戦中に都心より引っ越してきた我が家です。私はここ生れでここ育ちました。
当時はここが別荘と畑だったようです。
当時は食料難でしたので、ここで作っては都心まで住み込みで働いていた人が何人かで耕作したりリアカーで運んでいたと聞いています。
当時の防火用水(コンクリート製の擬木型)がまだ置いてあります。
90年くらい前のモノだと思います。
石ですの朽ちることはありませんが、苔むしています。
何故か灯篭がたくさん置いてあります。ご紹介しているのは一部です。
東日本大震災の時は、何基か崩れました。
この灯篭は偽物なのでしょう。きっとコンクリート製だと思います。苔むしていますが、頂部が崩れてきました。荒いモルタル仕上げだったのでしょう。
玄関との仕切り塀です。昔は本物の竹を使っていましたが、今では早く朽ちることから塩ビ製に代わってきました。
全景を撮ってきました。こんな雰囲気です。
これも塩ビ製の生垣です。
自分で作った新聞受けです。背面から見ていますが、屋根には杉皮を張り古民家風?にしています。新聞受けの口は、新聞屋さんが入れやすいような大きさにしています。
この新聞受けも口の部分をパチリしてきました。
母屋の玄関です。7月のお盆(明日)が来ますので、草取りと低木の剪定をします。
今までは植木屋さん任せでしたが、時間も出来てなるべく自分で剪定するようにしました。しかし、五葉松や門かぶりの松、そして高木は素人には出来ません。
そう、「桜を切るバカ、梅切らぬバカ。桜を折るバカ、柿折らぬバカ。」と言う言葉があるくらい、切らなきゃダメな木と、切っちゃダメな木もあります。
桜は折ったり、切ったりするとその部分から腐るのです。梅や柿はその逆で実か付きません。
ついでですが、蔵もあります。中身は空っぽで、お宝などは全くありません。
勝手口が直接見えないように、仕切りを作っています。そこにアブチロンとかアイビーを這わせています。
西日本方面で線状降水帯で水害が発生していますが、東京地方は酷暑になっています。
日除け代わりのゴーヤや朝顔などが成長してきました。
余りにも暑さで、外に出れません。そろそろ居間にもエアコンを入れるか検討中です。今は扇風機2台でなんとか過ごしています。
先ずはその1としてご紹介しました。次は蹲(つくばい)などを考えています。
Hiro