木曽義仲が平氏軍を大きく打ち破った場所が富山県小矢部市にある倶梨伽羅峠の戦いである。この日は、岡田冠者親義を讃える会の皆さんと現地で合流し、小矢部市木曽義仲研究会の皆さんと交流、その後おやべ観光ボランティアグループの山崎康子さんの案内で、義仲ゆかりの地を歩きました。観光ボランティアグループは10人ほどいて、小矢部市の建造物や木曽義仲について観光案内をしている。翌日はこのグループで木曽町へ研修に行くというお話でした。
このような石柱が小矢部市内に25箇所あります。それは、明治42年後の大正天皇が皇太子の時に、富山県を訪れ倶利伽羅合戦の様子を聞くことになり、砺波山旧蹟保存会が記念に建設したという。当時から小矢部の皆さんにとって木曽義仲が極めて身近な存在であったことにびっくりする。
このような石柱が小矢部市内に25箇所あります。それは、明治42年後の大正天皇が皇太子の時に、富山県を訪れ倶利伽羅合戦の様子を聞くことになり、砺波山旧蹟保存会が記念に建設したという。当時から小矢部の皆さんにとって木曽義仲が極めて身近な存在であったことにびっくりする。
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