那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

生霊に取り憑かれた話

2016年05月22日 | 思い出の記

集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。(遂に決定版が出ました。既に増補改訂版を購入された方には無料で差し上げます) http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

決定版は出版される可能性もあることをお知らせします(あまり期待しないでください)。

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また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。この会の趣旨と目的に賛同されるかたは毎月第三金曜日の午後七時半から誰でもOKですから夢庵西八王子店(平岡町)に来てください。正面を右に進むと座敷がありますからその座敷で待っています。なお、料金について変更があります。お酒の飲めない人は2千円にしましたのでお酒の飲めない人もぜひ賛同者となって「春名先生を囲む会」で講義を聞いたり、また積極的に講義をして下さい。

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 今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば年に5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。本当に悟ってみたい人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。愛媛の有馬さんもクリックをお願いします。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。レジュメも作らず睡眠時間4時間で即興で語っています。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。wasaburo@hb.tp1.jp(クリックしてもメールが開かないのでコピーして宛て先に入れて下さい)

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これは私が生まれる前の話で後日、母親から聞かされた事実である。

愛媛県西予市城川町が私の母の実家だが、お祭りのときに親戚一同と知り合いたちが集まった時、母の妹とそのご主人(共に美男美女である。母方の親戚には美形の人が多い)も一緒にそこに集まった。またヒデミさん(後日水商売をされた方で私の家に一時期同居していたことがある)という友達もそこに集まり飲食の後に帰っていったのだが、事件はこの後に始まる。

母の妹(つまり私にとっては叔母であり、創価学会が私を第一の標的にしている、と親族に告げたのは叔母の子供、つまり私の従兄弟に当たる)の様子が突然おかしくなり、ヒデミさんソックリな声と仕草になって、自分の夫を「いい男ねぇ、一緒に飲みましょうよ」と言ったらしい。しかもヒデミさんは帰りがけに玄関に塩サバ(東京の塩じゃけと同じように始終使われる食材です)を置いていき、当然それはヒデミさんしか知らないのだが、叔母は「塩サバを玄関に忘れたから後で取りに来るわ」と言いだした。親戚一同が驚いて玄関を見たところ本当にそこに塩サバがあった。後日、母親に聞くとヒデミさんの家系は「犬神」と言ってよく人に乗り移る家系だったらしい。城川町には今でもそのような風聞が残っている。

そこで親族一同はオヤマサンを呼ぶことになった。オヤマサンというのは霊能力者のことである。オヤマサンが来ると叔母の様子を見て、「これほど激しい憑き物が憑いている以上は、私が持っている力の中で一番強い祈祷を行うが、これによって相手も死ぬかもしれないし、この人も死ぬかもしれない」と言ったそうである。

その祈祷の前、叔母は両手を硬く握り閉めているために男が数人がかりで外そうとしても外れなかったのだが、しめ縄を張り巡らせて祈祷を行った後は自然に手のひらが開き、その時に湯気が立った、と母親から聞いたことがある。また他の親戚に確認したところ、その叔母本人以外は全員が本当の話だと証言した。叔母は全く記憶していなかったのだが、これも不思議な話だと思う。

このような話をすると非科学的だと言って信じない人がいるだろうが、私は科学が解き明かしたものは宇宙の真理の1%にも満たないと思っている。天動説を人類が信じていたのはつい最近のことであり、ガリレオが地動説を唱えた後にはこのような記録が残っている。(wikipediaより)

 

ガリレオへの刑は無期刑であったが、直後に軟禁に減刑になったしかし、フィレンツェの自宅への帰宅は認められず、その後一生、監視付きの邸宅に住まわされ、散歩のほかは外に出ることを禁じられた。すべての役職は判決と同時に剥奪された。『天文対話』は禁書目録に載せられ、1822年まで撤回されなかった

 

死後も名誉は回復されず、カトリック教徒として葬ることも許されなかった。ガリレオの庇護者のトスカーナ大公は、ガリレオを異端者として葬るのは忍びないと考え、ローマ教皇の許可が下りるまでガリレオの葬儀を延期した。しかし許可はこの時代には出ず、正式な許可に基づく埋葬は1737年3月12日にフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂で行われた

 


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