那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

「ベオグラード1999」の批評と私とK

2016年07月23日 | 芸術・表現

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方  には無料で差し上げました) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531 決定版は出版される可能性もあることをお知らせします(あまり期待しないでください)。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 最新の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp (クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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Kが私の投稿を6つも停止にしたので、以下の文章が名誉棄損かどうかもう一度書くことにします。

Kの撮った「ベオグラード1999」への辛口批評を以下に紹介します。

加瀬修一(プランナー/ライター)

 初めて『ベオグラード1999』を観た時、これはナショナリズムへの拒絶反応や権力志向への嫌悪、右翼思想に対する批評的なドキュメンタリーというよりも、私小説というか映像詩というか、金子遊という1人の青年の10年間の魂の放浪と総括だと思った。自分史をかつて存在した国家と亡くなった元交際相手を対比して描こうとしながら、上手く噛み合わずギクシャクした感じ、決して器用ではない監督の人柄をよく表していると思う。上映後打ち上げの席で、感想を伝えつつ気になっていたことを聞いた。「ご遺族に許可は取っているんですか?」と。それに対して監督は「まだなんですよ」と答え、僕は「公開を考えているなら、出来るだけ早くきちんとお話をした方がいいですよ。一番大事なことなので」といった。その後宣伝協力として何度もお誘いを頂いたが、僕は性根を据えてやるといえなかった。それは本作が右翼を扱っている作品だからではない。監督がこの作品を通して何を感じ、考え、何を伝えたいのか。ご遺族への対応も含め、その為に具体的に何をしなければならないと思うのか。そこが最後まで聞けなかったからだ。僕は宣伝協力を降りることを選んだ。それから時間も経ち、『ベオグラード1999』は劇場公開されることになった。自主配給・宣伝で公開にこぎつけることがどれだけ大変だったか想像に難くない。そのことは素直に嬉しく思う。今回レビューを書くにあたって久しぶりに観たのだけれど、以前とは編集が随分と変わっていた。このバージョンに落ち着くまでの経緯は色々と聞いている。しかしそれは考え方なので良いとか悪いとかいう問題ではない。選択があるのみだ。彼女の死が大きなきっかけとなって始まった10年の記憶の旅と映画作り。語るべきは大きなことではなく小さなこと。その答えに辿りついたなら、「東京地方裁判所民事第9部にて、「上映禁止」仮処分の取り下げを勝ちとりました」はないんじゃないだろうか。何故争わなければならなかったのか。もちろん手を尽くしてもそうなってしまうこともあるだろう。ただ未だ悲しみの底に沈んでいるご遺族に、監督の意思と制作の意図を説明しきれなかったのだろうか。もっと時間を掛けるという選択肢もあったのではないだろうか。裁判になってしまったことが残念でならない。「東京地方裁判所の検閲により、一部の音声がカットされています」という大仰な文言も、個の問題を公の問題に拡大解釈しているような違和感があった。「彼女は世に出たい人だった。だから彼女は喜んでくれているはずだ。ご遺族もいつかわかってくれると思う」監督はそういった。確かにそうかも知れない。でもね、こうも思う。いまわかってもらうことが大事なんじゃないかって。わかってもらおうとすることが大事なんじゃないかって。音声(彼女の名前と亡くなった理由)が削除され、ピーっと音が入る度になんともいえない気持ちになった。監督に覚悟がないなんて間違ってもいえない。思ってもいない。ただ、僕とは考え方が違う。ご遺族に一日も早く監督の真意が伝わることを切に願う。

http://eigageijutsu.com/article/169458798.html

平澤竹識(「映画芸術」編集部)

 (前略) だが、この作品の中で特に重要な位置を占めている、亡くなった元恋人のあつかい方には疑問を感じた。金子は本作において、「死の原因が自分にもあったのではないか」という問いかけから、十年前の記憶/映像をひもとく構成を採っている。そして、彼女が一水会の職員として働き始めたことが木村を撮影するきっかけになったと語られた後、木村を通して国家や政治の問題に迂回する展開は、それら大きな物語に圧殺される個の問題、政治権力の傍らで命を絶った者たちの追憶へと収斂していく。つまり、彼女のエピソードは起承転結の起と結を担うべく周到に配置されているとともに、体制と対をなす個の象徴としてあつかわれているのだが、そのような構造であるからこそ、ふたりの関係性の不透明さが余計に際立つのである。画面に映し出される元恋人はいつも、カメラの向こうの不特定多数に向けて公の顔を見せており、カメラを持つ金子に対して個の顔をさらけだすことがない。彼女の個が見えなければ当然、彼女に思いを馳せる金子の個を見出すことも難しくなる。本作が個人映画の体裁をまとい、体制と個を対置する構造を持つ以上、被写体と撮影者が結んだ個の関係が映像に記録されていないことは瑕疵となる。ラストで金子が語る言葉が切実な響きをもって聞こえてこないのは、そこに原因があるのだと思う。

http://eigageijutsu.com/article/169458798.html

これだけ見ても「ベオグラード1999」が非人道的な映画だと言うことが分かります。

Kは私がロータス文化学院を構想しているときにスタッフの一人のインテリアコーディネーターのMさんが連れてきました。そして私を主人公にして映画を撮りたいというのでOKを出しました。今は無き三崎町の「金太郎 村」でカメラの前で妻子の失踪に創価学会が関係していることを話すと、義憤に駆られた様子を見せて自ら微笑禅の会に入る、と言いました。

MさんとKと私との3人で田辺浩三が創価学会のスパイという東京工芸大の女の子が撮った私の養神館(合気道の一派です)の基本動作を見たところ、私の頭の部分が切れているので、Kはスパイに違いないと言い、Mさんは私の足の動きに焦点を当てたかったからではないか、と言いました。更に二人の前で、モーツアルトのピアノコンツェルトを一弦琴で演奏したところ二人が拍手したことも覚えていますし、その様子も撮影しています。

ところが暫くして撮影を中断し、微笑禅の会の会費も納めないので電話をしたところ、軽い調子で「お金がないんですよ~」と言いましたがその一方で『フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方』を刊行し実験映像作家や研究者たちに原稿を書かせていました。そこでKの変節振りが分かったので、微笑禅の会を除名したわけです。Kは山崎幹夫とも連絡を取りたいというので山崎幹夫のHPを教えたところ、彼はKのメールにうさん臭さを感じて相手にしなかったと聞いています。さすがは微笑禅の会の名誉会員だけあると思ったものです。

「ベオグラード1999」は主義主張の違う相手を主人公にして相手を茶化すとともに、自分の恋人が自殺するまでを冷酷に撮影した映画です。これは「神様の愛い奴」とセルフドキュメンタリーの悪い部分をミックスした映画と言えるでしょう。

更にKは『逸脱の映像 拡張・変容・実験精神』 松本俊夫著 月曜社 2013年の編集者になっていますが、松本先生を囲む勉強会が月に1度あるので、私の研究本の編集を手伝っている佐藤洋に聞いたところでは、松本先生が「逸脱の映像 拡張・変容・実験精神」がKの編集で出版されると言ったときに、顔を曇らせた研究者がいたと聞きました。

Kは松本俊夫や金井勝など大物実験映像作家に近づいてインタビューを行っていますが、私の貢献については、言うまでもなく一言も触れていません。

これらは全て私が体験した事実であり、Kを誹謗中傷する目的で書いているのではありません。Kのような人間が実験映像、自主映画のオピニオンリーダーやオルガナイザーになっている現在は、私が月刊イメージフォーラムの常連執筆者になっていた時代を比べると、地に落ちたとの感慨を抱かざるを得ません。当時ならKのような人間は自然淘汰されたでしょう。今後はKは身を粉にして実験映像、自主映像の向上に向かって努力すべきです。

私は常々言うのですが、日本の実験映像には松本俊夫という理論的な支柱はいたが倫理的な支柱が居なかった、ポストモダニズムは権威主義とハグラカシに終わりました。

呉竹会の事務局長・廣瀬さんのスマホから名刺を交わしたことがある一水会の会長・木村三浩氏に電話をして「ベオグラード1999」に出演した感想を聞いたところ、「一言で言えば腋が甘かった」と言われました。

木村三浩・一水会会長

これらは第三者の批評の引用であり、私が実際に体験した事実であり、映像評論家の先輩としてのKに対する助言です。これらは真実性、公共性、公益性という3要件を満たしているので名誉棄損には当たりません。この記事のどこが名誉棄損になるのでしょうか?愛読者の皆さんはgoo事務局に講義をして下さい!   info@goo.ne.jp (クリックしてもメールは開かないので宛て先にペーストをお願いします)

なお、映画批評を引用したり本当の出来事をブログに書くだけで停止や非表示になるのなら全国のブロガーは何も書けなくなります。またK自身が映画評論家ですからKがgoo事務局を通して行った行為は自縄自縛に他なりません。私は直接Kに次のようなメールを出しましたが未だに返事がありません。そのメールを最後に挙げておきます。

 

Kへ

 

 何度も何度も何度も何度もgoo事務局を使って私のブログの記事に難癖をつけるな。

 

自分の名前や私の批評や他人の批評を隠したいのは、後ろめたい証拠でである。

 

 どうしてもブログの記事を消したければ、何故、私を主人公にして映画を撮りたいと言いながら途中で撮影を中止したのが理由を説明して謝罪せよ。

 

それを読んで納得すればその謝罪文をブログに公表して、お前の名前を全てKに変えてやる。

 

 192-0061
東京都八王子市平岡町20-2
第一那田ビル202
電話:042-634-9230
那田尚史

 

 

 

 



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