(早朝)未明の豪雨は凄かったですネ。朝7時を過ぎても止む状況でないと判断し、定例の宣伝(市政報告)活動は中止しました。
そんな1日でしたが、罹りつけの病院から医師研修に関わって、市内視察の道案内の依頼があって、東方西走と6時間かけて動きました。
最初は”樽前ガロー”です。18年ぶりに行きましたが、降水量による影響と雨天の ため水が汚濁し、流れが速く視察としては良い環境ではありませんでしたが、研修医からは大歓迎でした。(写真添付)
昼食は、予約していたマルトマ食堂で”ホッキカレー”。12時前であったのに、店内はびっしり。出てきた皿を見て、「これ、大盛りではないよネ!」と確認しながら食べました。カレー好きの私でも完食出来ませんでした。「本当に美味しかった」とこれまた大歓迎されました。時間の余裕があり”ぷらっと市場”を視察しましたが、活気がありました。
進路を港方面(西港から東港へ)に移動しながら、西港の歴史的経 緯と東港の位置づけなどを説明し、北海道トヨタ自動車、出光を車窓から見ながら、勇払マリーナを視察。予約なしの訪問でしたが管理者から親切に応対して頂き、私も勉強になりました。そのあとは、苫東基地内を一望できる展望台に行きましたが、さすがに悪天候のため何も見ることが出来ず、ただ衣服を濡らしただけ。途中で”くま出没”の看板を見ると、「ここにも熊が出るのですか?」と広大な森林に驚いていました。
展望台での視察が無理なので、まずは備蓄基地経由で東港を、そして100万人の来客を達成した道の駅に。ウトナイ湖の白鳥とカモを見て満喫していました。進路は、市制施行50周年記念に建設された展望台へ。月曜日で休館でしたが、事情を説明して何とか苫小牧市全域を説明することが出来ました。帰路、金太郎の池を立ち寄ったときに「何故、”金太郎の池”と名付けたのか?市街地なのに”くま出没”の立て看板?」と素朴な質問に、「昔から、この奥には金太郎の沢と呼ばれたことが由来?私の住んでいるところの奥にも看板は立っています」と説明すると納得してくれましたが、質問には十分答えたのか不安です。
僅か6時間という時間で東西40㌔を横断しながら、自然豊かな苫小牧を紹介しましたが、果たして満足して頂けたでしょうか。
帰宅すると、友人から今日の赤旗新聞(日刊紙)に掲載された「わが街 ふるさと」ホッキ貝全国一の水揚げーの(私の)投稿を読んだ、とメールが入っていました。少しでも観光客が増えれば良いのですが!