こんにちは「中川ひろじ」です。

みんなのお困りごとが私のしごと

木曽義仲・巴御前全国連携大会

2011-10-01 22:08:30 | 活動日誌





木曽義仲巴御前全国連携大会、記念講演、童門冬二。どうもすみません。nhK大河ドラマの4原則、全国区、女性、ほのぼの、年寄が語れる。22団体地域が連携している。長野県内だけでも信濃源氏がたちあがった。全国に1000箇所のゆかりの地がある。

童門、3,11以降無力感で立ち上がれなかった。被災地で元気な中学生が、がんばっている姿を見て、一瞬一瞬を大事に生きていこうと。重なったのが木曽義仲。平家が支配をしている社会で、平家にあらずんば人にあらず、ということに代表される驕りに立ち向かった。

童門、日本式経営、土台になっている、お客様との結び付き、家族的会社関係。これは災害でも表れた。整然と堪え忍ぶ姿は世界に感動をあたえた。それは義仲に通じるものである。

童門。純粋無垢、私利私欲がない、この姿が人を集めていった。頼朝にも世の中のために手を組もうと声をかけた。平家は私物化した。義仲は、民衆目線。木曽殿なら、という考え方がひろがっていった。

木曽義仲から私たちが学ぶことは、民衆のために何をしてきたのか、探り出していくことが必要。改革、復興、スピリット、決断と実行。決断を促したものは、先見-情報-分析-判断-健康-体力が必要。

木曽義仲は、贅沢三昧の公家社会への鉄槌である。 木曽殿なら、と言わしめるオーラがあった。 風度、一人一人の、らしさをつくることが、生涯学習の目的。 生まれた時から、何とかしてくれると感じさせた。 当時、義仲を匿うために命をかけさせたものを義仲が持っていた。

木曽義仲のオーラが強かったのは、常に人のために本気だと、わかる。 いま、求められているのは、心と心の結びつき。イッテん突破。例えようのないヒューマニストが木曽義仲。 この運動は、一過性のものにしてはならない。復興の力になる。

木曽義仲史学会今井弘幸氏、木曽義仲が京都で乱暴狼藉をはたらいたというデマ、そもそも大飢饉が続いていた。義仲の入京で、他の源氏も都へ入ってきた。騒然としていた。義仲の言うことを聞かない武士もたくさんいたことが伺える。治安に失敗したということはある。

平家は武士でありながら急速に貴族化していった。新しい幕開けは木曽義仲に始まった。その歴史的な意味を再確認を。木曽義仲史学会、今井弘幸。



義仲伝説を漫画家の西川かおりさんが、かたっています。西川さんと義仲の関わりは、なんと、平家物語の木曽最期だったとは。今井兼平を思った義仲、後をに続いた兼平。いったい、どの様に育ったのか、知ろうと思い続けた。大学の史学部に入ったが、ここでも思うような義仲像が見えない。

史学部には、私の知りたい義仲がわからない。夏休みの宿題で、上田市史を調べたら義仲が、いきなり出てきた。それから伝承をしらべはじめた。広い範囲に義仲伝承が残っていることがわかった。

西川かおりさん。伝承を調べて、石川県に行ったら、義仲町、義仲道があった。乱暴狼藉を者だったら名前は残らない。それぞれの地域を大事にした。



富山県南砺市の得能康生さん。巴御前をかたる。巴御前は、死後もその霊力を頼られたが、その時代に求められたものを巴御前を通じて現されたのではないか。



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