{あらすじ}
ある上流家庭。両親と小学生の兄弟が何不自由なく暮らしている。が、父親が突然他界する。
その後も母一人と、兄弟二人、つつましくも仲良く暮らしている。しかし、兄が大学受験のときに戸籍を見て、自分が本当の子供でなかったことを知る(愛人の子供か?)。
兄の大学合格にあわせて、山の手の豪邸から郊外の民家に引越しをする。母は、兄弟差別なく育てているつもりだったが、兄から見れば、自分をえこひいきして、弟に厳しいように見え、どうして同じように扱わないのか不満がつのる。兄は、弟に厳しく自分に甘い母親の態度に反抗し、母親に辛く当たって泣かせる。それを見た弟が兄をなぐる。しかし兄は殴り返しもせず、家を出て遊郭に寝泊りする。母親は、兄が自分の子供でないから、家を離れようと考えているのだ、と善意に解釈する。居続ける遊郭に母が迎えに来るが、きつい言葉を投げかけて帰らす。その様子を見ていた遊郭の掃除婦(飯田蝶子)、それとなく諭す。
兄、非を悔いて、母と弟の元に戻り、一家はさらに郊外の家に転居して、仲良く暮らす。
{批評}
この作品は出だしの1巻と終わりの9巻が欠落している。
映画にとっては、致命的な欠落だが、残った7巻を見ることでそのスタイルの構造を見ることは出来る。
率直に言って、この作品は小津安二郎の映画としては失敗作だろう。ロケーションが変化に乏しく、家の中での仕草と会話が延々と続き、見ていていらいらする。この作品は、母が継母と知った息子の心理的葛藤を描いた心理劇である。その心理の動きを、限定された場所での会話(字幕)で描くので、実に進行が遅い。
ただ、小津の好み・・・・・・・大学は相変わらずここでも早稲田の大隈講堂の時計台を写し、遊郭の壁には洋画のポスターが貼られている。こういう決まりごと=儀式性は、小津に独特のものである。
風俗の面から面白いのは、兄が居続ける遊郭の様子である。これは横浜本牧にある外人専用の遊郭(通称・ちゃぶ屋)を使っていて、非常にモダンな作りになっている。一階はバーで、二階は個室になっており、洋風建築。女たちは和服を着ているが、食べ物はサンドイッチ、と本牧らしいモダンな遊郭である。
没落した家庭の大学生が何日も居続けられるのだから、昔の遊興費・女を買う値段は、相当に安かったのだということが分かる。戦前は土地の値段、家賃、食べ物の値段、売春の値段などが統制されていたので、今の世の中よりも随分暮らしやすかったようである。(うらやましい。私も遊郭に居続けてみたいものだ)
この作品は、最初は会社経営者らしいブルジョア家庭を描き、徐々に庶民の生活に没落する一家を描いている。小津は巨匠になってからは、上流家庭や高給取りのサラリーマンを描くことが多かったが、戦前は、ルンペン・プロレタリアート(喜八もの)から、ブルジョアまで、幅広い世界を描いている。
なお、この作品は、小津自身が、「脚本の練りが足りなかった」と述べていること、またこの撮影中に、偶然小津本人の父親も他界したことなどのエピソードがある。