大そうなタイトルであるが、例によってうちの庭の話である。実はうちの小さな庭には、灯篭がある。灯篭というと立派なものをイメージされると思うが、うちのは違って、自然石を積み上げてつくった、高さ七〇センチほどの半分洒落のようなものである。
実はこの灯篭、今は亡き義父が造ったものなのである。いつか紹介した、私が苦手としているマツの木の下の方に、今は設置してある。前は、他の場所にあったのだが、いつからか、このマツの木の下が定位置として定着しているのだ。
今造ったと言ったが、本当は積み上げて置いてあるだけなので、自由に動くのだ。というよりも、そのへんの川原からもってきた石を適当に積んだだけなので、安定性に欠けており、時々、ごろんと崩れる。マツの木の手入れをしているときなど、だいたい一日一回は、倒す。そのたびにまた元のように積み上げておくのだ。積むときに、一段目と三段目の石が見分けが付かなくて、入れ替わったりしていると思う。
非常に取り扱いに手間がかかる品物なのである。しかし、むろんこの品は撤去するわけにはいかない。お義父さんの気持ちがこめられているからである。でも、今ではもう慣れてしまって、倒そうが、ひっくり返そうが、適当にまた積み上げて、終わりということになっている。
モルタルか何かで固定してやればいいのだが、倒したり、積んだり、という儀式を楽しむところもあって、そのままにしてあるのだ。積み方によって形が微妙に変化するところも、思えば味があってよい。日本中さがしても、こんな灯篭はめずらしいと思うのである。
自然石のものはまああるかも知れないが、定期的に形を変える灯篭である。
しかし、あまりに倒れやすいので、なんとかしなくてはいけないかな、と思うこともある。石を追加してやって、もう少し安定した形状に直してやるとか。まあ、追加するのであれば、お義父さんも許してくれるであろう。
まあ、これも暖かくなってからのことである。造園家、やることいっぱいである。
実はこの灯篭、今は亡き義父が造ったものなのである。いつか紹介した、私が苦手としているマツの木の下の方に、今は設置してある。前は、他の場所にあったのだが、いつからか、このマツの木の下が定位置として定着しているのだ。
今造ったと言ったが、本当は積み上げて置いてあるだけなので、自由に動くのだ。というよりも、そのへんの川原からもってきた石を適当に積んだだけなので、安定性に欠けており、時々、ごろんと崩れる。マツの木の手入れをしているときなど、だいたい一日一回は、倒す。そのたびにまた元のように積み上げておくのだ。積むときに、一段目と三段目の石が見分けが付かなくて、入れ替わったりしていると思う。
非常に取り扱いに手間がかかる品物なのである。しかし、むろんこの品は撤去するわけにはいかない。お義父さんの気持ちがこめられているからである。でも、今ではもう慣れてしまって、倒そうが、ひっくり返そうが、適当にまた積み上げて、終わりということになっている。
モルタルか何かで固定してやればいいのだが、倒したり、積んだり、という儀式を楽しむところもあって、そのままにしてあるのだ。積み方によって形が微妙に変化するところも、思えば味があってよい。日本中さがしても、こんな灯篭はめずらしいと思うのである。
自然石のものはまああるかも知れないが、定期的に形を変える灯篭である。
しかし、あまりに倒れやすいので、なんとかしなくてはいけないかな、と思うこともある。石を追加してやって、もう少し安定した形状に直してやるとか。まあ、追加するのであれば、お義父さんも許してくれるであろう。
まあ、これも暖かくなってからのことである。造園家、やることいっぱいである。