摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

【おすすめ記事】「お前らの作品は所詮コピーだ」

2008-11-04 23:44:39 | エッセー
ガンダムの監督、富野由悠季さんが、また吼えていたようです
意図的と思えるくらい挑発的な表現で、
クリエイターの聴衆に向けて、プロとは何かを語っています。
長いですが、一読の価値はある記事です。

「『お前らの作品は所詮コピーだ』――富野由悠季さん、プロ論を語る」

ちょっと「ん?」という表現もありますが、
本当に大事なところははずしていません。
私が特にひかれたのは、
「11,12歳まで好きだったものにこだわれ」というところです。
これは、自分の本質を探るために、心理分析の講座でやった
本当に好きなことを書き出すというワークに通じる言葉です。

また、最後の部分に書いてある
「第1がコミュニケーション、第2が原理原則で考える」ということは、
クリエイターに限らず、すべての仕事人に必要なことだと思います。

お忙しい方は、ぜひ上記の2ヶ所だけでも読んでみてください。

自分へ手を当てること

2008-11-04 13:39:01 | エッセー
金沢に来てから、縁あってレイキを習いました。
レイキとは、中国では「気」、インドでは「プラーナ」と呼ばれる、
宇宙のどこにでもあるエネルギーのことで、
レイキ療法はそのレイキを使う、日本の伝統的な手当て療法です。
(「レイキ」は漢字で「霊気」と書きますが、
戦後レイキ療法がGHQによって弾圧された後、
80年代くらいに海外から逆輸入されたため、
レイキと書いているようです。
これは、私自身も最初疑問に思ったことでした)
大人になると、このレイキが通る管がつまってきて
使えなくなってしまっている人がほとんどのため、
そのつまりをアチューンメント(霊授)という方法で取り除くと、
またレイキを使えるようになるとされています。

レイキは流派によって違うものの、いくつかの段階に分けて
講習を受けることは共通しているようです。
その最初の段階では、アチューンメントを受けた後、
自分の中のレイキが通るパイプのつまりをさらに除いていくために、
体の何ヶ所かへ順番に手を当てて、
レイキを流す「自己ヒーリング」ということを行います。

私はレイキのサードディグリー(3段階目、師範の下)まで
修了していますが、
最近自己ヒーリングの意味にあらためて気づきました。
私たちは、とかく自分の外のことに気が向いてしまって
それをどうにかしようとじたばたしがちです。
でも、本当はまず自分自身を大切にして、
満たされた状態にすることが大事で、
それができて初めて、外のことにも有効に働きかけられるようです。

「あ、そっか。レイキでも、まず自己ヒーリングから始めるもんね。
レイキを流す時はまず自分の中を通るから、
自分がぴかぴか、つるつるのパイプにならないと
外のものにはレイキがなかなか届かないもんなぁ」って
レイキと日常のできごとを重ねてみることができました。


タイ古式マッサージをやっている友達から以前聞いた話も、
自分に意識や手を向けることの大切さを示していました。
彼女が扱っている足半(あしなか)という通常の半分くらいしかない
布ぞうりを、同じくらいの期間使っていた2人に
かなり違う結果が出たというのです。
しかも、2人とも同じようにまじめに足半をつけていたそうですが、
外反母趾やO脚の改善などの効果が違ったそうです。
友人はその理由をなぜか考えたところ、
思い当たったのは、効果が出た人の方が
足をもんだり、足の様子について熱心に質問したりと
足に意識を向けたり、手を当てたりしていたことでした。
もう一人の方は、ただまじめに履いていただけだったようです。


今日は、午前中乳がんのセミナーを受けてきました。
ここでも、自分の体を日常的に眺めたり、触ったりすることの
大切さが言われていました。
もちろん、それは医学的な知識に基づいた手順としてですけど、
自分へ意識を向け、手を当てることが大切だということを
また別の形でも気づかされた気がします。
こんな気づきを経験させてくれた私の体に、
感謝を込めて、また手を当てておこうと思います。


田舎はいいなぁ

2008-11-04 01:07:08 | 家族・家のこと
岐阜市のはずれの方にある柿畑へ、柿の収穫に行きました。
富有柿の産地として有名なこのあたりでは、
いたるところに柿畑があり、オレンジ色の実がなっていました。
ひとしきり柿をもいで、あたりを見渡したら、
のどかな田舎の風景に心も体も、とても和みました。
やっぱり、私は田舎にいたいなぁ。

その後、豊田市のトヨタ会館へ行きました。
うちにホームステイしているロシア人の女の子が
トヨタの大ファンで、そこに行くのが夢だったからです。
岐阜から豊田への道中の風景は、
きれいとは言いがたいものです。
ところどころに残った田んぼの風景に、
どんな風にして住宅や工場が侵食していったのか
だいたい見て取ることができます。

先日、断捨離セミナーのことを書いた記事でも
「人は自分の内面と外面を一致させたいもの」
という心理学の公式を紹介しましたが、
家の中だけでなく、街や国という大きなレベルでも
そこの住民の内面がそのまま反映されている気がします。
食べ物の生産現場を軽視して、
がむしゃらに工業化、経済成長を追ってきた私たちの姿勢が。


そろそろ、たまに田舎のよさを見なおすのではなく、
ゆる~い心をもっと取り戻すためにも、
田舎に移りたいと切実に思う今日このごろです。