摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

舞台に矢印を向ける

2009-01-30 23:00:00 | 気づき
息子の幼稚園で、年少の発表会がありました。
この幼稚園の発表会はユニークで、
「発表」されるのはいつもの遊びが少し発展したもので、
緊張して失敗して恥をかいたり、
他の子の足を引っ張ったという罪悪感を味わうことは
なさそうです。

でも、ここの発表会で一番驚いたのは、
保護者の演目もあることです。
保護者は「うちの子は大丈夫かしら?」と
やきもきするのではなく、
子どもと舞台に上がる緊張感を共有できるように
という狙いがあるそうです。

今回、年少の保護者は仮装やクイズを交えた歌を
2曲歌いました。
私はそのうちの1曲、「おもちゃのチャチャチャ」の
ピアノ伴奏をしました。
ピアノを弾ける人はたくさんいるだろうから
きっと当たらないだろうと思っていたら、大抜擢。
でも私がピアノのレッスンを受けてたのは
四半世紀(!)も前のこと。
もらった楽譜は簡単だったけど、やっぱり緊張します。

直前の練習では、「間違えたらどうしよう?」と思った途端、
指が変な動きをしてしまいました。
舞台で他の人たちが仮装で登場する様子に
目をやる余裕もありませんでした。

家に帰ってから、心理学講座でよく言われる言葉を
思い出しました。
自分に気持ちの矢印が向いていないか?
確かに、「私はどう見えてるだろう?」
「上手に弾きたいな」という気持ちのほうが
強かったみたいです。

そこで当日は、とにかく舞台で踊る人たちや
お客さんが楽しくなるよう、
自分も楽しんでやることにしました。
結果は、ちょっと引っかかったところも
あったかもしれないけど、
ほとんど覚えていないほど
意識は舞台と客席の歓声に向いていました。

意外なところで、心理学講座が役に立った日でした。

久しぶりのワーク

2009-01-26 00:14:10 | 気づき
久しぶりに心理学ワークショップがありました。
いつも最低8人くらいはいたのに、
今日の参加者は中級修了生のなんと4人だけ。
でも、それだからこそできた濃密で
ユニークなワークになりました。

いつものワークの時間は、悩みを話すのではなく、
「受け取る」ことの実習でした。
「受け取る」というのは、何を受け取るかというと
「人の好意」と言えます。
日本人はおおげさに何でもほめ合う外国人に比べ、
ほめることも下手だと思いますが、
ほめられるのはもっと下手なように思います。
そんな私たちが一人一人前に出て、
残りの仲間からほめ言葉や感謝を受け取る練習をしました。

その中で今日印象に残ったのは、
一人のメンバーが人に共感する才能を持っていると
ほめられ続けたことでした。
「ほめる/ほめられる」こととは逆に、日本人はこれが得意で
5人に1人はそういう能力を持っているとのことです。
ただ共感するだけのことが、
どんなに癒しの力を持っているか
私はそのメンバーのことを泰三さんが話しているとき
突如思い出しました。
ああ、私がワークで泣いていた時、
この人はまるで自分のことのように泣いてくれてたなぁ。
それがどんなに自分を安心させてくれたか、
力を与えてくれたか、今日気づきました。

今までそれと認識できなかった他の人の才能に気づくのは、
うれしいものですね。
それがなかなか認識しづらいものであればあるほど。
以前、泰三さんがこの心理分析士養成講座は、
才能開発をやっていると言っていたけど、
確かにそうだし、泰三さんは才能を見つけることが
めっちゃうまいわ。

そうそう、他のメンバーにも才能を見つけて
輝かせるのがうまい人がいました。
そして、私がまだ気づいていなかった
メンバーの一面を鋭く言い当てていました。
1人じゃ気づけないことに気づかせてくれる
鏡のような役目をしてくれる仲間たち。
私はつくづくすごいものを手に入れたと思います。

一汁一菜

2009-01-21 10:31:07 | エッセー
しばらく前に母が送ってくれた新聞の切り抜きで
とても共感したものがあります。
それは、料理研究家の土井善晴さんが書かれた
日経新聞の「味のツボ」というコラムです。
以下、主な部分を抜粋します。

「日本料理はご飯と汁、漬物で『一汁一菜』の献立になります。
いわゆる『汁飯香(しるめしこう)』といわれ、
最小限の献立にして、日本の食事において一番大切なものです。
 普段の食事なら実はこれで十分」

「ご飯と汁を中心に献立を作るのが家のご飯です。
 まず、何を食べようかとおかずを先に考え始めると
あれもこれも……となって、どうしても
『作りすぎ、食べ過ぎ』になりがちです。
普段の食事をシンプルにすれば
休日に腕を振るう楽しみがあります」

少し前から私も同じようなことを考えていました。
自然育児の本でも、玄米のご飯とおみそ汁があれば
子どものご飯は十分と書いてあったし、
あれもこれもと作るばかりに、
フードマイレージの高い食材を買ったり、
食べ過ぎになることの矛盾と無駄を感じていたからです。

主婦の毎日の大きな悩みの種が、献立づくりです。
でも、本当は土井さんの言うようにシンプルに考えればいいものを
必要以上に難しく考えてしまっているのではないでしょうか。


うちの息子は、とにかく野菜嫌いなんですが、
去年の夏私が作ったきゅうりのぬか漬けと
自然食品の共同購入会「オルター金沢」で買う
「ばあちゃんのたくあん」は大好きで、
冬になってもぬか漬けの容器を見て、
「このきゅうりが食べたい」と言ってます。
先日、友達からもらった自家製キムチもおいしかった~
一汁一菜のこんなところから、
私なりの丁寧な暮らしに挑戦したいなと思ってます。

ぎふママネット事務所を訪問

2009-01-20 23:54:07 | 行ってきました
週末に岐阜へ帰省している間に、
息子がインフルエンザを発症し、
「5日間は安静にしていてください」と
言われてしまいました。
図らずも、また岐阜に長居することになったところへ
懐かしい人から電話。
去年、母親支援のNPO「ぎふママネット」を立ち上げた友人が
「うちの事務所、見に来ない?」と
誘ってくれました。

昨日の午後事務所に行ってみると、
懐かしい顔ぶれを見つけました。
ママ向けのフリーペーパーも創刊し、
2年前よりみんなたくましくなった感じ。
広告営業の話も、和やかながら真剣です。

しばらくして代表をやってる友人が
客人を伴なって、事務所に帰ってきました。
お客さんは、郡上市で田舎での仕事づくりなどに取り組む
NPO法人のお二人でした。
家族連れで自然体験ツアーなどに
参加するお客さんを開拓中とのことで、
お母さんたちのグループであるぎふママネットに
相談に来たのだそうです。

「やっぱり何か作って食べることをしたいよね~」
「お母さんと子どもたちが別々の活動をできるといいね」
「出発は9時くらいがいいんじゃない?」
などなど、かなり具体的な話がどんどん出てきます。
そして、最後には「よし、じゃ3月に下見に行こうか?
○日はみんな空いてる?」という話になり、
即モニターツアーの開催が決まってしまいました。

その話の早さに驚いたのは、郡上からの二人。
「私たち、母親だから活動できる時間も
顔を合わせられる機会も限られてるので、
どんどん決めちゃうんです」と説明するママネットのメンバー。
やっぱり、たくましくなってるわ。

私も妊婦じゃなければ、絶対参加したかったけど
今はしかたなく我慢。
でも岐阜に帰ったら、
もっと親子で自然に触れ合えることをしたいと思っていた矢先に
こんな話に出会えるなんて、やっぱり引き寄せの法則かしら?
岐阜に帰るのが楽しみになってきました。


それはそうと、一昨日から岐阜の家の断捨離の作業を始めて、
その作業をやりながら、
岐阜に帰ってからやってみたいプロジェクトを思いつきました。
これについては、また機会があったら書きます。
岐阜に戻ってからも、以前からのご縁、
新しいご縁を大切にしながら、
楽しく、みんながハッピーになるようなことに
ぼちぼち挑戦したいなと思います。


罪を犯した人の心

2009-01-17 18:57:38 | エッセー
私が心理分析を学び始めたのは、
たまたまいただいたご縁がきっかけで、
特にカウンセラーになりたかったわけでは
ありませんでした。
心理分析の知識は広く応用が利くだろうから、
何か事業をプロデュースする時に役に立てば
と思って、受講し始めたのです。

今でもおそらくカウンセラーにはならないだろうと
思うんだけど、
カウンセラーだったら何か役に立てないかなと
思う分野がいくつかあります。
その1つが、罪を犯した人のカウンセリングです。

もうずいぶん前から、何か事件が起きると
私はそれを犯した人はどうしてそんなことをするに
至ったのかを考えるようになりました。
それは、もう何年も前からそれまでの常識では
考えられないような事件がたくさん起きるように
なったからだと思います。

最近気になったのは、入院中の1歳の娘の点滴に
腐った水を入れたとして逮捕された母親の事件です。
心理分析では、病気などがなかなか治らない場合は
深層心理において病気でいることによって
誰かの関心を引きつけたいと思っていることがあると
言われています。
今回の事件では1歳の娘ではなく、
母親のほうにそんな心理があったのかと思っていたら、
「(子どもが病気で)大変だと言ってほしくてやった」
「看護する母親の姿を周囲の人に見てほしかった」と
彼女は言っているそうです。
そして、子どもをわざと病人に仕立て上げてしまう特殊な児童虐待、
「代理によるミュンヒハウゼン症候群」の可能性を
疑われているとのことです。

もし彼女が本当に報道されているようなことを言っているとしたら、
彼女はなぜそれほど周りの人に認めてほしかったのか。
何が満たされていなかったのか、気になります。

また、最近ネットで記事を見てあらためて考えさせられたのは、
日本の犯罪史上もっとも凶悪な犯罪とも言われる
東京足立区で起きた女子高生コンクリート殺人事件です。
事件の詳細を読むと気分が悪くなるほど凄惨な暴力は
なぜ起きたのか、
何人かの人がこの事件については本を書いているので
詳しく検討されているのかもしれません。
私も子どもが産まれて落ちついたら
その手の本も読んでみたいと思いますが、
今は胎教に悪そうでちょっと。。

最近見たその記事の中で引っかかったのは、
主犯の少年の身長が160センチということでした。
160センチと言えば、女性でも背が低いほうの私と
そんなに差がありません。
もしこの記事が正しいなら、
小柄な自分が仲間の少年たちになめられないように
いつもやることがエスカレートしていたのでは?と
疑いました。

そう思ったのは、以前受けた命の教育に関するセミナーで聞いた、
ある高校での事件のことを思い出したからです。
この事件を起こしたのもやはり背の低い上級生で、
180センチくらいある下級生に応援団への誘いを断られて、
下腹部をナイフで刺して失血死させてしまった
という概要だったと思います。

応援団や不良グループなど
男性としての荒々しさが求められる(?)ところでは
「男性らしさ」でコンプレックスを感じている人は
必要以上の暴力で力を誇示しようとするのではないかと
思いました。


腐った水を点滴に混ぜた母親も
女子高校生をコンクリート詰めにした少年も、
誰かありのままの姿を認めてくれる人がいたら、
そういうことに走らなくて済んだのではないだろうかと
思えてなりません。
そういう人たちの心の軌跡を、
じっくり聞き出すことによって、
同じようなことが起きるのを防ぐことに
役立つだろうと信じています。


日本でヘミシンクの普及に尽力されている坂本政道さんが、
最近こんな話をされていたそうです。
「“いま”という時代は、
それぞれの人が内側に抱えている不安や問題が、
形となって外側に出てきてくれている。
せっかく形となって現われてくれたのだから、
それを一つひとつクリアしていけば、不安の原因がなくなり、
内に抱えていた不安や恐れも克服できるのです」

まったく訳がわからないように見える犯罪もまた、
私たちの内面を映し出したもののように思えます。
この世の中に無駄なものなど何一つない。
無駄な人間など誰一人いない。
だから、罪を犯してしまった人の心の声に
耳を傾けてみたいと思うのです。

信頼

2009-01-13 18:57:54 | 気づき
心理分析士養成講座のパンフレット制作は私たちの手を離れ、
いよいよ集客に集中していく時期になりました。
私はみんなで協力して集客できるよう
2つの方法を考えてました。
1つは、仲間が具体的に自分を例に挙げながら、
講座の効果を語れるように、
お互いに受講して変化したことや
長所を知らせ合うことです。
自分自身の変化や長所は、なかなか気づきにくいからです。
これについては、ほかのメンバーが率先して
始めてくれました。

そしてもう1つの方法は、
今一般にビジネスの世界で行われているような営業管理の方法で、
どんな人に今アプローチしているか、
その人の悩みや、それに対するアプローチの状況を把握した上で、
どんなアプローチの方法が効果的か考えるというようなものです。
これなら確かに、メンバー一人一人の集客活動に合わせた
サポートにはなるかもしれませんが、
それは同時にメンバーの営業の状況を常に把握し、
プレッシャーを与えることにもなります。

結局、この2つ目の方法は「人は基本的に信用できない」
という考え方に基づいている感じがして、
それを利用しようとした私自身の心にも
みんなを信頼しきれていない部分があることに気づきました。
今の私の課題は、仲間を信頼して待つことのようです。
また、私も含めたメンバー全員の課題は、
自分への信頼なのかもしれません。
そして、今私たちがやろうとしているのは、
自分、仲間、誘う相手、そしてプロセスの
すべてを信頼して行う新しい(時代の)営業なのかな?
と思いました。


ところで、先般私が「言い出しっぺ宣言」をした時、
仲間の一人が「かおるさんが言い出したから、
やるって言ったんだよ」って言ってくれて、
それが私の自分や他人への不信感を
かなり溶かしてくれたことをブログで書きました。
一昨日、ある集まりでその話をしたら、
別の友達が「私もかおるさんに言われたから、
話に乗ったことがあるよ」と後からメールをくれました。
また、今日は別の心理学講座で会った友達から、
「かおるちゃんのブログを楽しみにしてるよ。
よく言葉にできないけど、感謝したくてメールした」
というメールをもらいました。
今、講座の仲間の枠を越えて、
私に信頼を見せてくれることが起こってきています。

それから、自分を信頼するということについては
まったく別の方面からちょっとした気づきがありました。
私は10月に断捨離セミナーを受けたあたりから、
3月の引越しを前に我が家の断者離を早く進めなくちゃと
焦っていました。
でも、つわりや病気もあり、イベントやパンフ制作もありで
なかなか手がつけられませんでした。
周りの人には、「妊婦はゆっくりすることが一番」と
いつも言われるんだけど、
自分になかなかそれを許せなかったのです。

でも、先日栃木、上越経由で岐阜から帰省した後、
さすがに疲れが出て、
いつもなら一晩で片づける旅行の荷物を
そのままにしておきました。
先週1週間は、毎日やると決めたわけでもないのに
少しずつ片づける機会があり、
今は物の入れ替えをしないと片付かないもの以外は
おさめるべきところへ納められました。
そのことに気づいた時、
「あぁ、焦らなくても、動ける時が来たら動けるんだな。
もっと自分を信じて待っていいんだな」と思えたのです。


最近得たこれらの気づきから、
今私たちに必要とされているのは、
信頼を持つことなんじゃないかと思い始めました。
自分に対しても、他人に対しても、
私たちを生かしている仕組みに対しても。

よくこの混沌の時代に、愛がもっとも大切と言われますが、
個人的には「愛」という言葉には少し抵抗があります。
愛は、束縛、暴力、偽善など本質的に全く違うもの
(逆のもの?)を覆い隠そうとするために、
あまりにも多く使われてきた気がするのです。
その点、「信頼」という言葉は
安易に使われて、他の本当は全く別のことを
連想させることはあまりないように思います。

私はとりあえず、まず自分が信頼を持って待つ
ということに取り組んでいきたいと思ってます。




講座からプロジェクトへ、プロジェクトから人生へ

2009-01-11 01:01:15 | 気づき
年末から取り組んでいた心理分析士養成講座のパンフレットが
完成に近づいてきました。
泰三さんと私が、パンフレットを作ろうと決めたのが
12月11日、私がみんなを誘ったのは12月12日だから
ほぼ1ヶ月でパンフレットは完成することになります。

この間、本当にたくさんのことを経験しました。
心理分析士養成講座の実践編になるだろうと
予想はしていましたが、
本当にそのとおりになりました。
講座の期間中に気づいたことと同じか、
それ以上の気づきがあったように思います。
メンバーの一人がメールに書いていたけど、
このパンフレット作成プロジェクトを終えて、
本当の「卒業」なのかもしれません。

もう細かい気づきは、思い出せないものもあります
最近、ぼろぼろ泣いたりして味わった気づきもあるから、
そういうものにかき消されてしまったみたいです。

そんな大きな気づきの1つが、
「言い出しっぺ宣言」をすることで訪れました。
「みんなが自分を主語にして(つまり主体的に)
プロジェクトに関るためには、まず提案した本人が
『私がこのプロジェクトの言い出しっぺです』と
宣言する必要がある」と、メンバーの一人から言われたのです。
なぜプロジェクトの途中であらためてそんなことを
する必要があるのか、
私自身もよく理解していませんでした。

でも、言われて気がついたことがあります。
なぜ、私は泰三さんがやりたかったことを
手伝っているという形をとりたかったかということ。
それは、「私なんかが提案しても、
みんなやる気にならないだろう」
と心の底で思っていたからでした。
だから、私には泰三さんという錦の御旗が必要だったのです。

実際にあらためて私が旗揚げしてみると、
「かおるちゃんが提案したから、私はやろうって即答したんだよ」
という返事をもらい、涙が止まりませんでした。
私はここで仲間の信頼を実感し、
私自身の仲間への信頼、いやもっと広く
人間や社会というものに対する信頼を強くすることができました。

今日、久しぶりに大勢の人が集まるところへ行き、
いろんな人と会話を交わす中で、
自分が本当にそれを楽しんでいること、
自分が受け入れられているという安心感を感じられました。
少しずつかもしれないけど、
着実に私の中の他人への恐怖心が解けていっているようです。

もう1つの大きな気づきは、つい昨日のことです。
編集後記は何が起こったかをまとめて書くのではなく、
プロジェクト責任者の私個人の最も印象的な
1つの体験を具体的に書くことで、
このプロジェクトの象徴とする。
果物に例えたら、実と皮を捨てて、芯だけ残す。
このアドバイスを受けて書いた編集後記を読んで、
「ウルウルしちゃった」という感想ももらいました。

そして、メンバーの変化も驚くべきものがありました。
以前は決して弱みを見せなかった人が、
電話で相談してくるとか、
自分の考えをはっきり出さなかった人が
みんなの前で率直な意見を出すとか。
自分の変化はよくわからないけど、
他人の変化は小さくてもよくわかります。
そんな変化を見つけるのが、
自分のことのようにうれしいです。


今、プロジェクトでの気づきが
あちこちへ広がっています。
特に母親として子育てをすることに関しての気づきが
増えているようです。
またお腹で赤ちゃんが育っているからかもしれないな。

「子育てなんて大っ嫌い!」と最近までよく思っていたけど、
昨日私の腕の中で眠ってる息子の顔を見ながら思いました。
「もしかしたら、まだ私は子育ての醍醐味を
味わってないだけかもしれない」
仕事でクレーム対応や営業をやっていた時も
最初は本当につらいことばっかりだったっけ。
でも、あの頃に得た「誠意は必ず通じる」という信頼は、
今でも私のコミュニケーションの根本になってます。

そんな素敵な気づきを
子育てから得られるかもしれないと思ったら、
もっと前向きに子育てに向き合えそうです。
いよいよ本格的に
私の人生自体が心理学ワークショップのように
怒涛の感情と気づきの連続になるのでしょうか。
請うご期待!

上善如水

2009-01-04 18:26:41 | エッセー
帰省中に読みたいと思ってた本を借りられなかったので、
岐阜の家にあった本を読んでみました。
『結婚帝国 女の岐れ道』というタイトルで、
著者は日本におけるフェミニズムの草分け、上野千鶴子さんと
臨床心理士で原宿カウンセリングセンター所長の信田さよ子さん。
私はこれまでに上野さんの本を何冊か読んで、
ファンだったので期待していたのですが、
今の私にはちょっと違和感を感じる内容でした。

上野さんの言葉の中で、特に違和感を感じたのは、
「『紳士的な男』には、『紳士的な軍隊』と
同じくらいの背理がある」というものです。
私は上野さんほど男や女について
徹底的に研究してきたわけではないし、
自分の固定観念というのも多分にあるでしょうけど、
「え?男に生まれただけで、
軍隊に象徴されるような攻撃性などを負ってきて、
それを制御するには去勢するしかないって言うの?」
って思いました。
男の人にもいろいろあると
上野さんも考えているのかと思ってたけど、
こういう見方にはちょっとついていけないな。
そういう見方をしていたら、
人間の半分は男に生まれてきているんだから、
そのこと自体への強い不信感につながってしまう気がする。
つまり、この世界、宇宙自体、
そして同じくこの宇宙の仕組みで生まれてきた
自分自身への不信感に。
それってちょっと苦しくない?

信田さんの言葉で「ん?」と思ったのは、
カウンセラーとしての自分のスタンスを語っているところ。
「わたしという人間があなたという人間と出会って、
あなたという人間はこういうニーズを持っている。
それにとことん従うことは私の職業倫理であるけれど、
わたしが1人の人間としてあまりにも許せないことは
『イヤです』と言いますから、そういうわたしがイヤならば、
ほかのところに行ってください」

このあたりを読むと、同じカウンセリングでも
私が学んだものとはだいぶ違うんだと実感します。
だって、私だったら上の言葉を見て、
「おいおい、カウンセラーが自分の主義主張を
クライアントに押しつけて、どうすんのよ」と思っちゃう。
こう言ってる一方で、DVを受けている妻たちが
またDV夫の元に帰っていくのを見て、
「その人たちがお帰りになるのを見て、
敗北感に打ちひしがれるだけです」と語っている。
また別の機会には、「『いやし』という言葉はいやだ」
というような発言もありました。
そういう発言をする人はほかにも見たことあるけど、
現に傷ついている人たちが多くて、そのニーズがあるのに
その概念に反発するってどういうこと?と思います。
「それはあなた方が弱いからだ」とでも言うのかしら?


この本を読んでみて、お2人には共通して
「男は狼なのよ」という強い観念があることが感じられ、
それが私に違和感を与えていたんだろうと思えました。
上野さんは、現代の(と言っても5年前ですが)30代女性に
フェミニズムのメッセージを送りつづけているが、
届かないことに危機感をいだいていると言っていて、
メッセージが届かないのは送る側の責任ではなく、
その女性たちが聞く耳を持たないからだと発言しています。
でも、私は真理をついたメッセージは
必ず届くと信じているものです。
上野さんたちのメッセージが届かないのは、
男性全体に対する不信、
ひいては男性を生まれさせている仕組み自体への不信に
30代の女性も直感的に違和感を
感じているからなのではないでしょうか。

「体にいいから、これを飲みなさい!」と青汁を出されても
飲めない人はいます。
酒は、百薬の長とも言われますが、
飲めない人もいるし、飲み方を間違えれば害にもなります。
無味無臭の水は誰でも飲みます。
誰にでも役に立って、害もない水のような思想が、
これからの世界を救っていく気がしています。


追記:
この本の内容には賛同できなかったけど、
介護などについて書かれた上野さんの本には
強く共感し、多くのことを学びました。
上野さんご本人にお会いする機会もありましたが、
赤ちゃん連れだった私にも、
細かい気配りをされる方でした。

新年の抱負

2009-01-02 20:47:44 | 自分のこと
あけまして、おめでとうございます。

昨年私は、周りの人から「だいぶ変わった」
とよく言われました。
確かに、おそらく今まで初めて
楽しかったこと、嬉しかったことのほうが
つらかったこと、苦しかったことより
多かった年のような気がします。
実際そうだったとは思うのですが、
私の感じ方自体も変わってきたのかもしれません。

先般発見した私の人生の周期によれば、
今年は「一旦、戻る」年です。
実際に3月末には引越しがあり、
7月上旬には2人目の出産を予定しています。

そんな今年の目標は、より自然に、自由に
生きることかな。
身の回りがばたばたするから、
できるだけ心穏やかに過ごせるように
自然と触れ合う機会を増やしたり、
自分と向き合う時間を増やしたりしたいと思います。
そして、もっと自分の中をあたたかいもので満たして、
それが外にあふれるくらいになったらと思ってます。

今年もどうぞよろしく。。