那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

呉竹会の正式会員になりました

2013年07月15日 | 世直しのためにどうすべきか

このところ集団ストーカーの話題が続いたので内容を変えてみます。その前に一言。

この犯罪は要するに「見せしめ」を目的としたものでしょう。私の場合は「創価学会批判の要諦」という一文を書いてネット上で創価学会批判のバイブルとまで言われ色んな人が引用して以来、種々のタイプの工作員が近づき、母への脅迫、私と母への名誉毀損で最高裁まで争ったり、微笑禅の会員の皆様や古くからの愛読者の方々はご存知の通り、小説よりも奇なる人生が待っていました。今も中傷ブログがgoogle検索でトップにあるようですし、さらにそれを保存したままわざわざプロバイダを変えて中傷を繰返しています。だから狙われた理由も工作員たちの動きも公開されているだけに非常に分かりやすいし、私や家族に係わる被害の証拠は裁判所に残っています。また不明の部分は情報公開を請求してハッキリさせる手続きをしているところです。

ところが様々な事例を見ていると、単に勧誘を断った、あるいは無視した程度でも相当な被害を受け、日本中で、都市部でも田舎でも、芸能人でも普通の人でも相当数の被害者が出ています。これは「創価学会に逆らったら人生が破滅するぞ」という見せしめのために、地域ごとに一定のノルマがあるのだろうと思います。しかも、多くの場合は工作員の術中に嵌まって証言の裏づけが乏しく、客観的な証拠が残っていない。まさに完全犯罪です。ここが我慢のしどころで、カッとなっても冷静に証拠を残して下さい。

竜年光という人物を知っている人は余りいないでしょう。竹入元委員長らと同じ創価学会の最古参で池田大作を小僧扱いにしていた人物です。彼は創価学会の解散訴訟をしてヤクザに脅されてもビクともしないツワモノでした。これでネット検索をすると非常に面白いです。支持派と中傷派の文章を比較すると、文章心理学というか病跡学のいいサンプルになるでしょう。ぜひ調べてみてください。

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さて、話題を変えます。

微笑禅の会、教育改革、世直し運動は私の余生の3本柱です。世直し運動の一環として、以前紹介した「呉竹会」の正式会員となり、出来る範囲でお手伝いをすることにしました。

今回は頭山満翁のお孫さんに当たる呉竹会会長・頭山興助氏の発言をHPから紹介します(左下にブックマークがあります)。ぜひお読み下さい。胸がすっきりします。

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一方、右の人に対しても違和感がありました。さきほどお話があったように、頭山満の思想は弱者救済、自由民権運動的なところから始まっています。ですから右翼の人が頭山満を「右翼の源流」ということに対しても、疑問を抱いてきました。言ってみれば、頭山満について私は、右にも左にも偏することなくとらえようとしてきたわけです。

戦後は、アメリカにつくられた反ソ反共右翼を「右翼」と言ってきました。しかし、反共が右翼なのか。そうではなく、国があるから右翼ではないのか。児玉誉士夫氏に代表されるように、時代の要請もあって、アメリカに後押しされて反ソ反共活動をやる、それを戦後は右翼と言ってきたんです。しかし右翼の源流とされる頭山満がただの反共だったのかといえば、そうではなかった。日本人全体の幸せを願い、民主主義を願ったわけです。その日本の民主主義が強固であるためには、国が強くなければならない。国が強くなるためには、当時の時代背景からすれば、欧米の植民地政策に抗してアジア諸国と連帯しなければならないと。

 

日本の不幸が始まったのはまず、ペリーがやって来たところからですね。続いて、李王朝が近代化に対応できなかったことでしょう。結果、日本だけが近代化に成功し、アジアで飛びぬけた存在になった。同時に清国が衰退してしまった。これは日本を助けることにもなるわけですが(日清戦争での勝利)。

 

当時、頭山満も福沢諭吉も同じことを考えていたのです。当時の朝鮮で近代化を試みたのが金玉均です。彼は、李朝が近代化に対応できないままでは朝鮮が衰退してしまうと、日本の力を借りて李朝を倒そうとして失敗した(甲申政変)。日本はまだそのころはまだ清国が怖くて、この金玉均を庇えなかった。そこで頭山満以下の玄洋社、黒龍会の人たちが金玉均の亡命に力を貸し、同志と安心して語り合える場所を日本で提供したわけです。玄洋社、黒龍会の人たちが支援したアジアの革命家のなかには、インド独立運動の闘士であるビハリー・ボースや孫文といった人たちもいたわけですが、一番初めに支援したのは金玉均だったのです。

 

ですから我が家では「金玉均の仇を討ったのは孫文だ」と言われていました。甲申政変を潰したのは清国で、その清国を辛亥革命で孫文が倒したわけですから。そのことがアジア諸国にどれほどいい影響を及ぼしたことか。

 

ところが孫文は日本で育った革命家にもかかわらず、国に帰ってからはソ連と組むようになりました。そこにまた日本の不幸があったわけです。そこから次第に日本でも軍国主義者が権力を握るようになっていった。日本にも(ソ連に)やられるわけにはいかない。しかし軍国主義者が権力を持っていれば、彼らには大砲を撃つことしか日本を守るすべはないわけです。それがアジアの不幸でもあった。

 

また今もそうですが、やはり日中の問題が重要で、これを大砲で片付けるのか、それとも経済で助け合っていくのか、あるいは政府が話し合いで解決していくのか。これはどれひとつとっても、それだけでは間違いです。尖閣列島のことを考えても分るでしょう。「平和裏に解決しよう」と、いわゆる平和主義者が言うのを、腰の引けた政治家が利用して、きちんと交渉しようとしない。外交というものはどの国の外交もそうであるように、軍隊・力が伴うのです。力を持たずに話し合いだといっても、これは話にならない。だから強い力、軍隊が必要で、問題はそれをコントロールする冷静な心や正しい判断が不可欠だということです。

 

そういう点からいうと、先ほどの靖国や東京裁判などと同様に、日本に必要な軍隊とはいかなるものか、ということをきちんと議論する学会も必要でしょう。これは右だ左だ、ということで議論すべきではないし、そういう時代はもう終わったわけですから。今こそきちんと近代日本の整理をして、結論を出さなければならないと思います。

 

 

 

福沢諭吉の「脱亜論」の背景にあるのは、アジアを強くしなければいけないということです。「脱亜論」をアジア蔑視論のようにとらえるのは、戦後の見方でしょう。福沢の脱亜論は、アジア全体を叱咤するというものです。当時の朝鮮は李王朝、中国は清朝、西太后の時代で、そうした旧弊を打開できないやり方を批判したのです。こうした背景を理解する必要があります。当時の日本は、あの巨大な中国が欧米列強にズタズタにされるのを目の当たりにして、大変な危機感をもっただろうと思います。

 

頭山満は福沢とも接点がありました。交詢社(福沢諭吉を中心とした啓蒙思想団体)には、頭山の手紙があるんじゃないでしょうか。頭山は福沢門下の犬養と親しいわけですから。(犬養毅:頭山満とともに孫文など、アジアの革命家を支援した。首相の時に五・一五事件で暗殺される)

 

頭山門下生に広田弘毅をはじめとして、外交官もかなりいました。(頭山の出身地でもあり玄洋社のあった)福岡は当時、長崎とはまた違った意味での国際都市だったのです。私が子供のころに周りの大人から聞かされたのは、「国際情勢が分らない者が政治なんかやっちゃいけない」ということでした。ところが今の政治家は国際情勢がまるで分かっていないし、下手をすれば偏って理解している。

 

私は時間とお金の許す限りリーダー的存在の人は、朝日新聞から産経新聞までを目を通すべきだと思います。ところが今の政治家は、自分に都合のよいところしか読んでいないんじゃないですか。リーダーがそういうことでは困りますね。

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最近、いろいろな新興宗教に入っていく人がいるが、徳、あるいは精神世界に飢え乾いていることの現れなのかもしれない。旧来の宗教では埋め合わせられない安心立命とでもいうべきことを求めているのだろう。新興宗教の教え自体は先人の知恵の受け売りだが、教え方におかしさもある。創価学会の新聞などそれを如実に物語っている。自らを語る時には美しい言葉を使っているが、ひとたび敵、例えば、大石寺とか矢野元公明党委員長などが標的になると宗教とは無縁のはずの罵倒するような言葉の羅列になる。こういうところに、日本の精神離れ、金に近付きたいという卑しい民族に成り下がった面が露呈される。

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二重スパイ、三重スパイという問題もある。中国のことでアメリカにはめられて売られてしまうというケースもあるだろう。中国が直接、あるいは中国と米国が結託する場合もあるだろう。どっちがでてくるか、ということで事件の性質がガラっと変わることもあるのではないか。

 

薄めた酒なのか、水っぽい酒なのか、酒っぽい水なのか、というのがスパイの世界と聞いたことがあるが、「なるほど」と思っている。スパイは国籍がどこであったとしても、どの程度の情報を相手に流し、おつりのくる情報を得るかという問題だが、日本の場合は相手に使われているということを認識していない。70歳以上の年代の人でもそのことを認識している人はいない。島国だからだろうか、そのような環境にないからさじ加減というものが分からないのだろう。橋本首相の時もいろいろあったが、そういうことでないかと思う。勝海舟と西郷隆盛が話し合いによって無血開城したが、外国勢力を排除して国内だけでおこなった。このようなことは夢のような話になってしまった。日本の役人はみんなどこかの国の手先みたいになっている。けしからんことだと思う。

 

中国の一番のスパイは池田大作だと思う。公明党が政権与党についていれば、中国は日本の内情がすべてわかる。公明党が与党になる前と後からの中国における日本情報というものを分析すればよく分かるはずだ。この構図、日本人にわからないだろうが、欧米、中東の人達にはよく理解できているはずだ。これは宗教戦争と思わなければならない。宗教には国境がないけれど日本ではまだまだドメスティックな学会だ。ところが実態はインターナショナルである。国境を超えているのである。これははやく手を打たなければいけない。

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辞めていただきたいと言うことでは、小和田恒さんにも同じ思いを抱いている。誤解のないように言っておかなければならないが、僕は尊皇だ。週刊誌や月刊誌が何を書こうが雅子妃殿下のご健康の回復をお祈りするという事以外考えていない。順当に皇太子殿下が陛下になるべきと願っている。御皇室の問題は昔からその時その時で考えてきた。それをマスコミがこう書いたから雅子妃殿下がわがままなんだろう、ということを右翼とか民族派と名乗る者たちまでが言っている。「一をもってこれを貫く」を信条としている僕にとっては、自分の決めた道は何があろうが、どんな見識のある人が違うことを言おうが行かなければならない。その上で、言うのだが、外務省の次官まで登り詰めた小和田さんの娘が皇室に嫁した。その時点で、小和田さんは全ての職から引退するべきだった。何処でどのような失敗するかもしれない。何処でひっかけられるかもしれないからだ。これは外務省キャリアの驕りだろうと思うのだが、なぜ、国際司法裁判所の判事になったのか。今は裁判所所長だ。普通の次官経験者ではありえないコースを歩んでいるのではないか。雅子様が皇太子妃だから、自分のその後も道が開けていった。それに甘んじるということは少なくも昔の日本人には、全くなかったとは言わないけれども少なかった。たぶん全く無かったかもしれない。50年前の民間人の正田英三郎氏と比べると正反対だ。

 

全体にレベルが下がり、いやしさが蔓延した。昭和が終わった時、昭和天皇がお隠れになった時から天皇陛下の威厳というものを国民が感じなくなり、タガがゆるんだ。昭和天皇に感じていた威というものが今の陛下に感じなくなったのではないか。

 

今の陛下は、「自分はもしかしたら、お父さまとは絞首刑になる」と思わせられた方だ。その切なさを国民みんなが共有しなければいけない。そのようなことも、国民は忘れてしまっている。身をもって皇室の有り難さ、身をもって皇室にお仕えするという日本人の姿を有象無象に分からせるキャリア、政治家がいなくなってしまった。吉田茂でさえ、文書に「臣 吉田茂」とサインしていた。

 

日本人は御皇室に真心を尽くすということを忘れ、真心も分からなくなっている。真心とは真水と一緒で不純物が入っていないということだ。女性週刊誌などがよく御皇室を取り上げるが、真心もって扱っていない。右というと反共主義から日の丸愛好家まで入ってしまうが、尊皇を唱える人達にしっかりしてもらいたいと思っている。



 



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