人間の脳は、(というか、私の脳かな)不思議なものだ。
少し前に電子書籍を読む、ソニーリーダーを購入したのである。
つねづね、本好きな私は、前から購入を考えてはいたのだが、何かの拍子に某イデオン(デオデオといったほうがすんなりくるが)、で9000円弱で売られていたので、買ってしまった。
それから一月ほどか、組み込まれている電子書籍のお試し版を読んだり、無料の青空文庫をダウンロードをして読んでみたり、また、テキストメモ機能が使いやすいことを発見して喜び、時々活用していたりしたわけである。便利なものだ。
そしてこのたび、初めて電子書籍を売っているサイト、リーダーズストアで本を物色してみた。やはり、読みたい本は少ない。実物の本、本屋のほうがやはり、断然いい。(現在のところはかもしれないが。)
だが、せっかくだから、いろいろと探してみた。それで見つけた本が、SF界の長老(もう亡くなったが、私たちの世代のSF愛好者にとっては神さまに近い存在だ。)、小松左京の『果てしなき流れの果てに』だった。
すばらしい名作で、私は中学生の頃に出会って、中年のこの年になるまで、たぶんもう7、8回は読み返していると思う。
どんな年齢になって、いつ読んでも、面白いなあと思う本だ。
これこれ、ということで、早速、初めてリーダーズストアで電子書籍を有料で購入した。
寝る前に読む。開いた時間に手軽に手にとって読む。やはり、ソニーリーダー、電子書籍リーダーとてもいい。
面白い本が手に取りやすい。家の書棚の中にはこの『果てしなき・・・』の本が文庫本で確か、2冊(古い本と、買い換えた本)があるはずだが、紙の本は何となく手にとるのがおっくうなところがある。(ほこりっぽかったりするからだ。)
特に寝床で読むには、このソニーリーダー、とてもいい。ページをはぐるのがやりやすいからだ。
まあ、リーダーや、電子書籍の話はこのへんでおいておいて、問題は本の内容だ。
この『果てしなき流れの果てに』だが、やはりすごい本だ。
小松左京は何歳の時にこの作品を書いたのかは知らないが、すばらしいアイデア、新鮮な想像力、描写力、わくわく性、人生に対する深い洞察・・・どれをとっても一流のSFの名作である。
ことにこの作品は時間がテーマである。人間の人生とは、人類の存在意義や、可能性、過ぎゆく時間の意味、などさまざまな深い思索を催させる本だ。
読んでいて、物語の内容に魅力を感じながらも、自分の人生についても考えさせられてしまう、偉大な作品だ。
人の経験とは、過去と未来と現在とはどんな意味を持つのか? ほんとうに大事なことは何なのか? 何が人の幸福を決めるのか?
そんなことに思いをめぐらせてしまった。
本を置いてもそのことが頭から離れず、とりとめもないことを考える。
別の感動した本のことも思い出す。
グリムウッドという作家の『リプレイ』という作品だ。このストーリーは人生をなんどもやり直せたら、という話だ。それまでの経験を記憶に持ったまま、過去の時点に戻ってしまうという物語なのだ。
人生をやり直せたら、どうなんだろう? 時々、ふと考えることだ。
人生をやり直せたら、どんな人生を選ぶのか? どんな人生を自分は理想としているのか?
考えると、頭がくらくらとしてしまうような思考実験だ。
どんな人生を選ぶか? ということは難しすぎてすぐには答えが出せないが、いつの時点に戻りたいか? ということなら、人間考えやすいのではないだろうか。
ひとは誰しも、あのときが、分岐点だったとか、あの自分から別の方向に行っていたらどうにかなったのでは、という時点があると思う。
私も、昔からよく考えていた。
小学校高学年か、中学生の時か、高校生の時か、あるいは大学の時か。いくつかの、候補があり、考えてみたりしていた。よく、中学生の頃に戻れたらいいのかな、と考えていた。
そのことで、今日ある発見がひらめいた。
過去の時点に戻られるといっても、いつでもいいというわけではない。小学校はどうしようもない、中学も高校も大学の時もだめだ。
何故か?
そんなに前では「ある可能性」消えてしまうから駄目なのだ。ある大事なものが私の人生からなくなってしまうような選択は無理なのだということだ。
私にとって、今一番大切なものは家族だ。現在一緒に人生を過ごしている家族である。
子どもが二人いる。
そこから生ずる結論はただ一つだ。
私が過去に戻って人生をやり直せるとしても、子供たちと出会わない人生など意味がない。
つまり、私が(もしそれができるとして)、戻っていい、過去の時点とは、下の子供が生まれた直後の時点しかないわけである。それより、以前の過去に戻るなんて考えられない。
そりゃあ、あの時、こうすれば良かった、ああすれば良かったなんてことは数え切れないあるし、やり直すには早い時点の方であればあるほどいいに決まっている。
だが、私は今、現在の時点の人生を一番大事に思っているし、幸福を感じている。
二人の子供に会えない、別の人生など意味がない、そのことに思いあたったのである。
ソニーリーダーで、小松左京の『果てしなき流れの果てに』を読み、グリムウッドの『リプレイ』を連想し、自分の人生の流れを考えた時、私は自分の人生の一番の大事なものをあらためて確認することができた。
おりしも、今日は下の子供の誕生日だった。
夕方帰ると、家族で焼き肉を食べて始めたところだった。
さっそく、食卓について、いっしょに食卓を囲み、夕食を楽しむ。二人の子供は、私の、話題を選びながら発した問いかけに答えてくれて、話をし、楽しいひとときを過ごせた。
幸せだなあと、つくづく思う。
人生は有り難い。
素晴らしい、貴重な、誰かからの贈り物だという感慨にひたっている。
それは不思議でもあり、もったいなく、しっかりとずっと抱きしめておきたいものであり、甘く、せつない、甘美な味わいの贈り物だ。
人の時間は有限だが、素晴らしい有限性だなあと思う。
今日はソニーリーダーで電子書籍を読むという経験から、こんなところまで,連想がつながっていった。
脳というものは、(私の?)まことに不思議で面白いものだ。
また、『果てしなき流れの果てに』の続きを読もう。ソニーリーダー最高! 本って面白い。わくわくする。
何回も読んだことはあるのだが、間をおいているので、細かいストーリー、いや大まかなストーリーを忘れているのだ。
そういう観点からすると、人間、忘却ということも悪くはない。なんども面白い本を読んで感動できるのは、忘却という能力のおかげだ。
『サヴァン』の能力を持った人の、読んだ本すべてを丸ごと記憶している人は、この感覚は味わえないのだろうな。
いい本を読むと、刺激を受けて、脳が活性化して、さまざまな連想がわく。
いろんなことがらが、新しく連結して、新しい発見が生まれたり、新しい感慨が生まれたりする。やはり、本は面白い。
夢想家の連想の旅をつれづれなるままに記してみた。
こんな、勝手なことを考えられるこの日々に感謝である。
ああ、ありがたい。もったいないことだ。
感謝感謝感謝。
少し前に電子書籍を読む、ソニーリーダーを購入したのである。
つねづね、本好きな私は、前から購入を考えてはいたのだが、何かの拍子に某イデオン(デオデオといったほうがすんなりくるが)、で9000円弱で売られていたので、買ってしまった。
それから一月ほどか、組み込まれている電子書籍のお試し版を読んだり、無料の青空文庫をダウンロードをして読んでみたり、また、テキストメモ機能が使いやすいことを発見して喜び、時々活用していたりしたわけである。便利なものだ。
そしてこのたび、初めて電子書籍を売っているサイト、リーダーズストアで本を物色してみた。やはり、読みたい本は少ない。実物の本、本屋のほうがやはり、断然いい。(現在のところはかもしれないが。)
だが、せっかくだから、いろいろと探してみた。それで見つけた本が、SF界の長老(もう亡くなったが、私たちの世代のSF愛好者にとっては神さまに近い存在だ。)、小松左京の『果てしなき流れの果てに』だった。
すばらしい名作で、私は中学生の頃に出会って、中年のこの年になるまで、たぶんもう7、8回は読み返していると思う。
どんな年齢になって、いつ読んでも、面白いなあと思う本だ。
これこれ、ということで、早速、初めてリーダーズストアで電子書籍を有料で購入した。
寝る前に読む。開いた時間に手軽に手にとって読む。やはり、ソニーリーダー、電子書籍リーダーとてもいい。
面白い本が手に取りやすい。家の書棚の中にはこの『果てしなき・・・』の本が文庫本で確か、2冊(古い本と、買い換えた本)があるはずだが、紙の本は何となく手にとるのがおっくうなところがある。(ほこりっぽかったりするからだ。)
特に寝床で読むには、このソニーリーダー、とてもいい。ページをはぐるのがやりやすいからだ。
まあ、リーダーや、電子書籍の話はこのへんでおいておいて、問題は本の内容だ。
この『果てしなき流れの果てに』だが、やはりすごい本だ。
小松左京は何歳の時にこの作品を書いたのかは知らないが、すばらしいアイデア、新鮮な想像力、描写力、わくわく性、人生に対する深い洞察・・・どれをとっても一流のSFの名作である。
ことにこの作品は時間がテーマである。人間の人生とは、人類の存在意義や、可能性、過ぎゆく時間の意味、などさまざまな深い思索を催させる本だ。
読んでいて、物語の内容に魅力を感じながらも、自分の人生についても考えさせられてしまう、偉大な作品だ。
人の経験とは、過去と未来と現在とはどんな意味を持つのか? ほんとうに大事なことは何なのか? 何が人の幸福を決めるのか?
そんなことに思いをめぐらせてしまった。
本を置いてもそのことが頭から離れず、とりとめもないことを考える。
別の感動した本のことも思い出す。
グリムウッドという作家の『リプレイ』という作品だ。このストーリーは人生をなんどもやり直せたら、という話だ。それまでの経験を記憶に持ったまま、過去の時点に戻ってしまうという物語なのだ。
人生をやり直せたら、どうなんだろう? 時々、ふと考えることだ。
人生をやり直せたら、どんな人生を選ぶのか? どんな人生を自分は理想としているのか?
考えると、頭がくらくらとしてしまうような思考実験だ。
どんな人生を選ぶか? ということは難しすぎてすぐには答えが出せないが、いつの時点に戻りたいか? ということなら、人間考えやすいのではないだろうか。
ひとは誰しも、あのときが、分岐点だったとか、あの自分から別の方向に行っていたらどうにかなったのでは、という時点があると思う。
私も、昔からよく考えていた。
小学校高学年か、中学生の時か、高校生の時か、あるいは大学の時か。いくつかの、候補があり、考えてみたりしていた。よく、中学生の頃に戻れたらいいのかな、と考えていた。
そのことで、今日ある発見がひらめいた。
過去の時点に戻られるといっても、いつでもいいというわけではない。小学校はどうしようもない、中学も高校も大学の時もだめだ。
何故か?
そんなに前では「ある可能性」消えてしまうから駄目なのだ。ある大事なものが私の人生からなくなってしまうような選択は無理なのだということだ。
私にとって、今一番大切なものは家族だ。現在一緒に人生を過ごしている家族である。
子どもが二人いる。
そこから生ずる結論はただ一つだ。
私が過去に戻って人生をやり直せるとしても、子供たちと出会わない人生など意味がない。
つまり、私が(もしそれができるとして)、戻っていい、過去の時点とは、下の子供が生まれた直後の時点しかないわけである。それより、以前の過去に戻るなんて考えられない。
そりゃあ、あの時、こうすれば良かった、ああすれば良かったなんてことは数え切れないあるし、やり直すには早い時点の方であればあるほどいいに決まっている。
だが、私は今、現在の時点の人生を一番大事に思っているし、幸福を感じている。
二人の子供に会えない、別の人生など意味がない、そのことに思いあたったのである。
ソニーリーダーで、小松左京の『果てしなき流れの果てに』を読み、グリムウッドの『リプレイ』を連想し、自分の人生の流れを考えた時、私は自分の人生の一番の大事なものをあらためて確認することができた。
おりしも、今日は下の子供の誕生日だった。
夕方帰ると、家族で焼き肉を食べて始めたところだった。
さっそく、食卓について、いっしょに食卓を囲み、夕食を楽しむ。二人の子供は、私の、話題を選びながら発した問いかけに答えてくれて、話をし、楽しいひとときを過ごせた。
幸せだなあと、つくづく思う。
人生は有り難い。
素晴らしい、貴重な、誰かからの贈り物だという感慨にひたっている。
それは不思議でもあり、もったいなく、しっかりとずっと抱きしめておきたいものであり、甘く、せつない、甘美な味わいの贈り物だ。
人の時間は有限だが、素晴らしい有限性だなあと思う。
今日はソニーリーダーで電子書籍を読むという経験から、こんなところまで,連想がつながっていった。
脳というものは、(私の?)まことに不思議で面白いものだ。
また、『果てしなき流れの果てに』の続きを読もう。ソニーリーダー最高! 本って面白い。わくわくする。
何回も読んだことはあるのだが、間をおいているので、細かいストーリー、いや大まかなストーリーを忘れているのだ。
そういう観点からすると、人間、忘却ということも悪くはない。なんども面白い本を読んで感動できるのは、忘却という能力のおかげだ。
『サヴァン』の能力を持った人の、読んだ本すべてを丸ごと記憶している人は、この感覚は味わえないのだろうな。
いい本を読むと、刺激を受けて、脳が活性化して、さまざまな連想がわく。
いろんなことがらが、新しく連結して、新しい発見が生まれたり、新しい感慨が生まれたりする。やはり、本は面白い。
夢想家の連想の旅をつれづれなるままに記してみた。
こんな、勝手なことを考えられるこの日々に感謝である。
ああ、ありがたい。もったいないことだ。
感謝感謝感謝。