摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

これまでの断捨離の振りかえり

2009-02-26 23:01:49 | 気づき
今週は、疲れが出たり、息子が熱を出したりで
断捨離の方はあまり進んでいませんでした。
それがかえって振り返りをするには
ちょうどいい機会かなと思ったので、
引越しをきっかけとして始めた断捨離で
私が学んだこと、気づいたことを
ちょっとまとめておこうと思います。

1.最終的な目的
断捨離は、単に家をきれいにするための方法ではないと
私は思っています。
本当の目的は、人生を楽しく生き切るための
手段にすることだというのが、私の理解です。

だから、私は今回の断捨離を始めるにあたり、
自分が今後どう生きていきたいか、
何をやりたいか、家族はどうか、といったことを考え、
文書も作っておきました。
それについて家族とじっくり話し合いたいと思ったからです。
今のところその文書はまだ見せてませんが、
夫とは今後のことについて、
いろいろ意見を交わすきっかけとなりました。

2.効果
a) ムリ・ムラ・ムダが少なくなる: 
  これは説明するまでもないかな。
b) 自己把握ができる: 
  家の中は、自分の内面の反映ということが、よく分かりました。
  たとえば、本棚を見ると、自分が苦手と感じている分野の本が
  やたらたくさんありました。資料も同じ。
  この2年間でだいぶ考え方が変わったので、
  手放せる資料が多かったです。
c) 決断力がつく:
  「後で使うかもしれない」という考えから
  離れられるようになりました。
  断捨離で言うところの、「時間軸を今に合わせる」ということです。
  一方で、現時点では決断できないこともあることに、
  気づきました。
  決断の時ではないのか、ただ先延ばししたいだけなのかは
  どちらを選んだら自分が自由になるか、苦しくなるか
  シミュレーションしてみればわかる気がします。
  捨てるタイミングというのもあると思うのです。
d) よりよいものが手に入る(生活の質向上):
  自分が本当に今使いたいものだけを厳選して、
  持っているものも把握しているので、
  満足しているか、次に欲しいもののイメージができています。
  また、自宅で断捨離したいものをフリマのように並べて
  友達に持っていってもらっていると、
  断捨離が進んだ人に対しては、
  「この人には何か持っていってもらえるのものがあるのかな?」
  とちょっと緊張している自分に気づきました。
  「変なものはあげられない」と思ってもらえるのって、
  すごいと思いませんか?
e) より細かいところまで目が届く:
  d)とも関係ありますが、物が少なくなり見とおしがよくなると、
  今まで気にしなかったことが気になりだします。
  だから、ものの並べ方を変えたり、掃除の頻度が上がったり。
  家の中だけでなく、自分の身なりまで気になってきました。
  ただし、こちらはあまり改善されていませんが
f) 運気を引き寄せ、邪気を追い払う:
  これは実感しているということより、言われていることで
  今後に期待していることです。
  でも、きれいに掃除してあるところには
  なかなかゴミは捨てられないし、
  街の防犯対策として、はがれたポスターを取り除いたり、
  家の前にプランターを並べるということが行われているのは、
  このことを無意識のうちに実行しているんだと思います。

3.進め方
一言で言えば、「自由に」です。人それぞれで正解はないと思います。
ただ、個人的には最初は感性で進めてみて、
調子がつかめたら少しビジョンを描き、計画(道筋)を考えると
いいかなと思いました。
感性と理性をバランスよく使うとよさそうです。
それから、心理的負担の軽いところから始めてウォーミングアップし、
勢いをつけると、どんどん進めたくなって好循環に入るようです。

4.コツ
心理学を一緒に学んでいると、決断が早くなると思います。
資料、書籍などの情報関係をはじめ、ものが多いのは
足りない何かを補おうとするからのような気がします。
「自分はこのままでOK」と思えたら、手放せるものが多いでしょう。

5.最後に
よく風水についても部分的に取り入れて、
この色のものを置くといいとか、こっちの方角がいいとか
一生懸命気にしている人もいますが、
そういうことより、まず少しでも具体的に断捨離してみることを
私はお勧めしたいです。
そうすれば、占いで言われるような効果は自然についてくるし、
何よりその効果を自分自身で手に入れられることがわかりますから。


以前から予告している断捨離専用ブログは、
まだ設置できていません。
頭で考えていたよりずっと疲れていたみたいだし、
断捨離に夢中になっている間に
置いてけぼりにしていたものにも気づかされました。
「いい加減」で進めることが大事ですね

弱さは強み

2009-02-25 23:59:35 | 気づき
今日はまた息子にイライラする日でした。
朝ご飯はすんなり食べてくれたものの、
その後の歯磨きをしてくれないので、
だんだん頭に来て、
「もう幼稚園に連れて行かないよ!」と
怒鳴ってました。

幼稚園へ向かって息子と歩いているとき、
なんで私はさっき怒ってたんだろうと
振り返っていました。
きっかけは息子が歯磨きをしなかったことですが、
なぜそれに腹が立ったんだろう?

「出てくる感情は、
もともと自分の中に持ち合わせていたもの。
怒りはその出てきてしまいそうな感情を
無理やり押しとどめようとするためのフタ」
というのが、私が学んだ心理分析で言われていることです。
それを思い出しながら、自問していくと
「いろいろやりたいこと、
やらなくちゃならないことがあって忙しいのに、
あんたが邪魔してる」
「子育てなんかしたくなかったのに」
といういつもの言葉がまず出てきました。

私たちはできちゃった結婚だから、
「子どもなんか欲しくなかった。
結婚なんてしたくなかった」という気持ちをなくすのは、
無理かもしれないなぁと思いました。
責任を持ちたいって、
つい先日格好いいこと書いたばかりなのに、
すぐまたこれだし。
でも、いつまでも同じことを繰り返していたくはないわ。

「でも、気長に息子と付き合う代わりに
私がそんなにやりたい、やらなくちゃならないことって何なの?」
と、また自問してみたら、
自分が好きな企画の仕事とか、家事とか思いつきました。
「でも、そういう仕事も結局誰かの役に立ちたいとか
喜んでほしいからやるんでしょ?
それなら、パソコンに向かって文書を作ったり、
掃除をしたりすることより、
目の前の一番身近な人間とじっくり関係を結ぶことのほうが
大事じゃない」
この前、心理分析の講座仲間に言われたことと
同じような言葉が自分の中から返ってきました。

それにしても、できちゃった婚という経緯から来る
「無理やり子育てをさせられている」感じを
どうしたら克服できるんだろうか?
何かこういう思いをすることに、大きな意味があるのか?

とりあえず、この間仲間にもらったアドバイスに従って、
誰かに相談してみようと思いました。
そして、「あ、そうか」と1つ気づきました。
自分が本気で苦しんで、誰かに助けを求めるという経験は、
後々同じように苦しむ人の役に立つことがあるかもしれないって。

そして、夕飯の片づけをしているときに
もう1つ気づきがありました。
私は子育てでこんなに悩んで、自己嫌悪に陥っている。
そんな弱さが、他の多くのお母さんたちから学ぶための
謙虚な姿勢を作ってくれるし、
助けてもらう余地ができる。
ちょうど泰三さんの車椅子が、
人と人をつなぐ接着剤になったように。
これも「問題の裏に才能あり」ということかな。

それで、いろんなお母さんの経験を聞いてみたいと
思うようになり、講座仲間の何人かのお母さんたちが
思い浮かびました。
自分が仲間たちの最初のクライアントになろうと思っていたわりに、
何を相談しようかと思っていたところでした。
これもプロセスなのかな。
今日は息子が熱を出して幼稚園から帰って来てしまったので、
電話でゆっくり話せる時間がなかったけど、
明日時間をとってみたいと思います。

自暴自棄のわけ

2009-02-24 23:02:02 | 気づき
私のある知り合いについて、
心理分析的にどうしても引っかかることがあって、
泰三さんに聞いてみようと思い、
カウンセリングをしてもらいました。
自分以外の人のことでカウンセリングを利用するなんて
考えたこともなかったのですが。

その友人は太めで、1,2年前に糖尿病と診断されました。
それで食事療法を勧められているのですが、
普通にダイエット中の人でもやらないだろうということを
いつもするのです。
たとえば、夜の10時過ぎにカップのアイスを1つ食べるとか、
油と砂糖たっぷりの菓子パンを食べるとか。
でも、その彼女は栄養士の資格を持ち、
調理場で働いたこともあるほど料理の腕もあるのです。
能力的には自分で食事療法を実践するのに
十分過ぎるほどなのです。
なのになぜ??ってずっと思っていました。

泰三さんによれば、それは一言で言えば、
自暴自棄、自己破壊行為なのだそうです。
何らかの理由で深い絶望があり、
自己嫌悪があるから、
自分を傷つけるようなことをするんだそうです。

たとえばもし、進行したガンと診断されても
何かまだやりたいことがあれば、
必死で治療法を探し、それを実践しますよね?
でも、生きがいもなく、生きる目的を見つけられなければ
「もうどうにでもなれ!」と思って、
やけ酒をあおってみたり、自暴自棄になっていくことが
予想されます。
私の知り合いの場合は、その後者の状態に陥ってる、
ようするに生きる目的を見出せてないようなのです。

でも、彼女はいろんなボランティア活動や
委員会などに参加し、毎日飛びまわっていて、
周りの人もみんな彼女を頼りにしています。
それでも、生きがいを見出せないのはどうしてなんだろう?

泰三さんはそれについて、
「たくさんの居場所があるというのは、何かおかしい。
本当はどこにも居場所がないんじゃない?」と言いました。
「もしかしたら、補償行為(何かが欲しいから、
その代償として何かをやる)でそういう活動を
してるんじゃない?
確かに昔は好きでやっていたかもしれないけど、
年をとって体調が悪くなってきてるのに
ペースダウンできないとしたら、それは犠牲だよ」

そうなのかなぁ。
「『私はこんなにやってるのに』という
恩着せがましい言葉が出てきたら、末期症状だよ」と
泰三さんは続けました。
でも、彼女からそういう言葉は聞いたことがありません。

だけど、以前ちょっとカチンとすることがありました。
私がある手伝いをちょっとお願いしたら、
「ちょっとその日は映画に行く予定だし、
他のイベントを見に行きたいの」と言われました。
「いつでもお手伝いするからね」と前から言ってたのに。
「私が期待するのがいけないんでしょうかね?」と泰三さんに言ったら、
「それは、『普段がんばっているんだから、
イベントや映画を見に行ったっていいでしょ?』って言ってるのと同じ。
つまり『私はこんなにやってる』というのと同じ」と言われました。
そうなんだ。
心の底の感情が同じでも、
言葉での表現の仕方が違うと、違うように思えてしまうもんだなぁ。

それで、私に何かできることがあるか聞いてみました。
「適確なタイミング、言動で、相手にプラスのインパクトを与える」
ことができたらいいとのこと。
よくやってしまいがちだけど、やってはいけないのは、
「やらなくちゃ」という強迫観念を与えることだそうです。
「やらされている」という強制感を与えるのもダメ。
絶望感、つまり「何をやっても、よくならない」というイメージを
少しでも変えるような言葉かけをするといいそうです。
「よくがんばってるじゃない」
「なんだか顔色がよくなってきたみたいだよ」など。
タイミングが悪かったり、わざとらしかったりすると、
かえって不信感を植え付けるから、注意が必要でしょうけどね。

というわけで、周りにいる人間として私が気をつけるべきことは、
「ちょうどいいタイミングを待つ=手放す」ことなのだそうです。
「ちょうどいいタイミングで適確な言動」が
私にとれることを信じて、待つ必要があるようです。


そんな電話カウンセリングを受けている最中に、
受話器の向こうでFAXの音が鳴りました。
泰三さんが確認したら、それは金沢での
初級心理分析士養成講座への申込書でした
すでに開講するかどうかのラインは超えているそうです。
よかった~

これまでに申し込んできた人たちは、
ずっと以前に泰三さんが関ったとかで、
あまり想定していなかったメンバーのようです。
逆に、「この人は申し込むだろう」と思っていた人が
「やっぱり受けられない」と言ったり。
やはり、次の講座でも最初からメンバーは
決まっていたのかもしれません。

「プロセス(自然な成り行き)を信じる」ことの大切さは、
特にパンフレット制作の最中に学びましたが、
その結果が今出てきています。
絶望している私の知り合いにも
きっとプロセスが働くと信じて、待ちたいと思います。

家事は道連れ

2009-02-23 22:38:19 | 家族・家のこと
主婦が一番嫌いな家事はアイロンがけという調査結果を
以前何かで読んだことがあります。
ご多分に漏れず、私もそんな1人。
最後にかけたのはいつだろう?
っていくくらいかけてませんでした

でも、断捨離したい服や小物がいくつかあって、
あまりにもしわくちゃで見た目が悪いので、
アイロンがけすることにしました。
だけど、1人でやるには見ただけでやる気が萎えるほど、
量が多い。。
そこで、あの言葉を使うことにしました。
「助けて~!」

心理学講座の仲間であり、同じ主婦、家も一番近い友達に
助っ人を頼みました。
彼女がアイロンをかけている間、
私はたまった繕い物をしました。
1人でやる時はあんなにつまんないのに、
2人でいろいろおしゃべりしながらやると、
時間が経つのが早く、仕事もはかどりました。

おかげさまで、かなり大きな心理的負担になっていたものが
片付きました。
苦手な家事がたまっているみなさんは、
ぜひ連れを探してみてください

次回は来週また友達と一緒に
ナチュラルクリーニングで2年間お世話になった家を
きれいにするつもりです。
楽しみだ~


そんなわけで、今日は繕いものなどしたのですが、
実は最近の夜更かしや仕事量がたたったらしく、
また風邪をひいてしまいました
おまけに、妊婦検診に行ったら、
血圧が82/35というかつてないような低さでびっくり。
どうりで疲れやすいはずだ
もうちょっとペースダウンして、
引越し作業をする必要があるみたいです。

ドリームカウンセラーチーム

2009-02-22 23:04:43 | 気づき
おとといから毎日、心理分析の講座の仲間と
電話で話しています。
先日仲間の「ショック療法」を受けてから
たくさんの気づきが広がって、
彼女の「処方箋」に自分の気づきを取り入れた
セルフセラピーを実施中です。

私が今やろうとしているのは、
講座の仲間を私のドリームカウンセラーチームにすること。
これは、おととい別の講座仲間が言っていた言葉に
インスピレーションを得て、思いつきました。
彼女は、「私には11人の専属カウンセラーが
ついてるんだもん」と言ってました。
そうだよなぁ、講座を一緒に受けてきたからこそ
許し合える言葉、行動もあると思います。
この間の「ショック療法」も
根底に深い信頼があるからこそ、
できたんだと思ってます。

仲間を私のドリームカウンセラーチームにするために、
1人1人の仲間のいいところ、得意分野などもっと知って、
私自身のことも知ってもらおうと思い、
いろいろ話しています。

夕べ話した仲間は、
「ブログで弱いところを見せられると、
同じだなぁって安心できた。
もっと頼ってよ」と言ってくれました。
そんなことを言われて、私も安心、うれしくなりました。
そして、すてきな言葉も教えてもらいました。
「陰は内に在りて陽の守りなり。
陽は外に在りて陰の使いなり」
陰を女性、陽を男性としてこの言葉を読んでみると、
なるほどと思われるかと思います。
よく細木数子さんが言っているようなことみたいですね。
以前の私なら、むかっ腹を立ててたかもしれませんが、
今はそういうこともあるかもしれないと思えます。

今日はまた別の仲間と話して、
彼女が本当に私と似たような根拠のない
無価値観を抱えていそうなことがわかりました。
もったいないなぁ。
でも、私の直感では彼女はもうすぐ
見違えるようにきらきら輝き出す感じがします。
それで、私がとても気に入って買ったけど、
あまり着ないまましまってあって、
もう年齢的に私じゃ似合わないサンドレスを
譲ることにしました。
きっと今年の夏は、彼女はそれを着て
彼氏とデートだわ

昨日は私がカウンセリングしてもらって、
今日は私がカウンセリングトレーニング
させてもらったような感じでした。
どっちもできるなんて、
やっぱりこれはもう形のない学校かもしれません。
私たちは、講座のパンフレットも自分たちで作ったし、
これからは自分たちの学びの場を
自分たちで作っていくことになります。
私は、その中で多分自ら最初のクライアントに
なってみるんだと思います。
そうしてカウンセラーのドリームチームを作ることが、
あと1ヶ月ほどで金沢を離れる私自身と
仲間へのプレゼントなのかな。

この機会をくれた神様と「ショック療法士さん」に
まずは感謝!です。

面倒と向き合う

2009-02-22 01:19:23 | 気づき
うちの息子は、いつも決まったもの以外は
なかなか食べません。
私は離乳食は作ったことがなく、
大人が食べるものをとりわけて
小さく切ったり、柔らかくしたりしてあげてましたが、
その時は特に好き嫌いはありませんでした。
ところが、大きくなるにつれて
だんだん食べないものが多くなりました。

でも、無理に食べさせることはしてきませんでした。
それは、何でも無理強いすれば逆効果だと思っていること、
食べ物を「食べさせる」ということに違和感を感じること、
子どもはその時の本能で食べてるんだろうから、
必要な時が来たら、他のものも食べ始めるだろうと思って
いるためです。

確かにこの考え方は今でもあまり変わりありませんが、
昨日気づいたことがあります。
単に、めんどうくさいということ。
いろいろやりたいことがあるのに、
うだうだ言って食べない息子につきあうのが
面倒だという理由も、確実にあるのです。

そうやって子どもが発信するいろんなメッセージが
面倒くさいから、
黙ってくれるものをいろいろ出しちゃうんですね。
食べ物にしろ、娯楽にしろ。
子どもとの摩擦、向き合うことを避けちゃってるみたいです。
甘やかしすぎたり、距離を取りすぎたり。

これって、そのまま子どもが大人になっても
引きずってしまいそうな気がします。
人とうまく関れないから、
テレビやパソコン・ケータイの仮想の世界に浸りがちになって、
家族の誰かに何かが起こったときより、
自分がよく見ている番組のタレントのニュースの方が
身近に感じてしまうようなこともあるんじゃないかな?
かく言う私自身も、父が末期ガンで入院している時、
アメリカでいつも見ていたニュース番組のキャスターが
亡くなって、そっちの方がショックでした。

最近はもっとそういう傾向が強まって、
アニメ制作か何かの専門学校で
生のヌードモデルのデッサンをやったら、
途中で何人かの学生が「気分が悪い」と言って
退室したんだそうです。
NHKスペシャルで有名になった金沢の元小学校教諭、
金森俊朗先生は、去年聞いた講演で、
子どもの「野生」が失われているというようなことを
話していました。
生の人間という最後の野生も受け入れられなかったら、
これから私たち、どうなるんだろう??

テレビやパソコンの中の世界は理想化されていたり、
距離がありすぎて、
自分が好きで選んでいるものなら、
不快感を与えられることはあまりないでしょう。
そういうものにしか親近感を感じられなくなったら、
外の世界には出られなくなるだろうなぁ。


子どもに本当に生き延びる力をつけてほしかったら、
やっぱり時間と心の余裕を持って、
子どもの発信するいろんなメッセージに
向き合う必要があるんだなと、
今さらながら思ったしだいです。
そして、面倒くさい子どもとの「摩擦」を
恐れないことも肝に銘じたいと思いました。
うだうだ言ってる下にどんな感情があるのか、
想像力を働かせながら。


追記:
そういえば、子どもと「向き合う」のはよくないと
小林正観さんだったかな?
言ってました。
向き合うのではなく、親が楽しそうにしている背中を
見せることがいいんだって。
本当にそうだなぁと思ったんですが、
今日の記事では「向き合う」以外のいい言葉が
見つからなかったので、使ってしまいました。

がんばり過ぎちゃダメなこと

2009-02-21 01:08:45 | 気づき
先日妊婦の歯科検診を受けたら、
また歯周病の治療が必要と言われました。
それで、今日は最初の治療に行きました。

私の歯の最大の問題は、
下あごの歯の根元が出てきてしまっていることです。
根元は固いエナメル質で覆われていないので
傷つきやすい上、プラークの中のばい菌が作る乳酸で
少しずつ溶けてしまうので、
根元が出てしまうこと、
つまり歯肉が下がってしまうことは
とても危ないことなのだそうです。

皮肉なことに、私の歯肉が下がってしまったのは、
私が一生懸命歯磨きをしたからでした。
汚れを落とそうとつい力を入れて磨いたために、
歯肉が下がってしまったんだそうです。
正しいやり方は、毛先の柔らかい歯ブラシの先端を
ポケットに差し込んで、少し前後に動かしながら
汚れを毛細血管現象で吸い出す感じとのことです。

「これは歯1本につき、何秒くらいやればいいんですか?」
と聞いたら、
「何回とか、何秒とかではなくて、
つるつるですっきりするまでやってください。
時間はかかります」との答えでした。

「この忙しい世の中で、歯1本をどれだけ時間かけて磨くの??」
と思ってしまいそうですが、
歯は「食べる」という命を保つ活動に関るし、
人間にとってとても大切な、言葉でのコミュニケーションにも
深く関っています。
そう考えると、歯1本1本をそこまで大切にするのは
当然のこととも言えます。

でも、大事なのは力を入れずに、やさしい力で時間をかけて磨くこと。
磨くというより、歯ブラシの先端で汚れを吸い出すとか、
歯茎をマッサージするという言い方のほうが
正しい磨き方を表すにはふさわしいようです。

「力を入れてがんばり過ぎちゃダメ」というのは、
他の多くのことにも言えることなので、
こんなところでもそんな話に出会ったか~と思いました。
私はすぐに何でも力が入ってしまいがちだから、
それを戒めるために、
こんな体の症状にも出てきたのかもしれませんね。

勇気、実践、責任

2009-02-20 01:47:11 | 気づき
ここのところずっと引越し準備と断捨離で
忙しくしてました。
でも、そんな風に忙しい時は無意識的に何かから
逃げてている時のようでもあります。
昨日すてきな映画も見ていい気分だったところに届いたメール便。
心理分析の仲間からの手紙と本でした。
いつもガツーンと一発食らわせてくれる彼女から。

手紙ではよく分からないことがあるので、
電話をかけてみると、彼女は言いました。
講座修了生のみんなはまだまだ
心理分析を実践で生かしてない。
パンフレットの中で使った自分の肩書きや
最近私がブログに書いたやりたいことを見ていると、
何か大きいことをやりたがってる感じがする。
でも、それより目の前に大事なことがあるじゃん。
子どもに当たったりしているのは、
自分が本当にやりたいことに向かっていないからじゃない?
そんなことするなら、
心理分析の仲間に「今、なんだか子どもにいらついちゃうんだけど、
どうしてかな?」って相談して、助けを求めたら?
何か「大きなこと」をやることより、
そっちの方がまず大切じゃない?

言われて気がついたのは、
心理分析の仲間は大切だと口で言い、実際そう思いながらも、
やはり「ねぇ、ちょっと話し聞いてくれない?」と
電話で相談できる仲間は限られていることでした。
私は、以前の仕事の経験から、
人に対する根本的な信頼は持ってきたつもりです。
また、パンフ制作の時にも、
自分を信頼してくれる仲間が確かにいるということを実感し、
私も仲間を信頼できることを学びました。
なのに、小さい頃からの人見知りと
その根本にある「私は受け入れてもらえない」という
根拠のない恐怖は依然残っていたのです。
私が、人と知り合って信頼関係を築くまでのその恐怖を
「最初のハードル」と表現したら、
「人はハードルじゃない。それは幻想」と言われました。

以前クレーム対応の現場にいた時も、
似たような幻想を持っていました。
クレームを言ってくる電話や手紙の向こうのお客さんを
私個人を攻撃してくる怪物のように恐れていたのです。
でも、私ができることは誠意をもって
対応することだけと思い、それを実行したら
お客さんから続けて「ありがとう」の手紙を受け取りました。
パンフ制作の時も、「私なんかが言ってもみんな
手伝ってくれないだろう」と思っていたところ、
「私が提案したパンフレットの制作を
手伝ってください」とあらためてお願いしたら、
「かおるさんが言ったから、やるって言ったんだよ」
と言われました。
私は今、もう一度覚悟を決めて、
自分が作った幻想と向き合う必要があるようです。

「その自分で作り出している幻想を克服しなかったら、
何回ワークショップに参加しても、変わらないよ」
そう言われて、最初は
「人にはそれぞれのペースがあるじゃない!」と反発してたけど、
夕べ寝る前には、確かにそうだなぁと思えるようになりました。
ワークショップは実際の社会の中で行うべきことの
予行演習、シミュレーションの場です。
実際の場では向き合うことから逃げるなら、
パイロットになりたいと言いながら、
いつまでもシミュレーターにばかり乗っていて、
本物の飛行機での訓練を拒否しているようなものです。


今回仲間からもらったメールには、
「難しいものにするか、簡単にするかは
かおるちゃん次第」とありました。
私はこれと似たような
「難しいと思うから、難しくなるのです」
というようなことを別のブログのコメントで書かれて、
またムカっとしていました。
「自分だけ悟ったようなこと書くな!」とか
「どうせ私は悟ってませんよ」って。
でも、そのムカつきの下にあったのは、
他の人ができる何かができない自分に対する
無価値観だったのでした。
そんなことを比較しなくてもいいのに、
他人と比較して自分が優位に立っていなければ
自分は価値がないと極端に振れてしまうこの感情は、
学校でまじめに勉強した人に多いようです

私は、メールをくれたこの仲間に対しても
やはり劣等感、無価値観を感じてました。
「なんでちょっとした情報だけで、
私の問題が分かっちゃうんだろう。
私だって同じように講座を真剣に受けてきたのに」
でも、彼女と私の違いはこれまでの人生で何を重視して、
どんな経験を重ねてきたかということではないかと
思い至りました。
私は実益が見える知識や経験を重視していたのに対して、
彼女は日々子育てやビジネス、カウンセリングの場で
人間関係について理解するために、
いろんな挑戦をしてきたんだろうなと思いました。
だから、「みんな心理分析を実践してない」と
言い切れるのでしょう。

また、彼女はそうした経験の中で、
一度負った責任から逃げないということも学んだようです。
以前、彼女から「子育てで必要なことは逃げないことだよ」
と言われたことがありました。
実は、これも私が逃げてきたことのような気がしています。
私は小学校の頃から、よく通信簿に
「リーダーシップが取れるのに取らない」と
書かれ続けていました。
転職や手がけた仕事が中途半端だったことも
1度や2度じゃないし。
いい加減リーダーとして責任を取ることに
挑戦する時期が来ているのかもしれません。


3月末の引越しまであと1ヶ月ほど。
私にはその前に引越しの準備以上にやるべき
大事なことがあるようです。
それは、自分の幻想と向き合うための勇気、
そういう実践を絶えず続けていくこと、
そしてリーダーとして責任を全うすること。
晴れ晴れした気持ちで桜を見られるよう
あともう一歩がんばってみようかな。

『ブロードウェイ♪ブロードウェイ』を見て

2009-02-19 01:13:05 | 行ってきました
今月見たいと思っていたドキュメンタリー映画3本を
気力・体力が足りなくなって断念したのですが、
当初は見るつもりがなかった映画を
見に行ってきました。
それは、16年ぶりに再演されるミュージカル
『コーラスライン』のオーディションを映した
『ブロードウェイ♪ブロードウェイ』という映画です。

昨日、家に遊びに来ていた友人と話していたとき、
その友人が今日は映画に行くと言うので、
「私も『ブロードウェイ♪ブロードウェイ』っていう
映画を見に行くの。
私、前にダンスやってたから」と
自分で言っているのを聞いて、驚きました。
そうだ、大学時代のある時期、
熱心にダンスをやっていたことを
久しぶりに思い出しました。
その頃やっていたのはジャズとモダンでしたが、
やっていくうちにその動きが
自分の体にしっくり来ない、
もっと自分の心と体に合った踊りがあるはずと思い、
それが見つかるまで踊りは「休もう」と思ってから
早10ウン年が経ってしまいました。

不思議なことに、私が興味を持っていたのに
短期間しかできなかったことに
息子は強い興味を示しています。
パーカッションとか、ダンスとか。
今日この映画を見てる間中、
お腹の赤ちゃんは動きっぱなしで、
この子もダンスが好きなのかな?って思いました。

確かに、この映画には久しぶりに引きこまれました。
私はいい映画を見ていても、
途中で疲れてしまって時計を見ることがよくあるんですが、
今日は最後までそれはありませんでした。
この映画の中には、私の好きなものが
たくさん詰まっていたからです。
ダンス、リズム、演技、プロデュース、
インタビュー、心理学、哲学など。
好きなものにたくさん触れて、
気分が良くなったから、
赤ちゃんもご機嫌だったのかもしれません。

そして、映画を見終わった後に
この胎動から感じたのは、
「ママ、いろいろ考えずに
心地いいと感じることやってみなよ」という
励ましのメッセージでした。
『コーラスライン』の中でも
150センチに満たない身長だけど
ダンスをあきらめない女性の役があります。
先日の息子の発表会の時もそうでしたが、
他から自分がどう見えるかなどではなく、
自分の心と体が喜ぶことを
素直にやってみればいいということのようです。

岐阜に帰ったら、息子と一緒に
またダンスやってみようかな?


気のめぐりが良くなった?

2009-02-16 21:48:14 | 気づき
この週末はちょっと咳が出たりして、
体調が傾きかけましたが、
引き続き断捨離&引越し作業を行いました。
おかげで部屋によっては、
もう2日後くらいに引越しできるんじゃない?
っていうくらい、パッキングも進み、
そうでない部屋もだいぶすっきりしてきました。

ものが少なくなって部屋のすみずみまで
見渡せるようになってくると、
それまで気にならなかったことが気になってきて、
さらにものを減らしたり、整理したり、
掃除したりという好循環が生まれてきました。

断捨離セミナーでも言われてましたが、
部屋にはその人の心の中が表れているそうです。
そして、「病は気から」と言われるように、
体は心を反映しています。
だから、家、体、心にはかなり比喩が成り立つようで、
すっきりしてきた家は、まるで滞っていた血、
もっと言えば気がまためぐり始めたような感じです。

これは自分の生き方、時間の使い方にも言えそうです。
自分が好きで、本当にコミットしたいことだけを
やるようにしていくと、
その人の気は活性化されていく感じがします。

私も以前は何かを身につけなければ、
体験しなければという焦りがあって、
いろんなことに首を突っ込み、
やたらスケジュールだけ埋まっていたことがありました。
でも、1回目の断捨離セミナーを受けた直後から、
なぜか時間の使い方がまず断捨離されてしまって、
時間が余るようになりました。
それにあわせて、気持ちにも余裕ができて、
おそらく生まれて初めて
自分にやさしくなることができました。

時間の断捨離が進んだ一方で、
なかなか物理的な整理は進みませんでしたが、
普段なら一晩で終わらせる片づけを
1週間かけて自然に終わらせられたことで、
できる時期が来れば自然にできるんだから、
焦らなくてもいいということを学びました。


最近、断捨離のことばかり書いているので、
「断捨離って何だろう?」って思われてる方も
いるのではないでしょうか。
岐阜に帰ったら、断捨離セミナーを
企画しようと思っているので、
岐阜のみなさん、期待しててくださいね。
先日ブログに書いた「(仮称)自給自足くらぶ」の中に
「(仮称)もったいないくらぶ」も作って、
ものを無駄にしないように
ぐるぐる循環させる活動をしたいなと思います。
その一環で断捨離をみなさんに知っていただけたら
と思ってます。


ところで、「こんなにすっきりしました」という
状況を見たいと思う方も多いのでは?
本当はデジカメでBeforeとAfterを記録すればいいのですが、
実は今パソコンとデジカメの中がデータでいっぱいで
下手に吸出しができないのです、トホホ
「パソコンとデジカメの中の断捨離を先にやったら?」と
突っ込まれそうですね
まったくその通りなんです。
今週中にはその作業にも取り掛かれそうなので、
例の断捨離専用ブログも間もなく開設できると思います。
もう少々お待ちください。