今日は卓球の試合で、楽しいことがいっぱいあった。
自分は幸せな人生を送っているなあと思った。
詳しいことはMIXIの日記にも書いたりした。
だが、今日一日で私の心をゆり動かしたことは、今日の出来事、たくさんあるなかで、二つであることに気付いた。
それはどちらも、卓球の具体的なこととは少し違うことだ。
一つは、チームメイトの若い人が、就職一年ぐらいで「壁」に突き当って悩んでいるということを少し前にきいていた。話していると、彼がいった。
今日は試合の後、飲み会だという。仲間との飲み会かと思ったら、お父さんと飲むのだという。
それをきいて、私は同じ年頃の子をもつ親として、とても心が安心した。
そう、そういうときは、自分を一番心配してくれている、親と話す事が一番だと思ったからだ。
自分を一番心配してくれている人は親であるということを、この際、理解したら、彼のためになるなあと思う。
親と子はそういうものだと思うから。
もうひとつ。
去年ぐらいまで、チームの監督が教えていた中学生の子がクラブをやめたようになっていた。今日、その子とそのお父さんを試合会場で見た。
後で、チームの監督から、その中学生がまた、練習に来ることになったという。
いいことだ。
その子とお父さんもよく知っているので、また、練習にきて一緒に球を打って、がんばるということについて、嬉しい。
私自身も、子供の卓球のことで、悩んだり、いろいろがんばってきた思い出がある。
こうしてみると、今日私の心に深く印象を残したものは、卓球のことであるとともに、「親子」に関することなのだなあと自分で気づいた。
どんなスポーツでも同じなのかもしれない。あるいは、芸術、勉強、さまざまな種類は違うかもしれないが、ポイントは、「親子」、また、それを通した、「人間の本質」ということに対して、私は深い感動を覚えるのだ。
たくさんの楽しいことも、今日一日の有意義な内容であるが、ことにこの二つのことが、今日の経験のなかで、私の「本質」の弦をはじくものであった。
人生はほんとうに面白い。あじわい深い。
人生のさまざまな「幸せ」を感じずに生きていくのはもったいないことだ。
別に宗教的なことを言っているわけではないが、人生の幸せに気づき、「感謝」の心を持って生きていくこと、それが一番大事なことだなあと思っている。
「感謝」は「幸せ」を導き、「幸せ」は「成功」を導く。
この真理については、私の半世紀近い、経験と、勉強、あるいは読書の中で、確信がある。
すべての、もとは「感謝」なのだ。
「感謝」があってこその、「人生」であるということに、私はしばらく前から「気づいて」いる。
ありがたいことだ。
こうやって、「目が開いていうち」、私のささやかな人生を「ハグハグ」、抱きしめていきたいと思っている、今日この頃である。
自分は幸せな人生を送っているなあと思った。
詳しいことはMIXIの日記にも書いたりした。
だが、今日一日で私の心をゆり動かしたことは、今日の出来事、たくさんあるなかで、二つであることに気付いた。
それはどちらも、卓球の具体的なこととは少し違うことだ。
一つは、チームメイトの若い人が、就職一年ぐらいで「壁」に突き当って悩んでいるということを少し前にきいていた。話していると、彼がいった。
今日は試合の後、飲み会だという。仲間との飲み会かと思ったら、お父さんと飲むのだという。
それをきいて、私は同じ年頃の子をもつ親として、とても心が安心した。
そう、そういうときは、自分を一番心配してくれている、親と話す事が一番だと思ったからだ。
自分を一番心配してくれている人は親であるということを、この際、理解したら、彼のためになるなあと思う。
親と子はそういうものだと思うから。
もうひとつ。
去年ぐらいまで、チームの監督が教えていた中学生の子がクラブをやめたようになっていた。今日、その子とそのお父さんを試合会場で見た。
後で、チームの監督から、その中学生がまた、練習に来ることになったという。
いいことだ。
その子とお父さんもよく知っているので、また、練習にきて一緒に球を打って、がんばるということについて、嬉しい。
私自身も、子供の卓球のことで、悩んだり、いろいろがんばってきた思い出がある。
こうしてみると、今日私の心に深く印象を残したものは、卓球のことであるとともに、「親子」に関することなのだなあと自分で気づいた。
どんなスポーツでも同じなのかもしれない。あるいは、芸術、勉強、さまざまな種類は違うかもしれないが、ポイントは、「親子」、また、それを通した、「人間の本質」ということに対して、私は深い感動を覚えるのだ。
たくさんの楽しいことも、今日一日の有意義な内容であるが、ことにこの二つのことが、今日の経験のなかで、私の「本質」の弦をはじくものであった。
人生はほんとうに面白い。あじわい深い。
人生のさまざまな「幸せ」を感じずに生きていくのはもったいないことだ。
別に宗教的なことを言っているわけではないが、人生の幸せに気づき、「感謝」の心を持って生きていくこと、それが一番大事なことだなあと思っている。
「感謝」は「幸せ」を導き、「幸せ」は「成功」を導く。
この真理については、私の半世紀近い、経験と、勉強、あるいは読書の中で、確信がある。
すべての、もとは「感謝」なのだ。
「感謝」があってこその、「人生」であるということに、私はしばらく前から「気づいて」いる。
ありがたいことだ。
こうやって、「目が開いていうち」、私のささやかな人生を「ハグハグ」、抱きしめていきたいと思っている、今日この頃である。