第6章は、「パウロの回心」です。パウロの回心の物語は、ペンテコステ派に好まれる節の一つだと著者は言います。すなわち、パウロはダマスコ途上で回心し、「三日後」、彼は聖霊のバプテスマを受けたというわけです。
まず、著者は、ダマスコ途上でパウロが回心したとされる論拠を二つ挙げます。第一は、パウロがイエス様を「主」と呼んだこと(9:5)。第二はアナニアが彼に「兄弟」とあいさつしたことです(9:17)。
第一の論拠について、著者は、「主」という言葉が呼格で使われる場合(9:5、22:8、10、26:15)、信仰の告白よりもむしろ尊敬の称号(英語で'Sir')をしばしば意味すると指摘します。パウロは、こうして彼と相まみえている方がどなたか知らない(「主よ、あなたはどなたですか。」)ので、パウロがイエス様を「主」と呼んだとはほとんど言えないと言います。
第二の論拠について、アナニアがパウロに民族的関係の言葉で仲間のユダヤ人にあいさつした可能性があることを著者は指摘します。(使徒行伝におけるαδελφοσの57回の用例の内、19回は、ユダヤ人がユダヤ人に対して民族的関係に言及してのものだと言います。更に、呼格で使われている18回の用例の内、13回は、ユダヤ人仲間を意味し、5回だけがクリスチャン仲間を意味すると言います。
このように、ダマスコ途上でのパウロの回心を証拠立てる根拠を否定したのち、著者は、別の見方を提示します。すなわち、パウロの三日間の経験は単一のもので、適切に言うならば、彼の回心はダマスコ途上からバプテスマに至る三日にわたる危機的経験であると。そして、このような見方を示唆する三つの要素があると指摘します。
第一の要素は、使徒22:16です。つまり、ここで、アナニアの目には、パウロが彼の献身とゆるしに決着をつける段階をまだ踏んでいなかったという点です。アナニアは、パウロが主イエスの名を呼んで自分の罪を洗い流すよう勧めている。要するに、パウロはクリスチャンになっていなかった。
第二の要素は、パウロの任命です。パウロは、彼がダマスコ郊外で受けた任命と、アナニヤを通して受けた任命とを区別していないように見える(使徒9、22、26章)。これは、それが一つの出来事、一つの経験であって、その中の様々な要素のもつれをほどくことができないほどであるからであるように思われる。そして、パウロの回心の経験と彼の任命の経験とを区別することはできないのであるから、われわれは、パウロがダマスコで任命を受け、三日後に任命を受けたとは言えない。パウロの「回心―任命」は、三日間にわたる一つの経験であって、彼の回心は彼の任命同様、アナニヤを通して完成されたことを認めなければならない。
第三の要素は、パウロの盲目が三日間にわたっていることです。この盲目は、明らかに、精神的なレベルでは、イエス様の栄光に直面した突然のショックによるものだった。このイエス様との出会いがいかに彼の人格と世界観の根本にまで切り込んだかを理解するなら、彼が一瞬で回心したと考えることは不可能である。ルカは恐らく盲目の三日間を象徴的に考えている。というのは、回心が霊的盲目に光を与えることとしてしばしば考えられているからである(使徒26:18等)。パウロの盲目が象徴的であるなら、それは「同時的な」霊的盲目を象徴したのであり、霊的混乱と真理への手探り状態を示している。
これらのことから、著者は、パウロの回心が、ダマスコ街道からアナニヤの働きまで続く一つの単一な経験であったと結論づけています。この結論部分で、著者がジョン・ウェスレーを瞬間的回心に親しんでいた人物として紹介しながら、彼の言葉を引用しているのも興味深いことです。「とても長い間、彼は新生の苦悶の中にいたように思われる」(『新約聖書注解』使徒9:9の部分)。ちなみに、第二の恵みとしての聖霊のバプテスマを強調するB.F.バックストンも、パウロの回心については、アナニヤの訪問によって簡潔したと理解しているようです(バックストン著『使徒行伝講義』バックストン記念霊交会、192、193頁)。
さて、パウロの回心についての著者の議論は多少複雑なところもありますので、私なりに整理しなおしてみたいと思います。まず、パウロの回心について検討する際、調べるべき聖書個所が3箇所あることにまず注意する必要があります。パウロの回心自体を記録する使徒9章。エルサレムのユダヤ人たちにパウロが自分の回心について語る使徒22章。同様にパウロが自分の回心についてアグリッパ王に語る使徒26章です。
その上で、まず著者が指摘する第二の要素について検討してみると、事情はかなり複雑であることに気づきます。パウロが宣教の任命を受けたのはいつどのようにしてでしょうか。ダマスコ途上でキリストから直接受けたのでしょうか(26章からはそのように思われます)。ダマスコでアナニヤを通して受けたのでしょうか(9章、22章からはそのように思われます)。しかし、22章を読めば、ダマスコでアナニヤから任命を受けた後(22:15)、エルサレムで再度キリストご自身が任命を与えておられることが分かります(22:21)。そこで、任命は一度ではなく、ダマスコ途上でも、ダマスコでアナニヤからも、そしてエルサレムで三度目にキリストからも、任命を受けたのだと考えられます。そして、宣教の使命が明らかにされたからと言って、即その時救いの信仰を持つことができていたとは限りませんから、パウロの信仰がいつ明確なものとなったかは、このことだけからは分からないと判断するのがよさそうです。
次に、著者が指摘する第三の要素について、整理します。著者の書き方では、盲目の三日間を象徴的にとらえているのは、著者ルカだけであるようにも見えます。しかし、むしろ、パウロに盲目の三日間を与えられた神ご自身が、それをパウロの霊的状況に対する象徴としてその期間を与えられたと考えたらどうかと思います。すなわち、迫害者パウロが信仰者、宣教者として立ち上がるために、この三日間を用意されたのは、神様であって、その象徴として彼に三日間の闇を与えられたと考えたらどうでしょうか。この場合、パウロが救いに至る信仰に至ったのは、やはりアナニヤの訪問によって目が見えるようになった瞬間であったことになります。但し、この議論は、聖書に明示的に語られているというよりも、暗示されていることであるので、いくらか弱い部分があります。
従って、この問題についての決定的な部分は、著者が指摘する第一の要素であると言えそうです。使徒22:16「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。」ダマスコのパウロのもとに遣わされたアナニヤはこのようにパウロに語りかけました。ですから、パウロはまだこの時点で、自分の罪を洗い流すということを明確にできていなかったことになります。
ここで、問題は、アナニヤが遣わされてパウロに何がどのように起こったのかということに移っていきます。パウロの回心について語る三つの箇所において、この点についての各記述の焦点は少しずつ違っているように見えます。
使徒9章では、アナニヤがパウロに手を置きながら語ったのは、「(略)主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」ということでした。そして、その結果起こったのは、「するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった。彼は立ち上がって、バプテスマを受け、食事をして元気づいた」ということでした。同時に、アナニヤの言葉からは、この時パウロが聖霊に満たされたであろうことが想定されます。
使徒22章では、アナニヤがパウロのそばに立って語ったのは、「兄弟サウロ。見えるようになりなさい」ということでした。その結果起こったのは、見えるようになったことでした。更にアナニヤは、(先ほど検討したように)パウロに対する宣教の使命を告げた上で、「さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい」と言います。その後は(先ほど検討したように)エルサレムでのキリストご自身からの宣教への任命を受けたことが記されていますが、その間にバプテスマを受けたことが想定されます。
使徒26章ではアナニヤ訪問は省略され、ダマスコ途上のキリストによる宣教任命から直接宣教の使命に立ち上がったような書き方がされています。
まとめますと、アナニヤの訪問によって、目が見えるようになること、バプテスマを受け、自分の罪を洗い流すこと、聖霊に満たされることが起こりました。目が見えるようになることは、神ご自身がパウロの救いを象徴的に表すために与えた出来事だったとすれば、ここには罪の赦し、救い、バプテスマ、聖霊の満たしが同時的に起こっている様子を伺うことができます。これは使徒2:38で本来的に約束されていたことだっただろうと考えることができます。すなわち、聖霊がくだり、聖霊に満たされることは、信仰を持って罪赦され、救われることと同時に起こることが可能であり、本来的にはそのようであることが望ましいことだということが示されていると言えそうです。
ただ、これらのことは、パウロの回心についての三つの箇所を子細に調べてはじめて明らかになることであって、たとえば、使徒9章を読んだだけでは、明確に把握することが難しいとも言えます。パウロの回心において、ルカ自身は、救いと聖霊の満たし(聖霊のバプテスマ)との関係を明確にしようとしているようには思いにくい面があります。むしろ、パウロの回心では、迫害者サウロが復活のキリストとの出会いを通して回心したばかりか、宣教者として立ち上がっていく面に焦点が置かれているように思われます。