う仲間を大切にし、ケアすること。
そして、仲間に認められ、生きがいを感じるために、
人の役に立ったり、人を楽しませたりする仕事を見つけること。

できるかぎり自然にちかい素材が保育に使われるシュタイナー教育では、
そんなことができると私は思っています。
どうやってその素材を加工すれば、自分たちの役に立つようにできるか
こどもたちは学んでいくから、
どんな状況におかれても自分は何かできると思えるでしょう。
確か、本当にそんな風に卒業生たちが育っていると
外国のシュタイナー学校の本で読んだおぼえがあります。

今日、私はもう一度岐阜に帰って、
気になっていたもう1つの幼稚園を見てきました。
野菜を育てたり、布を織ったり、人形を大事に抱っこしたり、
人が生きていくための本質的なことが学べそうだと直感しました。
大波がはじけている今の世界ですが、
ひょうひょうと無人島で釣りをしているような
しぶとい人に息子はなってほしいです。


市場徹底使いきり塾 第3弾 ~金澤のお正月料理

2008-11-12 14:18:12 | イベント案内
先般、打ち合わせのことを記事にした
お正月料理教室の正式な案内を忘れてました。
託児のない方は、25日までの締め切りになりますので、
ぜひご参加ください。


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「市場“徹底”使いきり塾」  第3弾
金澤のお正月料理
~伝えたいふるさとの心と知恵~

冷蔵庫やトラックがなかった時代、人は食べ物を干したり、
濃い味付けをしたりして保存し、地域の環境や文化にあった料理を生み出してきました。
そんな伝統が息づくお正月料理は、地球と体にとてもやさしい知恵がつまっています。
昔の金沢の食卓に思いをはせながら正月料理をつくり、
師走の近江町市場で買物してみませんか。


日時:12月5日(金)10時~13時
 場 所:近江町消費者会館3階調理実習室
 (金沢市上近江町50番地 近江町市場内 TEL. 076-231-1462)

● 講 師:料理研究家 石野典子先生
● 内 容:調理実習、講師をかこんでお話、オプションで市場での買物
● 献 立:金澤のお雑煮、お煮しめ、昆布じめ
● 参加費:1,000円(金沢エコライフ・ワーキングネット会員は900円)
● 持ち物:三角巾、エプロン、タオル、布巾、持ち帰り用の容器、筆記用具、アンケート用紙等
● 定 員:25名 
● 託 児:ひとりにつき500円(要予約。受け入れ人数に限りがあります)
● お申し込み方法:
 往復ハガキに住所・氏名・電話番号、託児を希望の方は子供の名前・性別・生年月日をご記入の上、
  〒920-8577(住所記載不要)金沢市環境政策課までお送りください。
   11月20日(木)必着、申し込み多数の場合は抽選とさせていただきます。

参加決定の方には、我が家のお正月料理についてのアンケートを配付いたします。
当日までに、用紙へ記入しお持ちください。
みんなで地域に根ざした、地球にやさしいライフスタイルを考えます。

※ この事業は金沢市の委託により、金沢エコライフ・ワーキングネットが主催します。

《お申込み・問い合わせ先》
主催: 金沢エコライフ・ワーキングネット(担当:高瀬)
Tel 076-262-2486 mail: kuschaana@yahoo.co.jp
http://kanazawa-econet.main.jp
    金沢市環境政策課
Tel 076-220-2507 Fax: 076-260-7193
後援: 財団法人 いしかわ子育て支援財団

ワークショップの続き

2008-11-12 00:25:33 | 気づき
昨日も今日も、日曜日のワークショップの続きのように、
いろいろ考えさせられました。
親に対する罪悪感というのは、
これまでの人生の後半で大きな影響を持った感情でしたが、
人生全体にもっと大きな影響をおよぼすのは、
小さい頃の感情でしょう。

私にとってのそういう感情は何なのか、
ワークショップの最中に自分が無意識に何度か使っていた
言葉にヒントがありそうだと感じてました。
それは、「他人」という言葉です。
「しょせん、他人」「どうせ他人」といったような
使い方をしていたと思います。
私は、そうやって自分と他の人の間に線を引いているようです。

小さい頃は、線を引くというより、他人を恐れていました。
極度の人見知りで、幼稚園でも全く口をきかず、
端っこのほうに座っていたので、いじめられました。
近くの川へお散歩にいった時、男の子に顔を殴られたらしく、
鼻血が出て仰向けに寝かされたことをまだ覚えています。

この極端な他人に対する恐怖は、
どこから来ているんだろうと思ったとき、
母のことを思い出しました。
私たちの心理分析の先生、長谷川泰三さんによれば、
私たちがずっと持ちつづけている感情の大部分が
親の気持ちのコピーだそうです。
私の母は、東京から栃木へ来て、見知らぬ土地で
3人の子育てをほとんど誰にも頼らずやっていました。
母自身もちらっとこぼしていましたが、
東京から来た人というのは田舎ではとかく注目されがちで、
「東京の人は、どぶ板も踏まない」といやみを言われたそうです。
また、母が小さかった頃、戦争中で疎開していた時、
やはり田舎の人から意地悪をされたようです。

そんな経験もあって、母は子どもたちを
なるべく近所の子とは遊ばせないようにしていたのかもしれません。
私たちがもう少し大きくなってから、
「栃木弁を覚えるのが嫌だったから、あまり近所の子とは遊ばせなかった」
とは言っていました。
姉は近所に友達がいましたが、私は姉の友達としか遊びませんでした。
なぜ姉は人見知りにならなかったのか、よく分かりませんが
もしかしたら私が母のお腹の中にいる時に母は、
とてもイヤなことを経験したのかもしれません。


今の私を知る人は、私が極度の人見知りでいじめられていたと言うと
驚かれるかもしれませんが、今でも私は人見知りです。
初対面の人と話すとき、特に自分から声をかける時は心臓がバクバクして、
心の中では「嫌がられるんじゃないか」という恐怖がうずまいてます。
多分、これは小さい頃いじめられていた後遺症もあるでしょう。
でも、そろそろこれも克服する時期に来ているのでしょう。
こんな風にブログに書いているということは。

ワークショップの時、泰三さんが
カナダの原住民の非行少年たちの矯正プログラムを紹介してくれました。
それは、高いところから両手を広げて、後ろ向きに倒れると
下で他の少年達がそれを受けとめるというワークをやることで、
他人を信頼することを学ぶものです。
最初は信頼がないので、腰がひけてしまってうまく下りられなかったのが、
だんだんそのまま後ろ向きに倒れこめるようになるようです。
きっとうまくできるようになった他の少年を見れば、
残りの少年もうまく身を預けられるようになるでしょう。
私も自分自身で、それを試す時期なのかもしれません。


心理学ワークショップ

2008-11-10 14:13:23 | 行ってきました
昨日は、心理学のワークショップ
ほぼ終日参加してました。
今の講座は中級編で、ほぼ同じメンバーで
今年の5月から毎月のように参加しています。

このワークショップでは、
自分の悩みや気になっていることを話して、
そこから自分の感じ方や考え方のくせを見つけて、
それを克服するための心理劇を他の参加者にも
助けてもらいながら行います。
これが、すごくハードなんです。
別に運動するわけじゃないんですけど、
いろんな感情、特に自分が避けてきた感情を
感じるはめになるので、
終わった後は頭がガンガンする人もいるし、
眠れなくなる人もいるようです。

参加者は数人から20名弱まで、その時によって変わりますが、
自分の悩みを話すのはカードで当てられた人だけ。
だから、1回のワークショップでは、2、3人だけです。
でも不思議なことに、自分が当てられなくても
前で話す人の悩みが、自分の抱えていることと
いつも深く関っているのです。
当てられる人は、だいたいその悩みが
取り除ける時期に来ている人だと言われています。

5月に始まった初級の時も、中級に入ってからも
よく当たっている私。
そろそろ、何かを克服する時期のようです。
昨日もまた当たりました。
私のこれまでの人生の後半部に
一番影響を与えている感情がテーマでした。
それは、両親は一生懸命私に投資してくれたのに、
その期待に応えられていないという罪悪感です。
この罪悪感を持つきっかけになった具体的な経緯は
全く取り上げなかったし、全く別の問題を話から始めたのに、
まさかそこを掘り当てられるとは、
本人が一番びっくりしてます。
最近、他の人の話を聞いている時は、
早い段階でだいたい何が問題になっているか
気づくようになっていたのに、
自分のことは本当にわかりません。

親に対しての罪悪感を抱くようになったのは、
何か実績をあげなければ自分は認めてもらえない、
愛してもらえないという、
取引のようなこと(心理学の専門用語で補償)を
ずっと思いこんでいたことが、根底にあるようです。
親の投資に見合う実績をあげていない自分を
後ろめたく感じるのです。

ごく最近、私はこの罪悪感から開放されつつあったので、
本当に手放すための仕上げに、今回当たったのかもしれません。
最後の心理劇では、私が選んだ父役、母役の仲間と抱き合って
「ありがとう」と言いました。
そうしたら、なぜか”I'm proud of you.(あなたのことを誇りに思う)”
という言葉が唐突に浮かんできました。
両親がほしかったのは、「ありがとう」と
この言葉だったのかもしれません。


そういえば、前日の心理分析講座の時に、
仲間の1人が持ってきていたあめが、父の大好物でした。
そのパッケージを見たときちらっとそれを思い出したら、
その後そのあめの袋が回ってきて、1ついただきました。
なんだか、天国の父が「まぁ、これでも食べて、がんばれ!」と
言ってくれたような気がしました。
昨日も、父が私に罪悪感を手放させるために、
カードを引いてくれたのかな?
毎度のことながら、不思議な因縁を感じさせることが起きる
心理ワークショップです。




街の小売店ならではの個別化サービス

2008-11-08 22:30:08 | 気づき
心理学講座の仲間で、いつも素敵なコーディネートで
服を着ているなと感じていた人がいました。
彼女は、いつも特定のお店で買物をして、
そこのスタイリングにお任せしているということでした。

昨日の夜、こんなものがあったらいいのに
と思うことについてブログを書こうと思っていて、
その1つが服やヘアスタイル、アクセサリーなどの
ファッションだけでなく、
名刺などのビジネスツールなども含めた
トータルな個人のプロデュースサービスでした。
でも、以前から服飾の小売店などは、
顧客のニーズに合わせてスタイリングをしてたんですよね。

街の小売店が、大量廉価販売の大型店に対抗できるとしたら、
いかにこういうサービスで特定の顧客のニーズに
応えていくかなのでしょう。
私が注目している「おいしいお店ドットコム」というサイトは、
金沢の近江町市場にある、もともと料亭などに向けた卸売り店ですが、
メーカーの代理ではなく、料亭の仕入れ代行と自社を位置づける
ということが書いてあります。

私も自分の価値観やライフスタイルを分かってもらった上で、
私の代わりに商品を選んでくれるお店を探してみようかな。
なければ、自分のニーズを満たす店をプロデュースする機会なのかも。



「ありがとう」からはじめよう

2008-11-07 14:42:33 | 気づき
足半(あしなか)という
足長の半分くらいしか長さがない布ぞうりをはき始めて約1ヶ月。
なんとなく、足の指が開いてきている感じはします。
でも、外反母趾はあまりひどくないためか、
あんまり治ってないなぁと思いながら、
夕べお風呂の中で足を見ていました。

そして、はっとしました。
「あ、私ってまた文句言ってるなぁ。
でも、本当に文句を言いたいのは、足の方だよね。
こんな格好になるまで、きついところに押し込められても
何も声を上げられなかったんだから。
だから、本当は『ごめんなさい。許してください。
ありがとう。愛しています』とホ・オポノポノの言葉を
言ってあげるほうがふさわしいよね」

そして、またはっとしました。
私は、同じことを夫に対してもやってるなって。
いて当たり前、やってくれて当たり前みたいになっていて、
「ありがとう」もあまり心がこもっていない気がします。

今朝起きたら、黄色い痰が出ました。
急性副鼻腔炎になると、色のついた痰が出るので
「えっ、また~?病院行こうかな?」と思いました。
そこで、また気づきました。
黄色くなっているのは、体の中で白血球とかが
ばいきんと闘って果てた残骸なんだって。
「やだ~」じゃなくて、ここでも「ありがとう」が
ふさわしい言葉だな。

しばらくして、皿洗いをしながら、断捨離セミナーで
風水では食器を重視すると言われたのを思い出しました。
なりたい自分が使うのにふさわしい食器を使おうとも
言われました。
でも、なんか「あんたたちは、これからの私には
ふさわしくないのよ!」と言ってポイするのも、
切ないなぁと思いました。
そうだ、こういう時もまず「今まで、ありがとう」だな。

よく心理学の講座で、自分がずっと抱えてきた
「・・・すべきだ」とか「・・・すべきでない」という
強い思い込み=観念に対して、同じようなことを言います。
今までは自分を守るために必要だった観念だけど、
そのために今不自由になっているなら、もう必要ないのだから、
「ありがとう、さようなら」って言って、
手放しましょうと言われるのです。


「ありがとう」は波動の高い言葉だとか言われますけど、
どんな場面でもまず使ってみたい万能薬みたいです。
そのためには、現状を肯定的に見る必要がありますが、
私が断捨離セミナーを受けはじめてから、
「何をすべきか」ではなく、
「何ができたか」を数えるように変わったのは、
「ありがとう」を常用できる地ならしのようなものになりました。
ありがとう、断捨離さん。

風通しのいい家に住むには

2008-11-06 16:32:20 | エッセー
昨日の断捨離セミナーで、こわ~い話を聞きました。
吹き抜けのある古い町家に住んでいた家族が
収納場所を確保しようと吹き抜けをふさいで物置にし、
たくさんの物を押しこめました。
すると、そこの長男が自殺し、
それを苦にした母親ががん(?)になって亡くなり、
父親も弱って病気になり、亡くなったというのです。
次男夫婦は気味悪がってこの家に寄りつかなかったそうです。

このエピソードはもちろん実話で、
ものに空間を占領されると息苦しい場所になり、
行きところまでいくとこんな恐ろしいことにもなるという
例として取り上げられたものです。

これとは対極にあるのが、昔の日本の家かもしれません。
(もっとも、冒頭の例のように、使い方を誤ったら、
元も子もありませんが)
夏をむねとして、風通しを重視したつくりになっていましたから。

以前、自然育児の本で、住まいの通気性がとても大切で、
冬でも窓を開け放って、薄着をさせろのようなことが書いてあり、
冷え性の私は「ひぇ~」と思ったものです。
でも、○×断熱とかで完全に自然界と遮断された空間を家と呼ぶなら、
それもどうなのかなぁと、今は思います。

とは言え、築40年の木造家屋に住んでいると、
やはり冬の寒さは無視できません。
光熱費もかさみますし。
レイキの呼吸法をやっていると体がぽかぽかしてくるので、
それがずっと続いていれば薄着で過ごせると思うんですけど
呼吸法をやめると、また寒くなっちゃうんですよねぇ。。
食べ物でも、体をあたためる作用のあるものをとって
冷える作用のあるものを控えれば、
だんだん冷えはなくなるのかもしれません。

古民家に住むのが夢なので、
もっとレイキや食養などで体質改善して
冷え性と完全におさらばできるといいんですが。
そうしたら、リフォームも簡単に済ませられそう