那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

私に剣道を教えてくれた西川先生の話

2016年02月17日 | 思い出の記

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また上記3名をご存じのかたもメールをお願いします。

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今後、微笑禅の会のネット会報は中止し、年に数度の紙媒体での会報を出すことにします。私が小野洋子ほどの資産家であれば5千円の会費は無料にしますが、五行歌の会の主宰・草壁先生の言われる通り、お金を出さないと文化は育たないからです。微笑禅の会に興味のある人は次のurlをクリックして「見性体験記」をご覧ください。http://w01.tp1.jp/~a920031141/zen.html もちろん会員から質問があれば答えますので私のメルアドまで質問を下さい。

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 私は10歳(小学4年)から剣道を始め、14歳(中学2年)の時には5段以上の腕前になっていた。その年齢で、5年間で5段以上というのは非常に珍しいことだと思う。より正確に言えば、当時は規則上中学での最高段位は1級までだったので、私が公式にもらった段位は1級である。しかし、3段の相手に二度対戦して、二度とも二本先取で勝ち、5段の師範にも勝ったという事実がある以上、確かに5段以上の力が付いていた。

剣道をやっている若者にぜひ読んで欲しい。もちろん5段以上の人は既に私の体得したコツは分かっているはずだから読む必要な無い。もっとも、剣道少年物語として読まれるなら、結構面白いことが書いてあるはずである。

私は子供の頃、体格もよく成績もよかったが、一人っ子で過保護に育ったために気が弱かった。だから、根性の悪い苛めっ子に悪戯を受け、よく泣いて帰った。母は女丈夫で、男は勉強より度胸だ、という考え方だったので、恐らく母の勧めで近くの警察道場に通うことになった。それが4年生のときである。

 

その道場の師範は元壮士だった。壮士と言えば聞こえがいいが、要するにヤクザ者で、私が生まれた頃に母が経営していた料亭にやってきて、「誰の許可を受けてこの商売をしているんだ」と凄んだヤクザがこの男である。母は、「なんでお前の許可がいる」と強気に押して追い返したらしい。母は軍属で満州に渡り、人が目の前で殺される様を何度も見ているのですっかり度胸が据わり、道で母に声をかけられると心臓がドキッとすると言われるぐらいに、気迫の強い女性だった。

 そういうわけで、もともとヤクザ者だったのだが、どういう転機があったのか、改心して警察道場の師範になっていた。だから、荒っぽい古流剣道を学んだ。

例えば闇稽古である。道場の窓は全部戸板になっていて、それを閉めてしまうと真っ暗になるのである。そこで、何十人もの小学生がルール無しで打ち合う。人の気配を感じたら滅茶苦茶に打ち込む。面も胴も小手も無い。足を打っても構わない。

 

それから、通常の試合の仕方も変わっていた。片方が竹刀を落とすとルール上は「待て」をかけて竹刀を拾って構えなおし、再スタートすべきなのだが、この師範は「両者組み合え」というのだ。これは野戦になったときの実戦を想定したもので、組み合い、相手を倒し、面を脱がしたほうが勝つのである。つまり、脇差で敵の首を切った、という意味だ。

 

 そういう荒い稽古を受けて、少しずつ私の心も強くなった。

 

もっとも、そういう師範だったから心遣いも荒く、私が最初の一週間目ぐらいに、試合中に足裏の皮がペロリと剥けて、丁度草履を履いて歩くように、垂れ下がった皮を足の裏にブラブラさせて、ビッコを引き、顔をしかめているのに、怪我だと気づかず、「那田、痛そうな顔をするな」と怒るような人物だった。それで足の裏を見せて、やっと試合を止めて包帯を巻いてくれた。その上「怪我なら怪我と何故言わない」と怒るような人物だった。

そんな具合だから、私はこの師範を慕えなかった。しかし着実に心と体力は強くなってていった。小学6年の時には、全小学生の中でトップ3の腕前になっており、学校で体力測定をしたら、背筋と握力は学年一位だった。もうその頃には、私に対する苛めは消えていた。

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中学1年の段階で私が体得していたのは次のようなことである。箇条書きにしよう。

 

1、重心はヘソの辺りに、高めに置く(下に置くと体捌きが重くなる)

2、切っ先は相手の左喉に向け、両腕はゆったりと空気を抱くように構える。

3、力を入れるのは打つときだけ。普段は力を抜いておく。

4、最も大切な指は左手の中指、薬指、小指である。この三本でしっかりと握り、人差し指と親指は軽く添える。右手は竹刀の角度をコントロールするだけで、打つ瞬間以外は力を入れてはいけない。

5、面も横面も、小手も胴も、全ての技は左手が体の中心線を通らねばならない。つまり、左のこぶしは、鼻からヘソを結ぶ線の上を上下するのみ。

6、後ろに引いた左足のカカトを浮かすのは当然だが、右足のカカトも浮かす感じで構える。重心をヘソに置く意味と同じだが、風が吹いたら流れる柳の葉のように、自在に動ける状態を作っておくこと。

7、きちんとした構えで、間合いを取っていれば簡単に打ち込まれるものではない。相手が打ち込めず自分が打ち込めることの出来る間合いを取ること。具体的に言えば「一足飛び」は徹底的に稽古すること。

8、相手の呼吸を見ること。相手が息を吸っているときにスキが生まれる。呼気でなく吸気の瞬間に打ち込むこと。

9、稽古の前に「剣道はスポーツではない。殺し合いである。一本とられたということは、その時点で私が死んだことに等しい」と心に言い聞かすこと。

 

 実は、この9番の、所謂「殺気」を獲得してから私は強くなったし、稽古も真剣にできた。前に言った「体と技が基本で、気は後でいい」と言ったことと矛盾するようだが、私の場合、この殺気がある日突然分かった。この殺気が出ないと本当に強くはなれない。殺気と怒気は違う。怒気は頭に血が上る状態を指すが、殺気は腹の奥に「冷たい気迫」を抱くのだ。「この試合は殺すか死ぬかである」と、無意識が最大限の能力を発揮できるように静かに心がけるのである。

 こう言い直そう。逆に殺気がいくらあっても体と技が無くては勝てない。体と技が出来た上に殺気を知れば無敵となるのである。