蜜柑のつぶやき ~演出家の独り言~

NPO法人劇空間夢幻工房の演出家/青木由里の日々の呟き。脚本執筆・役者・ワークショップ講師も兼業する舞台人日記♪

劇空間夢幻工房 創立25周年記念公演「ISHIN version.2024」

NPO法人劇空間夢幻工房 創立25周年記念公演
タイトル 『ISHIN ~狼たちは最果てに~ version.2024』
脚本・演出 青木由里
出演 青木賢治/栗生みな/村松沙理亜/清水まなぶ/井田亜彩実/導星ゆな 他

日時 2022年9月8日(日)11:00~/15:30~
会場 飯山市文化交流館 なちゅら 大ホール
チケット予約フォーム:https://www.quartet-online.net/ticket/ishin2024

皆さまへ感謝を込めて晴れやかに開催‼
どうぞお楽しみに‼

演劇談義♪

2016年12月22日 13時20分37秒 | 日記
昨日、某新聞社の記者・Kさんから取材を受け
私の演劇歴やら現在の演劇事情やらを
気づけば2時間もお話させていただいた。

やっぱり演劇談義は楽しいね♪

そして、時間があっという間に過ぎる(汗)

鼻水ずるずる痰は絡むし
コンディションは最悪だったけど
楽しい時間はちっとも苦痛じゃない(笑)

記者さんに風邪を移さなかったかが心配・・・

お正月明けの稽古初めの日に
稽古場へも取材にいらしてくださるとのこと。

どんな記事になるか楽しみだ♪

Kさん、長時間に亘る取材をありがとうございましたm(_ _)m


そして今日、某番組の再現VTR出演依頼の打診が!

お声がけいただけることが有り難いです。
誠にありがとうございます!

また詳細が決定しましたら、お知らせしますね(^^)


そうそう!


先日、ある企業様から夢幻工房の活動に対する
ご協賛のお申し出をいただきました。

思いがけないお申し出に驚きましたが
有難くお受けさせていただくことにしました。

誠にありがとうございます!


夢幻工房をご支援くださる方々の輪が
確実に広がっています。

先月で夢幻工房も創立から18年目に入りました!

これまで支えて頂きました皆さまと
関わって頂きました皆さま
そして、共に活動してくれた皆さんに
心から感謝いたします。

明年は飛躍の一年と位置づけ
皆さまのご期待にお応えできる活動を展開すべく
これからも精進してまいります!!

運気が上がる日♪

2016年12月21日 15時49分23秒 | 日記
今日は冬至。

一年の中で太陽に照らされる時間が一番短い日――

冬至の日は、太陽の昇る高さが一年でもっとも低い。
なので、必然的に日没が早くなるってわけ。

今日を境に、また日は長くなっていくんだよね。

冬至のことを一陽来復とも言うんだって。

一陽来復(いちようらいふく)とは・・・

これは中国の「易経」に出てくる言葉。

中国の昔の暦では10月はすべて陰の気で覆われ
11月になると陽の気が復活し
冬至を境に長くなっていくため
衰えていた太陽の力が甦って来るという意味。

わかりやすく言うと・・・

冬至は太陽の力が一番弱まる日で
この日を境に太陽の力が復活!

このことから、運気が上がる日としているそうで。

つまり、みんなが上昇運に転じる日!

ってことは、全世界の人々が上昇運に転じることができる?
だとしたら、凄いことだよね。

日本人は昔から縁起を担ぐ国民で
「ん」のつくものを“運盛り”といい
運気が上昇するように冬至の日には
「ん」が2つく食べ物を食べていた。

れんこん、だいこん、にんじん、ぎんなん
きんかん、かんてん、うんどん(うどん)

「ん」のつく名の野菜を食べて、「運」を盛る。
それが、昔ながらの縁起担ぎ「運盛り」♪

運盛りは縁起担ぎだけじゃない。
栄養をつけて寒い冬を乗りきるための知恵だった!

土用の丑の日に「う」のつく「うなぎ」を
食べるようなものか・・・

アレ?
じゃ、なぜかぼちゃを食べるんだっけ?

当然のように冬至はかぼちゃを食べるものだと
思い込んでいたが、うんはつかないよね。

で、再調査!

かぼちゃを漢字で書くと南瓜。

これ「なんきん」とも読むらしい。

お?

「ん」が2つだ!

そうなんです!

かぼちゃも運盛りのひとつだったんですねぇ~

かぼちゃはビタミンAやカロチンが豊富で
風邪や脳血管疾患予防に効果的。
本来かぼちゃの旬は夏だけど
長期保存ができるので
冬に栄養をとるための賢人の知恵でもあったそうで。


じゃ、柚子湯は?

運盛りじゃないよね?

で、またもや調査(笑)←モノズキ

どうやら、運を呼びこむ前に厄払いするための禊(みそぎ)らしい。

昔は毎日入浴していなかったので
一陽来復のために身を清めるってもわかる。

冬が旬の柚子は香りも強く、強い香りのもとには
邪気がおこらないという考えもあったそうな。

端午の節句の菖蒲湯も同じなんだって。

刷り込まれて当然のように思っていた年中行事
意味を知ることも必要だよね。

っていうか、多分、教えてもらったんだわ、小さい時。

けど、意味は忘れて、行為だけが残っている・・・

あ、役者の演技と似てる・・・
中身を忘れて、行動だけを覚えている、というところ。

意味は忘れるけど、行動は覚えやすいのか・・・
指導のヒントになりそうな気がする・・・


というのは、置いておいて(笑)

ついでだから・・・と思って
更に冬至について調べみた。

と、こんな記述を発見!

クリスマスは、太陽の復活を祝う古代ヨーロッパの祝祭と
キリストの生誕が結びついたもので
その年の冬至が12月25日だったため
諸説あったキリストの降臨日が12月25日になったといわれている――

クリスマスってそういう意味だったの?
イエス・キリストの生誕のお祝いだと思ってた・・・

イエス・キリストの誕生日は実際はわからないとも言われている。

その昔は「イエスは生まれながらに救世主であった」という解釈から
一月一日を誕生日としていた時代もあるようだ。

なんでも、 教皇ユリウス一世が
「イエスの誕生日は十二月二十五日である。」と布告
で、 キリスト教国全体でこの日を降誕祭として祝うようになったそうで。

クリスマスが12月25日に祝われた最古の記録は
西暦354年だとか。

へぇ・・・

クリスマスも作られた歴史の一つか。

祭りだって似たようなものか。

大切なのは“祈り”――


よし!

柚子湯に浸かって、運盛りの食べ物を食べて
運気を上げて行こう!!

江戸時代のパン

2016年12月20日 16時35分26秒 | 日記
直虎公が羽織にポケットを縫い付けて
その中にパンを非常食として持ち歩いていた…

という史実がある。

江戸時代のパンって、乾パンみたいなモノかな・・・


よし!
ついでにパンの伝来も調べちゃおう(^^)

ってわけで、パンの歴史を調べてみた。


①発祥の地は古代エジプト
 紀元前、古代エジプトで世界に先駆けて本格的な小麦栽培が行われていたそうな。
 その後小麦を原料としたパンも誕生。
 遺跡や王様のお墓から発酵パンが発見されている。

②日本で小麦の栽培がはじまったのは弥生時代。
 その後、小麦粉を練った生地で作る「蒸餅」「焼餅」という食べ方が中国から伝来。

③生地を発酵させた「西洋風パン」が伝わったのは室町時代。
 1543年(天文12年)種子島にポルトガル船が漂着し、鉄砲とともに伝わった。
 新しいもの好きの織田信長公も好んで食べていたとか。

④鎖国によりパンは普及されなかった。
 徳川時代、鎖国政策が採られ、キリスト教の布教禁により
 唯一オランダ人の入港を許された長崎の出島のみ
 パンが細々と生き残ったそうな。

⑤江戸時代後期の天保11年(1840)清とイギリス間でアヘン戦争が勃発。
 日本でも国防の危機感から西洋技術を取り入れる動きが強まる。

 直虎公はまだ4歳です。

 長崎出身の洋式砲術家の高島秋帆(しゅうはん)が
 腐りやすい米飯に代わる兵糧として、乾パンに着眼したされる。

 秋帆は韮山代官江川英龍(坦庵/たんなん)の西洋砲術の師だった。

 天保13年(1842)4月2日、江川英龍が山へ狩猟に行く時にパンを携帯したら
 とても便利であったことや
 秋帆の配下でパン製法を知る長崎の作太郎が江戸に滞在している間に
 彼から技術を得るようにと書簡を江戸詰の柏木総蔵(手代の柏木忠俊)へ宛てたそうで。

 英龍は饂飩粉をベースに「味が良くなる卵や砂糖を加え…」と書いているので
 菓子パンのような美味しさも考慮していたようだ。

 柏木はすぐに英龍の指示に従いパンを試作し
 薪の量や火加減から窯のことまで製法が事細かに書いて
 8日付けで返事を出す。

 「小麦粉一品に塩で味を付け……大きさは厚さ三分(約1cm)ばかり
  差渡し三寸(直径約9cm)ばかり、それを一度に一つ半
  大食らいの者は二つも食べ、その後湯茶水を飲めば腹の中で増える…」
 と、菓子よりも主食としての味付けを優先し
 より長期の保存、軽さ、腹持ちを考え、農兵の携帯食として適した形に…

という表記が残っているそうだ。

パン業界ではこの江川太郎左衛門を日本のパンの祖とし
4月12日にちなんで、毎月12日をパンの日と定めている。

江川英龍(えがわひでたつ)さん…か…

こうなると英龍さんが気になる。

どこかで見た覚えのある名前のようにも思うし…

寄る年波のせいか、何度も読まないと
すぐ忘れてしまうのは、マジ困る。

が、今はネットという便利なものがあり
忘れても調べればすぐにたどり着けるから有り難い。

さて、江川英龍公とは・・・

幕末期に「世直し江川大明神」とよばれた名代官
鎌倉時代から明治維新を経て江戸時代に至るまで
民政一筋に生涯を投げ打った世襲代官
それが江川太郎左衛門である。
太郎左衛門の呼び名は江川家の代々当主の世襲通称とのこと。
英龍は江川家の第36代当主である。

英龍は享和5年(1801)5月生まれ
代官職を継いだのは天保6年(1835)35歳の時


天保8年(1837)外国船が浦賀沖に現れ
幕府は異国船打ち払い令を制定。
世に云う「モリソン号事件」が発生。

モリソン号は浦賀に来て砲撃するが
日本は全く太刀打ち出来なかった。

江川英龍も代官職として管轄区域の伊豆
相模湾沿岸の海上防備に危機感を持つようになっていく。

当時日本の沿岸警備の大砲は青銅製の旧式
砲術の技術も古めかしいものだった。

英龍は幕府老中水野忠邦より正式な幕命として
「高島秋帆(※1)」に弟子入りして
長崎で近代砲術を学ぶ。

技術習得後全国の藩士達に伝授し教育した。

佐久間象山、大鳥圭介、橋本左内、桂小五郎(木戸孝允)等
多くの逸材が英龍の門下で学んでいる。


お?繋がって来たね~~

直虎公は象山先生から赤松小三郎氏を紹介され
洋式軍制について学び、他藩に先駆けて
須坂藩に洋式軍制を導入したのです。


嘉永6年(1853)ペリー艦隊が浦賀に来て開国を迫る。
いわゆる黒船来航だ。

困った幕府は江川英龍を「勘定吟味役格」に登用し
老中・阿部正弘の命で江戸湾に台場を築く指示を下す。

しかし翌年(1854)日米和親条約が締結されると
予定した台場(※2)10基のうち
5基が完成したところで工事を中止。


英龍は、この間大砲の脆弱性を見抜き
外国船の持つ鉄製の大砲に太刀打ち出来るよう
製鉄炉の調査を開始する、

当初は伊豆下田に建設予定であったが
韮山に反射炉を作り、鉄製の大砲を製作する準備を始める。

が、志半ばで英龍は死亡。
英龍の子の江川英敏が遺志を引き継ぎ完成させた。
洋式軍艦も製造したそうだ。

親子二代で、偉業を成し遂げたんだね。
親の志を引き継いだ子も素晴らしい。

彼は太平洋に面する伊豆に生まれ育ち
日本に迫り来る異国船の脅威を肌で感じて
他の日本人に先駆けて対応するための具体策を
幕府に建言するとともに
自らの全生涯をかけて異国に対処する取り組みに没入した。

●蘭学者との交流を通じた危機の認識
●高島秋帆に師事しての西洋砲術の導入
●農兵軍の組織
●銃器工場の建設
●破裂弾の研究開発
●江戸湾における台場の築造
●大砲製造のための反射炉の建設

そして、パンの祖とも呼ばれるまさに偉人!

にもかかわらず、江川英龍公の名前はあまり知られていない。

それは何故?

不思議に思って調べたところ下記の記述を発見。

江川英龍は、戦前には「国防の先覚者」として
教科書にも取り上げられるヒーローだったという。
しかし、戦後の反戦平和の風潮は
その反動として彼の名を学校教育の場から消し去ってしまったのだ。

・・・・・・

日本だね、まさに・・・

・・・・・・

こういう隠れた偉人、まだまだいるんだろうな…


堀直虎公もそのお一人!

歴史の影に沈んでいる日本の礎をつくった人々を
浮かび上がらせて、多くの方に知っていただきたい。

歴史は絵空事でも説話でもない。
私達の祖先が生きた時代に起きた出来事
実際にあった出来事なのだ。
私たちに関係ないと思ったら大間違い。

今の日本が作り上げられる過程の出来事であり
日本の姿を知るための早道でもある。

と、私は思っている。

一生かかっても知ることができるのは
ほんの僅かだけど、知ることで
見えなかったモノが見えてくる・・・

だから歴史は面白い(^^)

パンの伝来を調べていたら、直虎公につながる
エピソードを発見!!

再演って、こうして深まっていくんだね。

来週から取り掛かる予定の台本執筆が楽しみになってきた。

おーっと!
とっちらからないように気をつけねば(汗)


※1 高島 秋帆(たかしま しゅうはん)
 砲術家。高島流砲術の創始者
 寛政10年(1798年)、長崎生まれ。
 日本砲術と西洋砲術の格差を知って愕然とし
 出島のオランダ人らにオランダ語や洋式砲術を学び
 私費で銃器等を揃え1834年に高島流砲術を完成させた。
 日本初となる洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行い
 幕府から砲術の専門家として重用されることになる。

※2 台場
 台場(だいば)とは、幕末に設置された砲台で、要塞の一種

現代の観光スポットお台場の歴史です。

ミュージアム干支コレクションアワード2017鶏

2016年12月19日 23時27分52秒 | 日記
お陰様で熱は微熱をキープしておりまする(^_^;)

このまま平熱に戻ることを祈りつつ
今日は一日、自宅でおとなしく事務作業(汗)

さて、皆さま!

覚えていらっしゃいますか?

ちょうど昨年の今頃、ご案内があり
年があけてから投票結果が発表になった…アレ♪

そう♪

アレです♪♪

「ミュージアム干支コレクションアワード2016猿」

このコレクションとして須坂市立博物館所蔵の根付
「袋を背負う猿」(愛称:ふくもん)がエントリーし
大勢の皆様の応援により全国第1位(グランプリ)を
獲得したのでした!

本当にかわいらしい根付のお猿さんで
グランプリ獲得!と聞いた瞬間、マジ嬉しかった~


そして・・・

今年も博物館長のM氏からお知らせが届きました!!

「ミュージアム干支コレクションアワード2017鶏」に
エントリーされたそうです(^^)

エントリー中のコレクションは――

 須坂市立博物館所蔵の印籠
 蒔絵鶏図印籠(まきえとりずいんろう)』

 

今回の作品は「根付」ならぬ「印籠」

印籠といえば、水戸のご老公様を思い出す方も多いのでは?

本来印籠は、薬を携帯する道具「薬籠(やくろう)」として生まれ
江戸時代には腰間装飾具として愛用されて
欠くことのできない物になったそうで。

エントリー中の印籠には、中国の伝説に由来する
平和の象徴「諫鼓鶏(かんこどり)」が描かれている。

諫鼓(かんこ)とは、人民が君主に政治の不満を訴える時に打ち鳴らす太鼓のこと。
諫鼓に苔が生し鶏の遊び場になるということは
善政により諫鼓を使う人がいない、ということで「天下泰平」を表している。

一瞬「閑古鳥」??と思ったあなた!

私も同じです(笑)

閑古鳥が鳴くというのは
お客が少なくて商売がはやらない様子を言う。

その“かんこどり”ではない“かんこどり”の存在を忘れていた(汗)

何かの本で読んだことはあったが使ってないと忘れる忘れる。。

思い出すきっかけをいただき感謝です!

この印籠に描かれた鳥と太鼓は
リアルな細やか線と凹凸
時代を彷彿させる色合いから
そこはかとなく品が醸し出されて
全体的に格調の高さを感じる作品です。

にしても、今年の干支の
お猿さんとは随分と趣が異なるなぁ…

今年の干支の鶏さんは格調の高さに一票という感じかな?

今回も一人1日1回投票できるらしいので
お時間のあるときにお気に入りの作品にポチッと
投票してみてはいかがでしょうか(^^)


現在の順位は1位です(2016年12月20日現在)

◎投票は、こちらから

【投票方法】
1 エントリーされている作品の中からお気に入りを選択
2 応援コメントを記入(記入しなくても投票可能)
3 画像表示されている文字を入力(大文字・小文字の別に注意してください)
4 「この作品に投票する」をクリック→投票完了

※投票の最終受付は、平成29年1月27日(金)午前10時
※今回から作品の「年賀状データ」も公開されているので
 ご利用くださいとのこと。

【須坂市立博物館エントリー作品詳細】
① 作品名  『蒔絵鶏図印籠』
② 作品画像  添付写真のとおり
③ 作品のコメント
木製漆器 江戸後期 銘:松花斉 縦:9.4cm 横:6.1cm

印籠は、薬を携帯する道具「薬籠(やくろう)」として生まれ、江戸時代には腰間装飾具として愛用され、欠くことのできない物になりました。
材質には漆器・陶器・金属などさまざまな素材が使われ、特に精緻な技術を尽くした蒔絵の印籠が最も盛んに作られました。

当館所蔵の印籠の一つである『蒔絵鶏図印籠』には、中国の伝説に由来する平和の象徴「諫鼓鶏(かんこどり)」が描かれています。
諫鼓とは、人民が君主に政治の不満を訴える時に打ち鳴らす太鼓です。
諫鼓に苔が生し鶏の遊び場になるということは、善政により諫鼓を使う人がいない=天下泰平を表しています。

④ ご担当者からのコメント
蒔絵の様々な技法を使い、鶏の羽毛やトサカなどの質感がリアルに表現されています。
声高らかに鳴く鶏の声が今にも聞こえてきそうな作品です。
また、印籠の裏面には雌鶏や小鳥たちが戯れる様子が描かれ、世の中の平穏を表しているようにも見えます。
諫鼓鶏にあやかり、今年も平和な一年でありますように。

ワークショップ3回目♪

2016年12月18日 20時57分48秒 | 日記
今日は、ワークショップ3回目♪

会場は、須坂市中央公民館3階の大ホール。

12:45に到着し、場内に入って驚いのは
会場の広さである。

先週の会場の2倍以上あるんじゃないかな??

とにかく相当広い!

これなら舞台稽古も問題なく行える。

こんな会場をお借りできるのは
須坂市が主催の構成団体の一つだから。

有り難いことですね(^^)

須坂市民の皆さんに堀直虎公を知っていただけるよう
そして、舞台を楽しんでいただけるように頑張らねば!!


実は・・・

私、数日前から風邪気味だったんだけど
一昨日の夜、咳が酷くて眠れず
昨日病院でレントゲンを撮影したところ
気管支炎の細かい筋がいっぱい出ていまして
その上、昨夜から高熱が出てしまい
今日の稽古に行こうか行くまいか
ギリギリまで悩んでいました。

インフルエンザの検査は陰性。
熱は37℃代に落ち着いている。
咳も随分楽になったし・・・

 よし!行こう!!

ということで、稽古に参加することに。

と言っても、医者からは「安静に」と言われていたので
基本的な指導は劇団員にお願いし
私は気になるところをチェック。
どちらかというと、キャスティングに向けて
参加者の皆さんの特性を見極めることに
専念させてもらった感じ。

皆さんに風邪菌が届かないよう
できるだけ離れた場所でじーっと見学(汗)

あ、そうそう!

サリアが名札を作成し
まゆりんが呼び名を書いて
参加者全員の名札が完成!!

呼び名で呼び合うと距離感が近くなれるんだよね。
参加者同士、お互いの名前を覚えるのも
コミュニケーションの第一歩♪

今回は人数が多いため急遽作成してもらいました。

やっぱり名札がついていると、名前を覚えやすい♪
サリア、まゆりん、サンキューです(^^)

MMT(夢幻マッスルトレーニング)、随分板について来たね。
覚えられない・・・と仰っていた方も、見よう見まねで
なんとかついて来ているから凄い!

 

 

指導せずにゆとりを持って全体を見渡すと
前回まで見えなかったことが、見える見える(笑)

みんな真面目に一生懸命取り組んでいる♪

素敵なメンバーばかりですねぇ~♪

しかしながら・・・

相変わらず、お仲間同士がくっついているね~

研修生はなぜ受付周辺にたむろしてるのかなぁ?

初参加で、一人で申し込んで来たメンバーが多いため
横つながりはこれからって感じだね。

みんなで一つのチームを作るのだ。
お仲間同士の小さな輪っかがなくなると良いんだけど・・・

もう少し様子を見ることにしようか。

エチュードは色々な意見が活発に出ていたようだ。

私は徐々に体調が悪くなって、各チームの様子を
観て回ることができなかったのが残念。

次回までには何としても完治させねば!

来週は、メインキャスト希望者のみ
キャスティングオーディションを行うことに決定。

ワークショップの時間内で
全員の個性を見極めたいと思っていたが
人数が多すぎて選別が難しいことが判明。

一人ずつしっかりと把握して
最善のキャスティングを行いたい。

キャスティングは作品の良し悪しの鍵♪

メインキャストは男性が多いのに
希望者は女性が多く、その点が悩みどころ。

どんな配役になっても、その役を大切に演じて頂きたい…

一人ひとりが輝いていれば、その舞台は
必ず素敵な舞台になります(^^)

帰り際、奥田神社の奥様がお見舞(?)と仰って
お魚と干物を届けてくださった。

 お心遣いに感謝です!
 劇団の忘年会の折に、みんなでいただきます!

返ってご心配をおかけすることになってしまった。
申し訳ありません。。

稽古から帰宅して少し休んでいたら
熱がぐんぐん上がり38.6℃に(汗)

あまり動かなかったつもりだけど
やっぱり疲れたのかな・・・

夜のMAの表現は休ませていただきました。
受講生の皆さん、ごめんなさい。

明日、熱が下がってくれますように・・・