ある読書感想文の審査員の役をおおせつかっている。一年に一度その審査があるわけだが、毎年有り難いサプライズがある。
小学校低学年、中学年、高学年、中学校、高校と五つの部門に分かれて審査するのだが、今年は高校生の部であった。昨年は中学生、一昨年が高校生であったと思う。
高校生ぐらいになると、出来のよいものは大人とほとんど変わらない。というか、大人でもここまで書くことは難しいというような、すばらしい作品に時々出会う。だいたい、一人ぐらいは毎年そういう作品を書いている子がいる。
果たして、今年もそうであった。太宰治の『人間失格』を読んで感想文を書いていた。だいたい、私なども『人間失格』は読んだことがなかった。名作であることは知っていたが、どちらかというと、「文学」よりも「物語」から読書に親しんでいった人間なので、純文学の名作というもの(特に日本の私小説的な色合いの濃いもの)の中には未読のものが多いのだ。まだ外国作品の名作の方が、読んでいるものが多い。
だが、この名作を読まずに感想文を評価するわけにもいかないので、よい機会とばかりに原題を読んでみた。うん、難しい。簡単には咀嚼できない。まあ、おおよそのテーマは把握したが。
その純文学の名作を読んで書いたその感想文、すばらしいのだ。独自の切り口で主人公と、自分の違いを分析しながら感想を展開していっている。おお、高校生とは思えない考察力だ。文章も破錠がない。審査の項目が8項目あるが、すべてにわたって最高得点をつけた。大したものだ。どんな高校生なんだろうと興味を覚えるぐらいであった。すばらしい才能を持った子である。
負うた子に教えられ、ではないが、審査する感想文に勉強させられることが多々ある。誠に有り難いことで、幸せなことである。
いつものことながら、感謝するしかない。合掌。
小学校低学年、中学年、高学年、中学校、高校と五つの部門に分かれて審査するのだが、今年は高校生の部であった。昨年は中学生、一昨年が高校生であったと思う。
高校生ぐらいになると、出来のよいものは大人とほとんど変わらない。というか、大人でもここまで書くことは難しいというような、すばらしい作品に時々出会う。だいたい、一人ぐらいは毎年そういう作品を書いている子がいる。
果たして、今年もそうであった。太宰治の『人間失格』を読んで感想文を書いていた。だいたい、私なども『人間失格』は読んだことがなかった。名作であることは知っていたが、どちらかというと、「文学」よりも「物語」から読書に親しんでいった人間なので、純文学の名作というもの(特に日本の私小説的な色合いの濃いもの)の中には未読のものが多いのだ。まだ外国作品の名作の方が、読んでいるものが多い。
だが、この名作を読まずに感想文を評価するわけにもいかないので、よい機会とばかりに原題を読んでみた。うん、難しい。簡単には咀嚼できない。まあ、おおよそのテーマは把握したが。
その純文学の名作を読んで書いたその感想文、すばらしいのだ。独自の切り口で主人公と、自分の違いを分析しながら感想を展開していっている。おお、高校生とは思えない考察力だ。文章も破錠がない。審査の項目が8項目あるが、すべてにわたって最高得点をつけた。大したものだ。どんな高校生なんだろうと興味を覚えるぐらいであった。すばらしい才能を持った子である。
負うた子に教えられ、ではないが、審査する感想文に勉強させられることが多々ある。誠に有り難いことで、幸せなことである。
いつものことながら、感謝するしかない。合掌。