那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

芝不器男 あなたなる夜雨の葛のあなたかな

2013年03月07日 | 愛媛自慢
腱鞘炎のせいか、あるいは他の病が重なっているのか、ともかく左手の手首と人差し指の下部が炎症や痙攣を起こし、独特の痛みを感じる。手を休めるために暫く引用が多い文章になります。

愛媛自慢というジャンルを新たに作った。愛媛は芸術家や学者を多く輩出している。その一人目を私の大好きな俳人・芝不器男にした。

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:lRBaUCXVHqMJ:www.id.yamagata-u.ac.jp/PhysiologyII/Prof/prof_20101026.html+&cd=11&hl=ja&ct=clnk&gl=jp(山形大学医学部のHP)

あなたなる夜雨の葛のあなたかな

 芝不器男*(明治36年4月18日~昭和5年2月24日)の句です。清新で豊かな抒情にあふれ、時間と空間を鮮やかに捉えた句の数々は。高浜虚子の絶賛を受けました。以下は当句の解説です。
  句の前書きに「二十五日仙台に着く。みちはるかなる伊予の我が家をおもえば」とある。この時不器男は二十三歳。大正十五年の十二月号の「ホトトギス」に始めて掲載されている。その頃の不器男は明治十四年に東京帝国大学農学部を中退し、四月には東北帝国大学工学部に入学。この句が作られた九月は、長い夏休みを終え、故郷の愛媛から帰ってきた時の作である。この句は虚子の観賞によって有名になった。「この句は作者が仙台にはるばる着いて、その道途を顧み、あなたなる、まず白河あたりであろうか、そこで眺めた夜雨の中の葛を心に浮かべ、さらにそのあなたに故国伊予を思う、あたかも絵巻物の表現をとったのである。 山本健吉著「俳句鑑賞歳時記」(角川ソフィア文庫)

  芝不器男:愛媛県松野町に生まれる。1920年(大正9年)宇和島中学校を卒業し、松山高等学校に入学。1923年(大正12年)東京帝国大学農学部林学科に入学。1925年(大正14年)東京帝大を中退し、東北帝国大学工学部機械工学科に入学。1930年(昭和5年)1月になると病状が悪化し、2月24日午前2時15分永眠、享年26。

平成22年10月26日 藤井 聡
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松野町は私の郷里から車で1時間ぐらいの、2つ隣町。生家が記念館になっており、私はそこへ家族と2、3度ドライブに行って句集など様々な資料を買ってきた。この俳句は凄く有名だと思っていたらそうでもないらしいのであえて紹介した次第。
 虚子の批評全文を探してみたが、部分部分しかない。大事な一文を見つけたので引用する。

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:OE7ADPbrDA0J:www.town.matsuno.ehime.jp/learn/hukio/sub2/sub2.htm+&cd=18&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

高浜虚子は『薄明るく浮かんだ夜雨の葛の前後の非常に長い部分は唯真暗で、一面に黒く塗ってあるばかりといったようなものでその黒い部分は故郷を思いやった情緒である』とこの句を絵巻物に例え賞賛しました。
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とある。詠むほうも詠むほう、評するほうも評するほう、で素晴らしい。
 
探してみると、この句の推敲の跡を調べた方がいた。下書き原稿の推敲の跡を丁寧に読み取って作者の思想や技巧を研究する解釈学的学問があるが、その一例である。これは面白い。

http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:2vGeYDNNSUgJ:www5e.biglobe.ne.jp/~haijiten/haiku6-3.htm+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

「あなたなる夜雨の葛のあなたかな」推敲編


芝不器男の代表句に「あなたなる夜雨の葛のあなたかな」という句がある。
この句は大正15年9月下旬に東北帝大の学生だった不器男が、夏休みに愛媛に帰省、その帰りの中で出来た句だという。
当時は愛媛から仙台まで、連絡線や夜行列車を乗り継いで2日の行程だった。
この句の推敲過程が記されたノートが、色々と面倒を見てもらった医師で俳人でもあった横山白虹の家に残っているという。
最初に記されてあるのが

  陸奥の国と伊予の間の真葛かな

この句は、最終案の句と全然イメージが離れているし、これでは不器男の代表句とは言いがたい。
次に

  陸奥の国と伊予をへだつる真葛かな

「へだつる」に多少、作者の思いが込められたように思われるが、もう一声。
次が

  伊予陸奥をへだつる夜の真葛かな

ここで「夜」を持ってきた。
ここは「日中」よりも「夜」を持ってきたほうが、はるばると郷里から離れた思いが表現されると思ったのだろう。
しかし、まだまだ最終句とは程遠い。
次に

  かなたなる夜雨の葛のあなたかな

いきなり地名がなくなり、雨が降り出した。
なぜ地名を削ったか。やはり「伊予」と「陸奥」とは不器男にとっては事実かもしれないがあくまで個人的なこと。地名を取り去る事によって、誰でもが経験できるような普遍性を得ることが出来た。
そして雨を降らした事で、夜しとしとと降りしきる雨の向こう側の葛を見ながら遠い故郷を思う作者本人の姿がより一層はっきりしてくる。
しかし、まだ満足しない。
次が

  あなたなる夜雨の葛のかなたかな

「あなた」と「かなた」を逆にした。これには横山白虹さんの娘さんで俳人の寺井谷子さんが「『かなたなる』という上五は、書き言葉的なかたさがあるので下五に『かなたかな』とおいてみた」という。
しかし、まだかたい。
そこで

  あなたなる夜雨の葛のあなたかな

やっと、満足したようである。
さて、句会に提出する句が間に合わず、前日適当に2,3句作り「やっぱ、俳句はなんにも考えないですっとできた句に名句が多い」などとのたまっているあなたと群馬在住の俳人北さん、少しは見習ってみては。

参考  「NHK俳壇・2003年11月号」NHK出版協会
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最初は普通の写生俳句だったのをだんだん削り取り、結局「普遍的」な作品に変貌する。前衛的なミニマリズムの句の誕生である。
 虚子の名批評と合わせ読むとこの句の素晴らしさがさらに実感できる。
 
映像的イメージと、句の言葉を対照させてみると以下のようになる。


  闇            光               闇         
  ↓            ↓               ↓
 あなたなる       夜雨の葛の            あなたかな
 


夜雨の葛(おそらく無人駅の明かりに照らされて雨も光っている)を真ん中において、あとは真っ暗いだけ。
 意味の上でも、あなたなる(遠くにある)、あなたかな(遠くだなぁ)、と、具象的イメージの沸かない言葉が前後を挟んで、非常に具象的でなおかつ寂しい葛の葉が雨にボンヤリ光っている。

言い換えると、意味するものの配置と意味されるものの心象イメージが相乗効果を出しているため、最後の「あなたかな」の「かな」が凄まじく寂しさの感情をかきたてる。虚子はそこを「故郷を思いやった情緒である」と共感したわけだ。
 推敲前のオリジナル「陸奥の国と伊予の間の真葛かな」と比較すると、説明文と詩の違いが良くわかる。共に5.7.5のリズムに乗って作り手の情緒は同じだが、鑑賞者に与える感動の質が全く異なっている。

芝不器男は26歳の若さで睾丸腫瘍(精巣腫瘍)で逝去した。今なら発見が早ければ簡単に治る病気である。記念館には彼が愛用したピッケルが置いてあり、その他、愛用した小道具など全て高級品だった。そこの年譜には、隣町の庄屋の婿養子になったが釣りばかりして仕事をせず、義父らに嘆かれたと記してあったと記憶する。芝本人も蚕糸関係で財を成した庄屋的な豪商の息子だった筈である。


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