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思いつくままに…

無沙汰

2016年10月16日 | そんなこと有りませんか?

あんなに毎日会っていた仲も

ある年を境に会えなくなつて

年賀状で無沙汰を詫び「今年こそ是非」と繰り返す

そのうち、どちらかより「ご挨拶欠礼」の喪中葉書が来て、それが二三度繰り返されると

年賀状のやり取りも途絶える

そして、そのうちに、そのうちに、と思いながら、数年が経過すると、

どちらかが体調を崩したり、あるいは認知症になったりして、

関係が途絶えて、一巻の終わりとなる

寂しいものだ…
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同姓同名

2016年01月07日 | そんなこと有りませんか?

フェイスブックから

「新しい書き込みが有ったので見てくれ」とか

「新しい写真に変わったので見てくれ」とかが

毎日にように入って来る


私の仲間では欧米人が盛んで

あれこれ書き込んで来る

あんなに個人や家族の事を写真を入れて暴露して良いのかと、心配する程だ

限られた仲間だけの閉鎖的な掲示板とは言え

私ならそこまで開放しない、もっと用心する


それかあらぬか、日本人を含めてアジア人他はそれほど書き込みをしないようだ

自己顕示欲の差か、恥ずかしさの差か、用心深さの差か…?


私の名はポピュラーではないが、検索を掛けると

文字まで一字一句、同姓同名の人が出て来た

自動的に連絡して来る「知り合いではないでしょうか」欄に知らない人がたくさん載って来るのはその人違いのせいかも知れない

そうすると、私の知り合いも反対にその同姓同名氏のフェイスブックサイトに何度も連絡されて首を傾げられているのだろうか?


その同姓同名氏に連絡を取って「以後ご昵懇に」と言ってみようかとも思うが

良い事ばかりではないだろうと思うと躊躇する


でも、ポピュラーな名前であれば、同姓同名は日常茶飯事であろうから、そんな事はしないだろうし、されたくもないだろう…
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ずるい

2014年04月02日 | そんなこと有りませんか?

今思うと恥ずかしく思う事が幾つも有る

何も裏の事情や経緯を知らない為、いや知らされていない為に

真顔で良かれと思って、子供心で、純粋に言ったりしたりしていた事が

あぁ、そうだったんだ…

それじゃ、訳を知る親戚の人、周りの人から笑われていたんだ…


今でも思う度に顔から火が出そうな事の一つや二つは有る

火は出なくても、恥ずかしくなる事は沢山有った


言わぬが華、との考えも有るが、がんぜない子供には酷だ

こんな年になっても、今だに恨めしく思う時が有る

大人はズルイ、と…
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ジングルベル

2013年12月17日 | そんなこと有りませんか?

中央郵便局でクリスマスカードを出して

いつもとは違う道を通って帰途についた

まあ、電飾の物凄い事

今はエルイーディーなので熱が出ず、立ち木への悪影響は少ないそうだが

何もここまでしなくても良いのに思った

角の店から「ジングルベル」が聞こえた

昔を思い出した


バーやキャバレーからホステスさんたちに大声で派手に送り出されて

頭に三角帽子を被り、手にはおみやげに貰った袋を持って

「ジングルベル、ジングルベル」と歌いながら、笑いながらフラフラと駅の方に歩いたものだった

酔った頭の片隅で「俺はキリスト教徒でもないのに」と自嘲しながら…

給料が一割も二割も上がっていった日本経済が上昇期の話しである

駅では声高に「アイスのクリスマスケーキ」を売っていた

珍しいので買って帰ったが、凍っていて、なかなか切るのに往生した


時は流れて、今は静かな「ルミナリエ」のクリスマスシーズンが好まれるようだ

隔世の感だ…
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「顔」

2012年08月07日 | そんなこと有りませんか?
古い映画やドラマを視ると

「ああ、この人、どこかで見た、誰だったけ?」

「奇麗な人だなあ、何て名前だったけ?」

「ああ、この人…、若い時はこんなんだったのか」

とか、時々思う

配役を見てから初めて

「ええ、こんなイイ女なのに、その後、視ないな」

と思う女優もいる

裸でいない限り、やはり「顔」が個々を識別する手段となる

経年によって多少の変化は出るが、それでも大概は判る

五十年ぶりのクラス会に出たら、三分の一が識別出来なかった、それだけ苦労したのだなと取った

その部品や配置の具合によって、美人だとか、そうでないとか評されるのも「顔」だ

それだけは常に露出しているので、目立つのだろう

それでも、好みはイロイロだ

その国その国でも違う、時代によっても違う、個人の好みによっても違う

自分の顔は毎朝見るが、そのうち慣れる

死ぬまで付き合うのだから、大事にしよう

毎朝、鏡を見て「お早う、今日も一日宜敷く」と挨拶する…
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