那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

初めて運転免許を取った時の話

2016年04月16日 | 思い出の記

2016年04月14日 | 政治

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私が大学院を修了して郷里愛媛に帰った時に初めて運転免許を取ったのだが、その時の思い出を語ろうと思う。

最初私に付いていた教官は確か辻という男で研修生から嫌われているので有名な人物だった。たまたま私にその辻が付いて教えることになったが、噂通り態度がでかく、私はキレそうな一歩手前で我慢をしていた。ある時、教習場の外をその辻に指導されながら運転していた時、路地裏から対向車が来たので私は左の民家に置いてあった植木鉢のスレスレのところでブレーキを踏んで対向車を先に行かせようといたが、辻は今のは偶然だからもう一度やってみろ、と言ったので同じように植木鉢ギリギリのところで止めて、私は辻に「土下座して謝れ」と怒鳴りつけた。次に教習所に行くと一番若い女性のような教官に代わっていた。二宮という名前である。

適性検査を受けた時、判断力の部分で私は満点を取った。それは簡単な足し算引き算と図形の同異を短時間で大量に答えるというIQテストに似た問題だったが、教官の一人が「10年以上ここで教官を務めてきたが、判断力が満点の教習生は初めて見た」と言われたことはよく覚えているし、何度かこのブログでも「初めて見た」と言われたことについて書いているので愛読者はご存じのことと思う(脳波測定所の所長が脳波検査に来た時の話等々である)。

確か仮免の時だったと思うが、教習所で隣に教官が乗ってテストをしている時、カーブを曲がろうとした瞬間に教官が「今日は緊張していますか?」と聞いて来たので「はい、多少は」と言った瞬間に対向車線にはみ出してしまい、最初の仮免には失敗してしまった。その話を二宮教官にすると「今度はその手には引っかからないで下さいね」と答えたので、恐らくその教官はいつもその手を使っていたのだろうと思う。

最終的にはその教習所では満点を取って卒業証書をもらうときは総代として教習所の所長から卒業証書をもらった。所長の話は今でも忘れられない。黒板に大きな瞳の絵を描いて、「とにかくよく見ること、これに尽きる」と言うのもだった。

本免許は東京で取得したが、私が失点したのは道路交通法が変わって「放置」に対する罰則が強くなった部分のみだった。この程度の簡単な筆記テストは誰でも通りだろうと思っていたが、半分以上が不合格だったのでビックリしたものだ。

再度郷里に戻り、初めての車は車検付きで20万のスプリンター(カローラの姉妹車である)だった。私は免許を取ってからは毎日100キロは走ることを決意したいたので、そのスプリンターに乗って隣の高知県に行くことにした。行く時から雪が降っていたので少しは気になっていたが、高剣山トンネルという愛媛と高知の県境にある長いトンネルを超えて高知市の高知城の下で行われている日曜市に行って買い物をして戻ってくるときは、高剣山トンネルを抜けると大雪になって長距離トラックがアイドリングしたまま道の横に何台も停まっていた。私はギアをセカンドに入れて前に走った車の轍の後をユックリと走っていたが、スリップした瞬間に急ブレーキをかけてしまった。その時は本当は谷側にハンドルを切らないといけないのだが、私は慌てて山側にハンドルを切った(教習場で習っていてもまさかスリップなど起こるとは思っていないので誰でも山側にハンドルを切ると思う)、すると車は180度スピンして幸いなことに山側の積雪にぶつかった状態で止まったが、谷川の方にスピンしていたら数十メートルの谷底まで落ちていたところだった。

家に帰ったのは夜中を過ぎていた。母親は「こんな雪の中を、免許を取ったばかりなのに高知県に行くなど、お前は命が要らないのかと思った」と私に向かって行った。(ここの部分を書いているときに文章が上下に分かれて行きました。また外部からの侵入で悪さをしているヒマな人間がいるのでしょうね)

その後も私は毎日100キロを走ることを決意して実践し、スプリンターでシーマを追い抜くなど、典型的な凝り性と完全主義の性格通りの行動を貫いたが、その後の話についてはまた思い出した時に書く予定である。



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