シンガー『ナターシャ』のブログ

関西・東京・名古屋・広島、そして台湾もグローバルに歌うシンガーソングライター、jazzシンガーナターシャのブログです

あほちゃう

2009-02-13 | おもうこと
びっくりしました、このニュース。

鳥取の小学校は「学級委員長」なし 「なれない子供が傷つくから」?

鳥取県の公立小学校には「学級委員長」がいない。リーダーを決めれば差別につながる、との抗議を人権団体などから受け自粛した結果なのだそうだ。しかし、2009年春から鳥取市で1校だけ20年ぶりに「学級委員長」が復活する。市の教育委員会が2、3年前から子供達の社会性、自主性を育てるために復活を呼び掛けてきた成果らしいが、後に続く学校が現れるかはわからないという。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/education/?1234443944

この下には順位をつけない徒競争の記事がありました。

おどろ木、ももの木、さんしょの木。

これが我が国の教育でございます。

世の中にはリーダになって力を発揮する人も居れば、算数が得意な人もいるし、苦手な人もいる。走りの早い人もいれば、遅い人もいる。人の顔が違うのと同様、それは個性です。

でも、大事なことは、それとその人の人間としての価値とは何にも関係がないということ。

成績の悪い人もリーダーになる人も、どんな人もかけがえのない存在。奇跡の連続が重なって生まれてきた、世界中に一人しかいない唯一無二の存在。

この人権団体や教育委員会の人たちは、リーダーになるとか、足が速いとか、その人全体のたった一つの面を切り取って、リーダーになる人=素晴らしい、成績が悪い人=すばらしくないという思考パターンを持っているのでしょうね。そうじゃないと、「リーダーにならない人」や「走るのが遅い人」が「かわいそう」という発想にならないでしょう。かわいそうに思うって・・その人たちの魂に対してどんだけ失礼なことしてるわけ。

学校は成績を上げるのも仕事だからがんばればいい。でも、成績の順位と人の価値と何の関係もないってこと・・ええ大人やねんから学べよなあ。