摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

JR名古屋高島屋の人間国宝展

2006-02-27 23:22:48 | 行ってきました
JR名古屋高島屋で開催中の「人間国宝展」の案内を見て、
どうしても見に行きたくなりました。
ちょうど、義父母が名古屋に出かけると言うので、
息子ともども一緒に行くことにしました。

名古屋に着く頃には息子が寝てしまったので、
結局一人で展覧会へ行きました。
会場についてみると、長蛇の列!
そばにいた人が、「最終日だからね」と言ってましたが、
それにしてもこんなに見に来るとは。
お客さんのほとんどが中高年の人でした。
私の父も生きていれば、東京で開催される
この手の展覧会は必ず出かけたでしょう。
父に似た年恰好の人を見て、ちょっと切なくなりました。

ともあれ、会場に入ってみました。
入ってすぐのところには、人間国宝の制度ができた頃の
認定作品が飾られていました。
その中には、私がテレビで見てその美しさに見入った
松田権六の蒔絵螺鈿有職文飾箱や
平田郷陽の衣装人形「朝霜」がありました。

「人間国宝展」のチラシ:

表:松田権六の蒔絵螺鈿有職文飾箱など


裏:平田郷陽の衣装人形「朝霜」など

特に後者は、朝の霜を興味深そうに手に取る子どもを抱いた
母親の人形で、私の息子もこんなことやりそうだな、
なんて想像しながら、ほほえましく鑑賞しました。

他に印象に残ったのは、いろいろな種類の伊勢型紙です。
以前にも伊勢型紙について見聞きしたことはありましたが、
本物を間近で見たのは初めてで、その精緻で繊細な模様に
ためいきが出るほどでした。

会場では人間国宝を取り上げたビデオも流れていました。
その中で、人形作家の平田郷陽と染織家の佐々木苑子が
奇しくも同じようなことを言っていたのが、印象的でした。
二人とも、作品に影響が出てしまうから、
常に心を穏やかにするよう心がけているというのです。
無心で滑ったという金メダリスト、荒川静香選手の
言葉に通じるものがあります。

ここには紹介しきれないほどの美しい品々を見て、
久しぶりに目の保養になりました。
陶芸、染織、漆芸など10の分野にわたる伝統工芸の名品を見て、
日本に生まれたことを幸運に思えました。
現代社会の中にあっても、日本人の心の奥底に
こんな美しいものを生み出す感性が残っていると
いいなと思います。

オリンピックを見て思ったこと

2006-02-26 00:12:55 | エッセー
オリンピックのフィギュアスケートで
荒川選手が金メダルをとりました。
普段は安定感抜群のロシアのスルツカヤ選手は、ジャンプで転倒。
アメリカのコーエン選手も2回転倒しました。
オリンピックって、本当に何が起こるかわかりません。

これを見た後、あらためて思ったのは、
どんなに努力をしても、人は失敗することがあるということです。
最近は、「自助努力」とか「自己責任」という言葉が
幅を利かせるようになってきましたが、
それだけではどうにもならないことがあるのです。
行政というのは、その「万が一」のとき頼られるために
存在する意義があるのではないか、と思います。
税金は言ってみれば、万が一のときに助けてもらうための
「保険料」のようなもの。
私たちはその保険料がどのように「運用」されているのか
常に気にしていないといけませんね。


障害者自立支援法の説明会に行く

2006-02-25 23:55:57 | 社会活動
昨日は、「障害者自立支援法利用者説明会」に
行ってきました。
私や私の家族は障がい者ではないのですが、
障がい者の自立支援の制度が改悪されたという話を聞いていたので、
以前とどう変わったのか、
当事者の方々がどう受けとめられているのか
直接聞いてみたかったからです。
先日は、知人から障害者自立支援法の撤廃を求める
署名の依頼もメールで転送されてきたので、なおさらでした。

当然ながら、利用者が一番心配しているのは、
利用料のことです。
これまで、所得に着目した応能負担だったのが、
サービス量と所得に着目した負担(1割の定率負担と
所得に応じた月額上限の設定)に変わりました。
中西正司さんと上野千鶴子さんが書かれた
「当事者主権」(岩波新書)には、
中西さんら障がいの当事者たちが、
必要なサービスを必要なだけ利用できるシステムを
どのように勝ち取ってきたかが書かれています。
この本の中で、すでに介護保険と同じように
他者が利用できるサービスを決めることなどに対して
危機感が語られていました。
それが現実になってしまったのです。

質疑応答では、私が持った疑問と同じようなことが
意見や質問が出されました。
障害の程度を区分する審査会に当事者を参加させてほしいという要望。
当事者と家族の意向が違うときはどうなるのかという不安。
提供するサービスが必ずしもいいものとは限らないのに、
社会福祉法人にだけ限った公費助成があるのはおかしいという不満。
それらに対する行政側の回答は、論点がずれていたりして、
あまり誠意が感じられませんでした。
私の隣にいた高齢の女性は、
「難しくてよくわからない」とこぼしていました。

この説明会は、岐阜市障害者自立支援センターが主催したもので
支援センターの所長、司会者も障がい者でした。
センターの方々が利用者に
分かりやすい説明をしてくださることを期待したいです。

一昨日だったか、テレビのニュースで
東京都荒川区では区が独自に利用者負担を軽減する策を
導入すると言っていました。
横浜市や川崎市なども独自の助成を行うようです。
国の福祉施策が後退したのはとても残念ですが、
市町村独自にできることもあるのです。
いずれにしても、弱者の立場で政策を立案する政治家が
必要だとあらためて痛感しました。



和みの唄会

2006-02-19 00:48:22 | 行ってきました
今日の午後は、本当は市の文化センターなどで活動する
市民スタッフによる初企画、「舞台はどこにある!?」の
手伝いと観覧に行く予定でした。
でも、義父母が見舞いに出かけ、
息子の子守りをお願いできなかったので、
残念ながら行けませんでした。

その代わりに、連れ合いと息子とランチをしてから
帰宅したら義父母が戻っていたので、
もう一つ行きたかったけど、あきらめていた
イベントに行くことにしました。
知り合いの唄つむぎ和音さんが出演する
「和みの唄会」というもので、
いま歴史博物館で開催している
「ちょっと昔の道具たち」という企画展にあわせて
毎週土曜日の15時から行われています。

会場は、昭和初期(?)の学校を再現したところでした。
机は2人並んで座れて、ふたを開け閉めできる形式のもの。
その机の上には、「尋常小学校 修身」など
3冊の教科書があったり、とすみずみまで
映画のセットのように再現されています。
唄を歌う和音さん自身もはかまに着物といういでたちで
その場の演出に一役買ってました。

30人くらい入れそうな”教室”の中には
20人弱の人がいたのではないでしょうか。
50代以上と思われる方が多かったけど、
私のような子連れの方や、
若い女性もいました。

唄会では、和音さんの先導で
渡された楽譜にのっていた「月の砂漠」や「野菊」といった
唱歌を歌いました。

これらの歌は、「教科書から消された唱歌・童謡」という
扶桑社の本に載っていたそうです。
「扶桑社」と聞いて一瞬イヤな感じがしましたが、
こういったきれいな歌が忘れ去られていくのは、
私も残念なことだと思います。
最後にみんなで輪を作って、
「ふるさと」を歌いました。

みんなで一緒に大きな声で歌を歌うのは、
楽しいですね。
シンプルなメロディーに、
きれいな日本語の詞の童謡なら、
子どもからお年寄りまでいっしょに楽しめます。
唄会が終わってから、和音さんと
「まちなかに歌声喫茶のように
子どもも大人も歌を歌ったり、
健康的なものを食べられたりする場所が
作れたらいいね」と盛りあがりました。
また、柳ヶ瀬をぶらぶらしながら
練ってみたい企画が出てきました。


我が家の園芸の状況と計画

2006-02-16 00:36:36 | 家族・家のこと
しばらく前から、玄関前に寄せ植えを置いてます。


家の中もかなり片付いてきて、
今度は装飾的な方面にも、
気を配り始めたところです。
ここにはもう一つ、竹とか背の高い植物の鉢が
ほしいなと思ってます。

春になったら、今年もまたベランダ菜園に
挑戦するつもりです。
菜園とは言っても、イギリスの家庭のように
おしゃれなベジタブルガーデンを目指したいな。

それから、今度帰省したら、
父が残した盆栽もいくつか
持って帰ってきたいと思ってます。
(上の写真の鉢も、四十九日で帰省した際に
実家から持ってきたものです。
盆栽が好きだった父が集めた鉢が
売るほどあるのです。。)
和室の寝室の前に、癒し空間を作りたいです。

柳ヶ瀬に必要なもの

2006-02-14 23:59:47 | まちづくり
昨日、「シャンポリオン北方店」でランチを食べました。
ここのランチは、本日のパスタや
週替わりのおすすめランチなどの定番のランチメニューと
アラカルトがあります。
ランチメニューには、フリードリンクと
サラダ・前菜バーがついています。
プラス200~300円でデザート3種も選べます。
私は今週の週替わりのおすすめランチ、
「鶏の小悪魔風 胡麻風味」というのを
注文しました。
「小悪魔風って、どんな風?」って思ったら、
粒マスタードと何か独特の味がするハーブの実
(名前を忘れてしまいました)がまざった
かなり酸味のあるソースがのっていました。
そのソースの上には、細かいカリカリのパン粉が
まぶしてあって、おもしろい食感のハーモニーでした。
鶏肉自体は、おはしでも切れるんじゃないかと思うほど
やわらかく、おいしかったです。

私が行ったのは13:30頃だったのですが、
この時間でもほとんどの席が埋まっていました。
お客さんの大半が女性でした。
女性がたくさん集まるお店は
いいお店だって聞きますけど、
その説はおそらくまちがってないと思います。

他にもバイキングのランチがあるレストランは、
岐阜市本荘の「ニーニャ・ニーニョダイニング」や
本巣市のリオワールド内にある「大地のテーブル」など
行ったことがあります。
どちらも女性でいっぱいでした。


ところで、先日「柳ヶ瀬にぎわい創出プロジェクト
まちの魅力づくりチーム」というところがやっている
アンケートを記入しました。
柳ヶ瀬の魅力ベスト3とワースト3とか、
柳ヶ瀬に何があったらおもしろいか、といった
設問がありました。
昨日、女性客でごったがえすレストランに行ってみて、
「柳ヶ瀬に必要なのはこれだ!」と思いました。
「大地のテーブル」のように、
健康にいい食材を使った料理を出すなら、
老若男女を問わず行ってみたくなるでしょう。
誰かバイキングのランチのお店を柳ヶ瀬で始めないかな。


Man in the Mirror

2006-02-07 23:46:12 | エッセー
夕食を作っているとき、景気をつけるため
久しぶりにマイケル・ジャクソンのCDをかけてみました。
表題の「Man in the Mirror」はその中の一曲で、
20年ほど前の発売当時から大好きな曲でした。
あらためてこの曲の歌詞を聞いたら、
「あ、これって最近私が感じたことに近いな」って思いました。
(歌詞の和訳は、この記事がTBしている記事
見てみてください)

「世界をもっと善くしたいなら、
社会には困っている人たちがいるのに、
気づかないふりしていた自分自身から
変えていこう」というメッセージです。
とかく、他人を責めることか、自己主張することから
始めてしまうことが多いから、
まず自分自身が変わろう、
できることからやろう、と素直に共感できます。

マイケル・ジャクソンがその後、
児童虐待で起訴されたりしたことを考えると
ちょっと複雑な気持ちにもなりますが、
いい歌はやっぱりいい。
機会があったら、ぜひみなさんに聞いてみてほしい曲です。

路面電車の必要性と再生のためのお金について

2006-02-06 14:57:52 | 社会活動
市長選をはさんで、ちょっと体調を崩して
お休みしてしまいました。

さて、前回の記事に対して、「高田候補は応援するけど、
路面電車を復活させれば膨大なお金がかかるから、
その政策を訴えることは高田候補にとってマイナスになる」
とのコメントをいただきました。
「路面電車の再生には膨大なお金がかかる」という
イメージを持っている市民は、少なくないでしょう。
そこで今回は、路面電車はなぜ必要なのかということと
路面電車を再生させるために必要とされる税金は
「岐阜市の財政を破綻させる」ほどの額なのかという
2点に絞って書いてみます。
先に結論を簡潔に言ってしまえば、まさに経済的理由から、
路面電車は復活させるべきだということです。

まず1点目の「路面電車の必要性」について。
その前に、公共交通の必要性について述べておきます。
自動車の普及で公共交通の利用者は減りましたが、
まもなく岐阜市でも4人に1人が高齢者という状況で、
地域の足である公共交通の維持は必須です。
しかし、電車廃止後の代替バスには
電車利用者の6割ほどしか乗り換えておらず、
このまま利用者が増えなければ路線の維持は
ますます難しくなります。
つまり、維持のために必要な補助金の額も増えるのです。
(このバス路線維持のための税金の額については、
2つ目の論点、「路面電車を再生させるための税金」の部分で
取り上げます。)

また、同じく自動車の普及によって郊外に拡大した
市街地に対して道路などの基盤整備、
ごみ収集などの生活サービスを提供していくことは
逼迫した財政状況のもと、限界に達しようとしています。
財政的に持続可能なまちづくりのために、
車がなくても暮らせることが求められているのです。

では、まちの基幹となる公共交通は電車でなく、
バスでも代替できるのでしょうか。
すでに書いたとおり、
代替バスの定期を買ってまだ時間がたっていない時期でも
電車利用者の6割ほどしかバスを利用していませんでした。
全国の事例によれば、代替バスへの乗客の移行は3~5割程度で、
乗客の減少がさらなる便数の減少や路線の廃止に
つながったところも少なくありません。
バスに乗り換えた利用者の声を聞いてみると、
バスの不便な点として、以下のような点をあげています。
・道路の状況によって、遅れたり早すぎたりすること。
・運賃が高くなったこと。
・電車より揺れが大きいため、
 高齢者は不安定になったり、バス酔いしたりすること。
これらの点は、そのまま鉄道を利用して外から
岐阜市に来る人が感じる不便な点と重なるでしょう。
言うまでもなく、交通の利便性はまちに人をひきつける
大きな要因ですから、便利な路面電車があるとなしでは、
まちの魅力がまったく変わってしまいます。

岐阜の路面電車の利用者が少なかった理由は、
軌道敷内に車の乗り入れが自由だったことや
安全島がなかったこと、JR駅との接続の悪さなど
環境面が整備されていなかったことに多く由来しています。
現在、利便性を高めた新しい路面電車の事業計画が
作られています。
高齢者など交通弱者の足の確保、
都市の拡大を増長する車利用の抑制のためにも、
まだ残っているレールを活かして、
中核都市にふさわしい利便性の高い基幹交通を
整備すべきでしょう。


次に、2つ目の論点、路面電車を再生させるために
必要とされる税金は「岐阜市の財政を破綻させる」ほどの
額なのかという問いに答えます。
名鉄の試算では年間9億~12億円の赤字が見込まれた
岐阜の路面電車でしたが、
沿線市町の試算では人員の削減と運用の見直しにより、
年間4億円ほどの赤字で済むことがわかりました。
現在、関市の企業サン・ストラッセなどが作成している事業計画では、
それが2〜3億円程度に抑えられるといいます。
この2〜3億円の補助を国・県・市などに
お願いすることになるのですが、
その一部を負担することは、
果たして岐阜市の財政を破綻させるほどの
ことでしょうか。

岐阜市はすでに「バス路線維持補助事業」として
1億2,000万円あまりを出しています。
敬老バスカードなどへの補助を含めると、
岐阜市からバス事業者へわたる税金は
3億円を超すと言います。
市が公共交通に補助する額として、
2,3億円というのはけっして法外なものではないのです。

一方で、岐阜市は道路や橋梁のために
今年度31億円を使っています。
岐阜市自ら、過度の車依存を避けることを
昨年出した「総合交通政策方針」で謳っているのだから、
道路や橋梁整備への予算配分の数パーセントを
路面電車への補助に回すことは
その方針に沿った政策と言えるはずです。
また、そのような政策転換がなければ、
今後ますます市街地が拡大し、
それが岐阜市の財政を破綻させることになります。


長くなってしまいましたが、
路面電車はなぜ必要なのか、
路面電車の再生には岐阜市の財政破綻させるほどの
税金投入が必要なのかという2点について
説明させてもらいました。
今回いただいたコメントを見て、
あらためて私たちの情報提供が行き届いていないことを
痛感しました。
まだまだこれから、正確な情報を出す作業を
続けていきたいと思います。
今回の説明についても不明な点、疑問な点など
なんでもけっこうですので、
コメントをいただければ幸いです。