こでまりさんの作品ですが部分です。
お稽古に来るとき素敵なヒコーキ雲を見たからと横に長く生けました。
大事なガクアジサイやアシタバの実をもっと生かしたいと言うので後ろにあったガクアジサイは前に移動し(左側)、アシタバの実(右側)は動かさなかったのでよく写るように上から写しました。
三宅島ではガクアジサイやアシタバはいたるところに自生しています。
アシタバの薬効は最近もてはやされてきたと思うのですが三宅島で面白い碑を見つけました。
除福が不老不死の薬草アシタバを探しにきたとき死んだ中国人の碑だと書いてあり、三宅島にも除福伝説があったのです。
私が興味を持ったのは前に並んでいる自然石です。
こでまりさんは食べることだけで精一杯だった頃の庶民の信仰である路傍のお地蔵さんや丸石信仰に興味を持っているので話を聞くうち信仰の対象になる石などに私も目がいくようになりました。
”為朝の袂石”と説明書きされていました。
為朝とは平安時代、三宅島に隠れすんだ武将です。
すわり心地の良い真ん中がくぼんだ石で水がたまってもすぐ乾くように溝が掘られていました。
移動手段が歩くだけだった頃いろんな人が腰をかけたのだろうと思います。
犬公方綱吉に進言して島流しになった僧侶のお墓には丸くてきれいな石に写経して埋めてあるとか、ただ丸い石を並べ積んだ遺跡も竹藪の中にありました。
三宅島は古い言い伝えや遺跡のある島ですが民族資料館はありません。
唯一浅沼稲次郎の生家がありますが中へは入ることが出来ず噴火前は一族の人達の手で整備され、周りはきれいな公園だったと言う話を聞きましたが荒れていました。
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