那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

どうでもいい雑談 アラカルト

2016年02月28日 | 雑談

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

来月の春名先生を囲む会では私が講師となって五行歌の歌会を行いますので、参加される人は http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/f4c47ab144a03aef2fe22d51d9c8ddc3 を参考にして五行歌を作って私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp まで送って下さい。題詠(テーマ)は「炎」ですが、この言葉を作品の中に入れても入れなくても構いません。いまのところ誰からもメールがありませんが時間はまだタップリあります。また上のurlで、はひふへほ、を折句にして歌った女性はキャバクラに勤めているホステスさんで、初心者の上に26歳の若さですから皆さんも絶対に作れる筈なので頑張ってください。

また一般の人は http://gogyoka.bbs.fc2.com/ この掲示板に投稿をお願いします。

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。微笑禅の会に興味のある人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。

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以前もブログに書いたことですが、自分の娘が音楽大学に入学したら「売春婦」になったと思ってください。指導教授に自分からモーションを掛けたりスポンサーが付かないと大きなコンテストに出ることが出来ないからです。また、アメリカに娘が留学をしていると威張っているバカな親がいますが、ほとんどの場合は危険ドラッグのジャンキーになってしまい黒人相手にセックスをするものだから、日本人が相手に出来ない体になってしまいます。いわゆる「ゆるマン」ですが、当時私はそれをgovernmentにもじって「ガバマン」と呼んでいました。

また私が芸者と遊んだとか(金井勝)、デリヘル嬢の写真を見て喜んでいるとか(鈴木正道)、とまるで鬼の首を取ったかのように喜んでいますが、こういう人は、本当は自分も遊びたいのにそれが出来ないために嫉妬しているのでしょう。またその世界の実態を知らないに違いありません。デリヘルはソープランドと同じで新風営法に通っているので合法です。また以前ブログにも書いたチャイナマフィアをバックにした売春婦が「お兄さん、本番いかがですか、1万円ポッキリですよ」という呼び込みに乗ったとしても、女を買った方は合法です。店の経営者と売春婦のほうが捕まるだけです。以前は歌舞伎町に多く有りましたが、韓国スナックという、ホステスさんを持ち出し出来る店の場合も同様です。

またキャバクラ嬢は待機しているだけでも時給が発生しますが、芸者やコンパニオンさんはまさに籠の鳥だと言えます。というのは、花代(一時間遊ぶのにかかる料金です)は置屋が三分の一、ホテルや旅館や待合が三分の一、本人んには従って三分の一しか残りません。また待機している時間はせいぜいお茶を飲んだりうどんを食べる程度です。このようなシステムも知らないで人を非難しているのは、以前「オルレアンの噂」を話したときに書いたように、全て自分の欲望を他人に投影しているにすぎません。

私は医者になることも弁護士になることも大学教授になることも出来ましたが、全て自分の意志で断わりました。私の名古屋に住む親族が、自分の娘が医大に通ったとき1千万円の寄付金を出したのに、その娘が夏休みに海水浴をしているときに心臓麻痺で死んでしまったために、コネクションが残っているので私が名古屋のその医大を受ければ絶対に受かるからと言って私を名古屋に住むように誘ったことがありますが、「私は芸術という美の世界を追求したいので病人や年寄りばかりの世界に入りたくない」と言って断りました。また父親は戦前の小学校の校長だったので人を見るスペシャリストでした。父は私に「お前は理屈を言わせたら日本一だから弁護士が向いている」と言って早稲田の法学部を受験させようとしましたが、私は「人のトラブルに首を突っ込むのは馬鹿々々しい」と言って法学部は受験しませんでした。さらに私の指導教授が「君を絶対に大学教授にするから」という条件で早稲田大学の非常勤講師になったのですが、この指導教授にはおかしな癖があり、ろくな論文も書いてない男を私の頭越しに正教員にしたり、出来レースで立命館大学に雇われることが分かってる女のアテウマにされたり(二人とも私の後輩で日芸からの学歴ロンダリング組です)、映画の現場では「小役人の典型」と呼ばれているような人望の無い男を文科省の役人にしてしまいました。その男は私と同じ愛媛県出身で松山東高校を出た佐伯といいます。井筒和幸の反日映画「パッチギ」に文科省から製作費を出した責任者です。

またその指導同教授は、私を買っていると言えば買っているのですが、やたらにハードルを上げる癖がありました。当時私は修士論文を「戦後の実験映画理論と批評」という題名にして「月刊イメージフォーラム」(現在廃刊)やキネマ旬報に書いた文章をまとめるつもりでしたが、これ以上休学すると除籍という直前になって「戦前の実験映画にしたらどうか」というので急遽タイトルを変えることになりました。同時に私を早稲田大学創立100周年記念のパフォーマンス部門のサブリーダーのような立場に付けました。これは本当に辛い仕事でした。例えば大隈講堂を借りてパフォーマンスをするには特別な電流を使用するためにそこで働く職員に自前で手土産を持って行って頭を下げたり、プロのパフォーマーの練習風景に立ち会ったり、また自分自身が学部の学生(大学生のことです)のリーダーになってパフォーマンスをするなど、大変な仕事をしながら同時に修士論文をタイトルを変更した上で書き上げねばなりませんでした。私は完璧主義ですので、これらの仕事をこなすためにほとんど眠ることも出来ず、フラフラになってどうにか奥村賢という先輩が書き溜めた原稿をプリントアウトしてくれたおかげで修士論文を提出することが出来ました。

また私が創価学会や蓮見重彦を以前作っていた過激なHPで批判するのをわざわざ指導教授にメールでご注進する人物がいて(誰だか分かっていますが、敢えて名前は出しません)、その度に早稲田大学の研究室まで呼び出されました。電話一本ですむことですし、当時私は重い鬱病になっていたので八王子から早稲田まで行くのは本当に辛いことでした。そこで私はこう考えました。知識人が体制批判をするのは当たり前のことではないか、私より悪質なのはご注進する人物のほうではないか、これは一種の言論弾圧ではないか。そして私の後輩たちを大学生教員にしたことと重ねて、個人情報になるので言えませんが、その指導教授には感情の波が不安定だったこともあり、結局私は絶縁状を書いて、今現在の立場にあります。ですから私は大学教授と聞いても少しも偉い人だとは思いません。これらの経緯を読めば分かるように、本当に自分の意見を正々堂々と言える人は、教授になる前に私のように絶縁状を叩きつけているでしょう。教授になってしまうと、エスタブリッシュメントの中に入ってしまうので牙を抜かれた虎になっているからです。

これらの行動は全て私が考え抜いた挙句、総合的な直観力で決断したものですから、全く後悔はしていません。

現在私は、母親が万一の時は、郷里愛媛で学習塾を経営していた時に溜まったお金で買ったマンションは競売になり、私は一生生活保護になるでしょうが、天地には意志がありますので、絶対にそのようになことにはなりません。またこれを知る人は少ないのですが、私は日蓮宗の大僧正ですから、天地に向かって毎日祈祷しています。

以上で、今回の「どうでもいい雑談、アラカルト」を終えることにします。次のブログのネタはかなりヤバい話になるので(今回もそうとうヤバいかもしれませんが)、書こうかどうか迷っているところです。

 

 


どうでもいい雑談 アラカルト

2016年02月28日 | 雑談

ブログを読む前に集団ストーカー被害者の方は次のurlを押してください。http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/21522a074264a7eb4afb4fd7df2e6531

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 また「春名先生を囲む会」は私のHPに別途ページを作ったので次のURLをクリックしてお読みください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/haruna.html 一回目の「春名先生を囲む会」の写真をアップロードしています。

来月の春名先生を囲む会では私が講師となって五行歌の歌会を行いますので、参加される人は http://blog.goo.ne.jp/nadahisashi/e/f4c47ab144a03aef2fe22d51d9c8ddc3 を参考にして五行歌を作って私のメルアド wasaburo@hb.tp1.jp まで送って下さい。題詠(テーマ)は「炎」ですが、この言葉を作品の中に入れても入れなくても構いません。いまのところ誰からもメールがありませんが時間はまだタップリあります。また上のurlで、はひふへほ、を折句にして歌った女性はキャバクラに勤めているホステスさんで、初心者の上に26歳の若さですから皆さんも絶対に作れる筈なので頑張ってください。

また一般の人は http://gogyoka.bbs.fc2.com/ この掲示板に投稿をお願いします。

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。微笑禅の会に興味のある人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html 入会された方には「微笑禅入門―実践篇」(DVD)を差し上げます。もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。DVDはボリュームを目一杯に上げて聞いて下さい。

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以前もブログに書いたことですが、自分の娘が音楽大学に入学したら「売春婦」になったと思ってください。指導教授に自分からモーションを掛けたりスポンサーが付かないと大きなコンテストに出ることが出来ないからです。また、アメリカに娘が留学をしていると威張っているバカな親がいますが、ほとんどの場合は危険ドラッグのジャンキーになってしまい黒人相手にセックスをするものだから、日本人が相手に出来ない体になってしまいます。いわゆる「ゆるマン」ですが、当時私はそれをgovernmentにもじって「ガバマン」と呼んでいました。

また私が芸者と遊んだとか(金井勝)、デリヘル嬢の写真を見て喜んでいるとか(鈴木正道)、とまるで鬼の首を取ったかのように喜んでいますが、こういう人は、本当は自分も遊びたいのにそれが出来ないために嫉妬しているのでしょう。またその世界の実態を知らないに違いありません。デリヘルはソープランドと同じで新風営法に通っているので合法です。また以前ブログにも書いたチャイナマフィアをバックにした売春婦が「お兄さん、本番いかがですか、1万円ポッキリですよ」という呼び込みに乗ったとしても、女を買った方は合法です。店の経営者と売春婦のほうが捕まるだけです。以前は歌舞伎町に多く有りましたが、韓国スナックという、ホステスさんを持ち出し出来る店の場合も同様です。

またキャバクラ嬢は待機しているだけでも時給が発生しますが、芸者やコンパニオンさんはまさに籠の鳥だと言えます。というのは、花代(一時間遊ぶのにかかる料金です)は置屋が三分の一、ホテルや旅館や待合が三分の一、本人んには従って三分の一しか残りません。また待機している時間はせいぜいお茶を飲んだりうどんを食べる程度です。このようなシステムも知らないで人を非難しているのは、以前「オルレアンの噂」を話したときに書いたように、全て自分の欲望を他人に投影しているにすぎません。

私は医者になることも弁護士になることも大学教授になることも出来ましたが、全て自分の意志で断わりました。私の名古屋に住む親族が、自分の娘が医大に通ったとき1千万円の寄付金を出したのに、その娘が夏休みに海水浴をしているときに心臓麻痺で死んでしまったために、コネクションが残っているので私が名古屋のその医大を受ければ絶対に受かるからと言って私を名古屋に住むように誘ったことがありますが、「私は芸術という美の世界を追求したいので病人や年寄りばかりの世界に入りたくない」と言って断りました。また父親は戦前の小学校の校長だったので人を見るスペシャリストでした。父は私に「お前は理屈を言わせたら日本一だから弁護士が向いている」と言って早稲田の法学部を受験させようとしましたが、私は「人のトラブルに首を突っ込むのは馬鹿々々しい」と言って法学部は受験しませんでした。さらに私の指導教授が「君を絶対に大学教授にするから」という条件で早稲田大学の非常勤講師になったのですが、この指導教授にはおかしな癖があり、ろくな論文も書いてない男を私の頭越しに正教員にしたり、出来レースで立命館大学に雇われることが分かってる女のアテウマにされたり(二人とも私の後輩で日芸からの学歴ロンダリング組です)、映画の現場では「小役人の典型」と呼ばれているような人望の無い男を文科省の役人にしてしまいました。その男は私と同じ愛媛県出身で松山東高校を出た佐伯といいます。井筒和幸の反日映画「パッチギ」に文科省から製作費を出した責任者です。

またその指導同教授は、私を買っていると言えば買っているのですが、やたらにハードルを上げる癖がありました。当時私は修士論文を「戦後の実験映画理論と批評」という題名にして「月刊イメージフォーラム」(現在廃刊)やキネマ旬報に書いた文章をまとめるつもりでしたが、これ以上休学すると除籍という直前になって「戦前の実験映画にしたらどうか」というので急遽タイトルを変えることになりました。同時に私を早稲田大学創立100周年記念のパフォーマンス部門のサブリーダーのような立場に付けました。これは本当に辛い仕事でした。例えば大隈講堂を借りてパフォーマンスをするには特別な電流を使用するためにそこで働く職員に自前で手土産を持って行って頭を下げたり、プロのパフォーマーの練習風景に立ち会ったり、また自分自身が学部の学生(大学生のことです)のリーダーになってパフォーマンスをするなど、大変な仕事をしながら同時に修士論文をタイトルを変更した上で書き上げねばなりませんでした。私は完璧主義ですので、これらの仕事をこなすためにほとんど眠ることも出来ず、フラフラになってどうにか奥村賢という先輩が書き溜めた原稿をプリントアウトしてくれたおかげで修士論文を提出することが出来ました。

また私が創価学会や蓮見重彦を以前作っていた過激なHPで批判するのをわざわざ指導教授にメールでご注進する人物がいて(誰だか分かっていますが、敢えて名前は出しません)、その度に早稲田大学の研究室まで呼び出されました。電話一本ですむことですし、当時私は重い鬱病になっていたので八王子から早稲田まで行くのは本当に辛いことでした。そこで私はこう考えました。知識人が体制批判をするのは当たり前のことではないか、私より悪質なのはご注進する人物のほうではないか、これは一種の言論弾圧ではないか。そして私の後輩たちを大学生教員にしたことと重ねて、個人情報になるので言えませんが、その指導教授には感情の波が不安定だったこともあり、結局私は絶縁状を書いて、今現在の立場にあります。

これらの行動は全て私が考え抜いた挙句、総合的な直観力で決断したものですから、全く後悔はしていません。

現在私は、母親が万一の時は、郷里愛媛で学習塾を経営していた時に溜まったお金で買ったマンションは競売になり、私は一生生活保護になるでしょうが、天地には意志がありますので、絶対にそのようになことにはなりません。またこれを知る人は少ないのですが、私は日蓮宗の大僧正ですから、天地に向かって毎日祈祷しています。

以上で、今回の「どうでもいい雑談、アラカルト」を終えることにします。次のブログのネタはかなりヤバい話になるので(今回もそうとうヤバいかもしれませんが)、書こうかどうか迷っているところです。