各界の有名人が絶賛のコメントを寄せていた映画
「落下の王国」を見に行ってきました。
構想に26年、撮影に4年、いくつもの世界遺産でのロケ
とチラシに書かれ、載っていた写真も
本当にきれいなものばかりだったので
とても期待していきました。
冒頭のシーンはモノクロ、スロー再生で、
一つ一つのシーンは陰影のコントラストが
劇的な印象を与えていました。
決定的瞬間を写した写真が、
連続で流れている感じでした。
その視覚的効果には目を奪われましたが、
肝心の内容はよくわかりませんでした。
その後は、失恋して自殺しようとした(?)スタントマンが
同じ病院に入院している女の子に語り聞かせる
物語と現実の病院での話が入り混じって進んでいきます。
この物語のシーンの映像がファンタジーらしく
とても美しいです。
スタントマンの青年は、自殺をあきらめられず
女の子をてなづけてモルヒネを盗んでこさせるために
物語を聞かせるのですが、
ある時女の子が調剤室のモルヒネを盗もうとして
踏み台から足をすべらせて落ちてしまいます。
申し訳なくてそばに付き添うスタントマンに、
ベッドに寝かされた女の子はまたお話をせがみます。
そこから物語はラストに向けて進み、
主人公の山賊以外の5人のヒーローたちが
次々と敵に殺されていきます。
そして、山賊も宿敵との対決で、殴り倒されプールに沈められ、
もうだめかと思われた時、現実の世界では女の子が
「死んじゃだめ!」と泣きながらスタントマンにお願いします。
このあたりでは、物語の中で6人のヒーローの共通の仇だった
スペインの総督オーディアスは、
現実の世界でのスタントマンの恋敵の姿で現れていて、
ファンタジーと現実がスタントマンの頭の中で
交錯している感じが出ていておもしろかったです。
結局、この物語のラストは女の子の懇願で生きる力を取り戻したスタントマンが
山賊の息を吹き返させて、オーディアス=恋敵にパンチを食らわせ
去っていきます。
そこに、かつての恋人が現れるけど、
山賊は彼女の思い出のペンダントを投げ捨てます。
ここでスタントマンは、彼女との思い出にさよならして
新しく生き始めることを決意したのでしょう。
最後になって主人公のスタントマンの心理が
よく出ている表現があり、おもしろいと思えたものの
私はそんなに絶賛したいと思う映画ではありませんでした。
映像的にはとても美しいのに、
なぜ私はあまり好きになれないのだろうと考えた時、
その美しさがあまりに作為的、わざとらしく感じられるからだと
思い当たりました。
なんか美のための美を追求している感じ。
たとえてみれば、「俺って格好いいだろう?」って感じで
振舞ってる男を見てるみたい。
それより、私は坦々とやることをやって
人間的な奥深さがにじみ出ているような人が好き。
映画も、派手な視覚効果より、坦々とした物語を描きながら、
人生の深さを感じさせるものが好きです。
同じ美しいと感じた映画でも、
私の大好きなドイツの映画監督レニ・リーフェンシュタールの
ベルリンオリンピック記録映画「オリンピア」のように、
美しさを求めたものでないにもかかわらず
ありのままの美しさを抜き出したものに惹かれます。
というわけで、はからずも「落下の王国」を見たことで、
私は作為的なものが嫌いなのだということに気づきました。
昨日の舞踏公演での感動と合わせて考えると、
あらためて自分の好き嫌いの傾向がわかって、
興味深い体験でした。
「落下の王国」を見に行ってきました。
構想に26年、撮影に4年、いくつもの世界遺産でのロケ
とチラシに書かれ、載っていた写真も
本当にきれいなものばかりだったので
とても期待していきました。
冒頭のシーンはモノクロ、スロー再生で、
一つ一つのシーンは陰影のコントラストが
劇的な印象を与えていました。
決定的瞬間を写した写真が、
連続で流れている感じでした。
その視覚的効果には目を奪われましたが、
肝心の内容はよくわかりませんでした。
その後は、失恋して自殺しようとした(?)スタントマンが
同じ病院に入院している女の子に語り聞かせる
物語と現実の病院での話が入り混じって進んでいきます。
この物語のシーンの映像がファンタジーらしく
とても美しいです。
スタントマンの青年は、自殺をあきらめられず
女の子をてなづけてモルヒネを盗んでこさせるために
物語を聞かせるのですが、
ある時女の子が調剤室のモルヒネを盗もうとして
踏み台から足をすべらせて落ちてしまいます。
申し訳なくてそばに付き添うスタントマンに、
ベッドに寝かされた女の子はまたお話をせがみます。
そこから物語はラストに向けて進み、
主人公の山賊以外の5人のヒーローたちが
次々と敵に殺されていきます。
そして、山賊も宿敵との対決で、殴り倒されプールに沈められ、
もうだめかと思われた時、現実の世界では女の子が
「死んじゃだめ!」と泣きながらスタントマンにお願いします。
このあたりでは、物語の中で6人のヒーローの共通の仇だった
スペインの総督オーディアスは、
現実の世界でのスタントマンの恋敵の姿で現れていて、
ファンタジーと現実がスタントマンの頭の中で
交錯している感じが出ていておもしろかったです。
結局、この物語のラストは女の子の懇願で生きる力を取り戻したスタントマンが
山賊の息を吹き返させて、オーディアス=恋敵にパンチを食らわせ
去っていきます。
そこに、かつての恋人が現れるけど、
山賊は彼女の思い出のペンダントを投げ捨てます。
ここでスタントマンは、彼女との思い出にさよならして
新しく生き始めることを決意したのでしょう。
最後になって主人公のスタントマンの心理が
よく出ている表現があり、おもしろいと思えたものの
私はそんなに絶賛したいと思う映画ではありませんでした。
映像的にはとても美しいのに、
なぜ私はあまり好きになれないのだろうと考えた時、
その美しさがあまりに作為的、わざとらしく感じられるからだと
思い当たりました。
なんか美のための美を追求している感じ。
たとえてみれば、「俺って格好いいだろう?」って感じで
振舞ってる男を見てるみたい。
それより、私は坦々とやることをやって
人間的な奥深さがにじみ出ているような人が好き。
映画も、派手な視覚効果より、坦々とした物語を描きながら、
人生の深さを感じさせるものが好きです。
同じ美しいと感じた映画でも、
私の大好きなドイツの映画監督レニ・リーフェンシュタールの
ベルリンオリンピック記録映画「オリンピア」のように、
美しさを求めたものでないにもかかわらず
ありのままの美しさを抜き出したものに惹かれます。
というわけで、はからずも「落下の王国」を見たことで、
私は作為的なものが嫌いなのだということに気づきました。
昨日の舞踏公演での感動と合わせて考えると、
あらためて自分の好き嫌いの傾向がわかって、
興味深い体験でした。