長良の鵜 ズボラ余生

「ズボラ余生とは」:
何事も、前向きに捉え、楽天的に生きていくことです。

★死の迎え方について

2008-03-02 08:48:51 | Weblog

父も母も何回か救急車のお世話になった。
私が病院に見舞いに行っているときに、医者が今度何かあったときには、もう救命措置をしなくてもいいでしょうと言われ、私もよろしくお願いしますといって帰ってきた。
その母も昨年93歳で亡くなった。
今朝、「死の迎え方を考えよう」という救命救急センター長の意見が新聞に掲載されていて、私もまったく同感だったので、ここで紹介したい。
「・・・東京では、心配停止患者に対して救急車を呼べば救命センターに運ばれ、心臓マッサージ、人工呼吸、薬剤投与などの蘇生措置へと突き進む。・・・誰もが死に責任をもてないために、救命センターで身体をチューブだらけにして高額の医療費を掛け、どう見ても生き返らない患者の蘇生に努力する。・・・行き場のない患者が救命センターのベッドを埋めてしまう。その結果、救えたはずの患者を断らざるを得ない事態に陥っている。・・・現在、地域の中で救急患者の流れを制御する責任者がいない。・・・地域を統括する救急ディレクターを置き、住民や医療機関同士が救急体制について話し合い築いていく仕組みが必要だ。・・・」(私の都合のいいところだけ引用したかもしれない)。
私は、まず「脳死」のように、医者、政治家、僧侶などが結集して、死の迎え方について統一見解を作り、指針として発表してもらいたい。